8月15日、日本は「あの戦争」を思い起こし、黙想する日でもあった。 そんな中、やきもきしていた行方不明の幼子が発見されたというニュースが 飛び込んできた。
3日前から祖父から離れて一人で帰宅する予定の子どもが帰ってこないと いうニュースは、このところの子どもの死が犯罪と結びつくことが多いだけに、 どうしても気に掛かることでもあった。この間、地元警察官など多数の手で 捜索が行われ、母は町内のスピーカーで子どもの名を叫び続けるという 痛ましい状況下にあった。
そこへやってきた一人のボランティアが、大分から駆けつけ、背負子の中に 万全な装具をいれ、一人で捜索行動をとったのである。そしてわずか20分で 発見し、無傷の幼子を抱いてしっかり母親の手に返してあげていた。
救護したこの人は、ニュースで知って自ら進んで行動したそうだが、以前にも 発見した経験があるとも話していた。まるで核心のあるような思いで行動して いたともとれる。
山で行き先がわからなくなると、人は高いほうに上っていく習性がある、という。 見も知らぬと土地を地図で確認し、見事に助け出したのである。発見者の行動 には信念があり、毛布でくるんだ幼子をまずは親の手に直接返すことだといい、 捜査官が引き渡せと言う言葉をさえぎって母親にわたしていた。
この人は、親に返すまでは、法律であろうが、大臣だろうが、たとえ手が後ろに 回っても絶対に譲れないと主張したそうだ。親子の愛情の交換こそいちばんだと 判断したと思う。
捜索した警察も消防署の人々も夜を徹して捜索に当たった3日間だった。 本当にご苦労さまだったと労いたい。だが、地の利を知らない人がたった20分で 発見したこの差は何であったのか、考えさせられた。
思いがけなく英雄扱いになってしまった素朴な人はさぞ困惑しているかもしれ ないが、ぼくは涙するほど感動した。そして命の尊さと寄せる人々の愛をまた 知った。片やどこやらの別荘でゴルフ三昧にふける人もいるようだが、彼の心に どう届いただろうか。
やさしいタイガー