わたし宮崎修二朗先生に誘われながら行けませんでした。
今から思えば無理をしてでも行けば良かったと思います。
帰られた宮翁さんから、パンフレットなどの資料を頂きました。
大事にとってました。
錚々たるお名前が並んでます。
往時の宮崎修二朗先生のお力が分かるというもの。
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旅の箇所
122
「白鳥の松原」と「津田の松原」は
播磨灘に沿って隣接する白砂青松だが
この地では 青松白砂と呼び慣れていたのを
古絵葉書で確かめた 白砂も白沙で
夏の汀では稚魚が手拭いで抄えたものだ
詩集「旅の箇所」は、100番までで出てるのですね。
これはその後の作で、122番。最後の作品とのことです。
お腹が凄く出っ張って、いつも重そうにされていました。
お酒がお好きなんでしょうね。通信講座でお世話になりました。
優しく、親切なアドバイスをよく頂きました。
そうでしたね。一見ユーモラスな感じで。
詩誌「柵」に書き続けておられたと思うのですが、あと、どうされたのか。
わたし、古い「柵」は処分してしまっていますので…。