喫茶 輪

コーヒーカップの耳

ヒマラヤスギのあとにササベザクラ

2018-04-11 22:45:09 | まち歩き
昨秋の台風21号で東三公園のヒマラヤスギが根こそぎ倒された。
そのあとにササベザクラが植えられて、わたしは良かったのだが、
この写真は、3月31日の「お花見ウォーキング」というブログより。

今日、あることでこのブログの過去を調べていたら、三年前の写真にヒマラヤスギが写っていた。

立派なヒマラヤスギですねえ。これが倒れたのはやはりもったいない気がします。
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「広辞苑」第7版

2018-04-11 16:15:54 | 宮崎修二朗翁
3月は忙しくしていてお訪ねできなかった。
今日、ちょっと時間が空いたので施設に連絡を入れて行ってきました。
案内の職員さんが「楽しみに待っておられます」と。
部屋に入ると、ベッドに座って待っていてくださった。
質問を2,3点用意して行ったのだが、やはり96歳とご高齢。以前よりは少し反応が遅くなっておられる。
しかし、こちらの言うことはよく理解しておられる。
ゆっくりと聞けば答は返って来ます。
ただ、ご自身が自分にじれったそうにされる。

まっさらな「広辞苑」第7版がベッドわきのテーブルに置いてあった。

「もう一仕事しなさいと言って持ってきてくれたんです」とのこと。
「でももうできません」とおっしゃる。
しかし「またやりたいなあ」とも。
どこまで勉強好きなのだろう。

今日は後に用事があるので、一時間ほどで「また来ます」と帰ってきたのですが、
翁は、「ボケてきまして申し訳ありません。これに懲りずにまた来てください」とおっしゃる。
ご自分で反応が遅くなったのをわかっておられるのだ。
そんなこと言われると、なんか、翁がいじらしくなってしまいます。
また、なるべく早く訪問しよう。
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『きりん』ってなにや?

2018-04-11 07:54:16 | 足立巻一先生
三宮サンボ―ホールでの古本市で街の草さんに紹介していただいた扉野良人さんから届きました。
チラシです。

扉野さんは『きりん』の詩集を出そうと企てておられるようです。
大変な仕事ですが、ぜひ実現してほしいものです。

チラシと一緒に送ってくださった「百年のわたくし」(巻二)という同人誌。

ちょっと変わった体裁です。
パラパラと読んでみましたが、洗練されていて、みなさんレベルの高そうな人です。
季村敏夫さんの「時の空」は、腹の底からしぼりだすような思いが書かれていて痛ましささえ覚えました。
あ、そうだ。巻頭のこれは同人の創作ではありませんが、扉野さんが心動かされた言葉なのでしょう、3篇が載っています。
そのうちの、「きりん」(1954年4月号)から転載された「ぼくのした」は足立巻一先生が最も好きだった口頭詩。
昔(1982年)、わたしが隣の用海小学校のPTAのお世話をしていた時に、講演をお願いして来てくださった時の話の中でも取り上げておられました。
また、年賀状にも使ったとどこかに書いておられました。

  ぼくのした
  「うごけっ」と
  ぼくがめいれいしたときは
  うごいたあとだ。
  ぼくのしたをぼくよりさきに、
  うごかすのは、 
  なにや。
     (しまだのぞむ・当時5歳)
  
そして、わたしがもう一つ感動したのは、扉野さんの「モノとカタリの地平「百年のわたくし」に寄せて」の一文。
←二段階クリックで。
いい文章ですねえ。
扉野さん、ありがとうございました。



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