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「触媒」として生き抜いた

2020-04-07 09:04:53 | 宮崎修二朗翁
神戸新聞に宮崎修二朗翁の追悼文を書かせていただきました。
←二段階クリックで。
(掲載の写真は家内が写してくれたものです。この日、家内はお庭の草抜きに行っていたのでした。)

翁には長くご厚誼をいただいて、幸せでした。
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2 コメント

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Unknown (snow36)
2020-04-07 11:50:01
今村さん 今朝新聞で今村さんの追悼文を拝見させていただきました。
世のため人のために。
宮崎先生には、父もたいへんお世話になりました。「ひょうごの野の書」の取材の折りにも、お忙しい中 宮崎先生に各地をご同行いただきご教示いただいたことは 私どもにも忘れられない思い出でございます。
ご冥福をお祈りいたします。
『触媒」として生き抜いた (imamura)
2020-04-07 12:42:45
snow36様
お父上の翔雲師のことはわたしも宮崎翁から、その素晴らしさを何度もお聞きしたことがあります。『ひょうごの野の書』は名著ですね。

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