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SARAのブログ

日々のことあれこれ

酷い女

2023-06-26 11:07:13 | テレビ
加藤諦三さんの本には私の真実が書かれていた。

私は人に見捨てられたくなくて人に奉仕をしてきたみたいだ。
無意識の領域で。
奉仕したくてしてきたのではなく、そうすることで自分という
存在を確認したり、人を繋ぎ止めておきたかったり、自分の
価値を高めたかったり。

家の中の片付けはたぶん自分の為に私はやっている。
しかしそれも100パーではなく、15%から20%くらいは、どこかで
親がいつかウチに来た時に「汚い」と自分の落ち度を指摘されたく
ないという煽られるような気持ちからも実は来ている。
でも片付けは基本的に好きだし、ゴチャっとしている空間や物が
多い空間よりも、スッキリと片付き、物が少ない空間の方が好き
なので、片付けたくて片付けているところが大きい。
しかし「ご飯を作る」という行為は、これは完全に奉仕。
旦那に対する奉仕。
自分がそれを食べたくて「今日はこれ作ろう~~」で作ることは
ほぼない。
自分1人になったら、もっと適当なご飯になる。
まぁ、これは主婦だったり母あるあるなところもあり、家族がいる
から作っているという人は多いのだろうが、それでも子供に対する
愛情で食べさせたいという気持ちが根底にある人とでは、心の負担
がまったく違うだろうなとは思う。
私の場合はほぼ義務と不安から来ている。

義務としては、やはり専業主婦で毎日家にいるのに、この上ご飯
まで作らないとなったら、旦那は怒らないだろうが、自分で自分が
誇れなくなる気がする。
私何やってんだ、と自分が情けなくなる気がする。
なのに、毎日エネルギーを振り絞ってご飯を作るのも実は物凄く
辛い。

義母の世話をするのもそう。
義実家の中で、自分の存在をアピールしたいのだと思う。
私はこれだけのことをやってると。
自分の実家の家族に対してのアピールも少しは入っている。
「私は義母の世話をしているのよ、偉いでしょ」というアピール。
姉にコンプレックスがあるので、姉がやってこなかった、自分の
旦那の親の面倒を見るということを必死になってやっているのだ。
自分が心から進んで義実家に行くとしたら「たまには旦那以外の
人と話したい」とか(例えそれが義母だとしても)「義実家の中で
自分が疎外されたくない」という気持ちが強くて行くことになるの
だと思う。
たぶんそれが私の本音。
義母のことも心配とはちょっと違うのかもしれないが、時々は
考えてはいる。
義母のこういう症状はきっとこれが原因なんだろうなとか、こうす
ればいいのに何故やらないのか・・?とか。
そういう分析は良くしている。
しかし実際にそれを義母に意見することはないし、言ったところで
素直に受け入れることはないので、自分の中で考えているだけだが。
それを旦那は優しいと言ってくれるが、義母に対する優しさで真剣に
考えてるというよりは、ただ自分の中で分析しているだけのことな
んだろうなと自分では思っている。
まぁ、まったく義母に対しての情がないかと言われたらそれは嘘に
はなるが、やはり蓄積された義母への怨念のようなものがあるので
それが私はどこか許せないのだろうな。
自分の実家の家族に対しても同じだけど。

でもそうして私がやっていることがやりたくもない奉仕だとして、
じゃあ私はそれをやめた方が健全だということなのだろうか。
それとも何か心の葛藤が解決されれば人にも心から奉仕したいと
いう気持ちが出るものなのだろうか。
そういうところを一番に知りたいのだけど、本を読んでいても
「あぁ、私はやっぱり普通の人じゃないんだな」という事実に
打ちのめされるばかりで「これからはこうしていこう!」という
具体的なものが見えない。
だから、真実が書かれていて私にとって重要なことなのはわかる
のだけど、読んでいると落ち込んでいくばかりで、なかなか前向きに
「そうか!じゃあこうしていけばいいんだ!」という解決策が
バシッと書かれているわけではないので、今はまだ落ち込んでいる
最中だ。

ウチの両親も普通の人ではなかったんだなという感じ。
父は良く私と旦那が建てた今の私達の家の話になると必ず「しかし
SARAの家は前の道路が狭すぎない?」と言う。
確かに狭いは狭い。車2台が本当にギリギリですれ違える幅。
すれ違えるのはかなり高度なテクニックになるので、その道に入ってくる
人は前から車が来たなと思うとすぐに車をバックさせて先に通してくれる。
無理矢理そこに入って来る人は滅多にいないし、そもそも交通量が
恐ろしく少ないのでそういう場面に出くわす確率もかなり低い。
なので普段生活してて不便を感じたことはないし、不満もない。
むしろあまり車が通らないので静かでいいとさえ思っているくらいだ。
でも父はケチをつけたい。
家に来た時も「階段が急だ」と毎回言っていた。
何かしらのケチをつけたい。
それがいつも嫌だった。
しかし自分の子供と言えど、立派に家を建てたのがどこか自分の価値を
脅かすように感じるのか、恐らくそうしてこちらを批判することで
父は自分を守っているのだと思う。要するに父も自分に自信がない。
それはここ数年でまた一段と老化が激しくなったことでもより酷く
なってきたように思う。
自分に自信がないから他人を下げたい。
私はそのターゲットにされているのだろう。
要するに舐められている。
そんな私も父の遺産などをアテにしていないのなら、もっと大きな
態度に出られるのかもしれない。しかし親の遺産が入らないとウチは
かなり老後が厳しい。
なのでもらえるものはもらいたいという気持ちが働くと、父に言いたい
ことも言えない。

話は逸れるが、今ふと思った。
私達は本当に老後、そんなに厳しいことになるのだろうか。
確かに今は笑えるくらい貯金がない。
しかし来年には旦那が長くかけてきた保険が満期になって1,000万が
入る。
義母が何歳まで生きるかはわからないが、義母が亡くなれば、義母の
保険の600万も入る。
来年満期になる保険は毎月25,000円を積み立ててきたので、当然満期
になればその25,000円は今度は貯金にも回せる。
年に30万。
そして旦那の給料から微々たる貯金をしていけばまたもう少し貯められる。
仮にここから数年間で500万貯金できたらそれでもう2,000万は超える。
旦那が60歳をちょっと過ぎた時点で2人で2,000万の貯金は少ないのだろ
うか。
年金を貰っても生活できないだろうか。
それで旦那が60ちょっとで定年するわけでもなく、今よりも休みを
もっと多く取りながらも何とか仕事をまたそこから数年続けてくれれ
ばもう少しは貯められる。
まぁ、その頃には車もまたもう一台買わなければならなくなるだろうし
家の修繕がまたどこか発生するかもしれないし、家具や家電の買い換え
なんかもあると思うと丸々の貯金にはならないかもしれないけど。

良く老後は3,000万必要とか言うけど、それは1人3,000万ってことなの
か・・?
変な話、もし旦那が先にいなくなって私1人になったら旦那の保険も
入る。
そして今の話は義実家の遺産をまったく貰わなかった場合の話だし。

でもまぁ、それでも年を取ってきた父親にわざわざ楯突いて、関係を
悪くするのはお金の面だけじゃなくて、いろいろな弊害もあるだろう
からヘタなことはやめておいた方が自分にとっては得策だろう。

でもムカつくけどね!
毎回毎回こちらの批判ばかりされるとさ!
そればかりか、姉のことを褒めたりするからね!
こっちはやはり穏やかな気持ちではいられない。
親がいなくなるのは寂しいけど、こういうことがあると、実はちょっと
いなくなったら楽になるだろうなと思う時はある。
だっていなくなったら困るということはないからね。
でも姉は困るだろうなと思う。
ダメージ私よりもあると思う。
まぁ、それを期待しよう。

えぇ、私は性悪な歪んだ女です。

少し浮上

2023-06-25 08:35:03 | テレビ
実家に対してのモヤモヤを旦那にぶつけた。
ぶつけたというか、愚痴った。
私もいろいろ言ったし旦那もいろいろ私に言ったが、最終的に
2人で一致したことは、「今度行く時は時間を短くしよう」だ
った。
まぁ、これは1個前の記事でも私自身も書いていたが、旦那の口
からも同じ言葉が出たことで、やはりそれがいいとなった。
午前中から夜までいるのではなく、どこかに行った帰りにちょっと
だけ寄るとか、さきほども言っていたが明日は旦那が仕事だから
と言って3時4時くらいには引き上げるとか、そういう行き方に
しようということになった。
何故これが一番いいと思ったのかというと、私自身が自分の目的を
はっきりと意識したからだ。
その目的というのは2つあって、まず一つ目は、自分がちょっとだけ
孤独を解消する為の話相手として利用したいということ。
もう一つは疎遠にしてしまうことで正当な相続権を主張できなくな
ることだ。
これは旦那の実家の件で学んだこと。
旦那の実家に対しても私は大いに不満があった。
特に義母に。
それでもやはり最低限のつきあいをしておけば、今頃義父の遺産を
もらうことを要求できた。
今も要求しようと思えばできる。
でもやはり義父の最期の4年間、私が旦那と義父の関係を疎遠にして
しまったので、それができる立場にないと私も旦那も思い、要求は
してこなかった。
要するに私はお金が欲しい。
なので実家の父の遺産も最低限「私はもらえる立場にあります」と
言える立場でいたい。
表面的に関係が悪かったり、あまりにも疎遠だとそうできなくなって
しまうから。
なので一応「私も家族ですよ~」という顔だけしていたいのだ。
なので、とりあえず年内もう一度行くかどうかはわからないが、
行くとしたらどこかに行った時にちょっとだけ寄る。
まぁ、少し何かお土産でも持っていって1時間くらい話して帰れば
いいだろう。
次のお正月に行く時も次の日に旦那が仕事だからと早めに帰ろう。
そうすることでまったく寄りつかないわけでもないし、だからと
言ってベッタリ仲良くしているわけでもないという感じになる。

旦那も言っていたが「SARAは実家には不満はあるんだけど、結局
いつも寂しいが勝っちゃうんだよね」と。
それは確かに当たってると思った。
しかし今回はそれだけでは絶対に行かなかった。
母が「ジージが具合悪いって言ってるのにSARAは全然顔出さない
わね」と不満そうに言うのを想像できたから行った。
まぁ、それは良かったとは思う。
しかし寂しさを解消する為なら、こちらの負担も大きすぎる。
でもどこかに行った帰りなどに寄って、ちょっとだけでも会話することで、
それも少しは解消される。
そうして、自分の為に実家を利用しようと思えたら少しは元気が出て
きた。
お金がないからと、旅行も我慢しなければという傾向にあったが、
それも何とか資金を調達して、また行こうと思った。
キャンプも。

あとはこの大殺界が終わったらやっぱり少し働いてみようかなという
気持ちも出てきている。
しかしもう私は格好はつけない。
自分に正直に、本当に「これだったらできそうかな」という仕事を
真剣に見つけてみようと思った。
メルカリをもっと広げていってみるのもいいし、愚痴聞き屋に電話
したことはあるけど今度は聞く側に回ってみたらどうだろうとか、スキマ
バイトというものがあるらしいが、そういうのももしウチの近くでも
あって、実際に「これならできそう!」と思えるような仕事があったら
やってみようかとか。
要するにこれも実家との距離と同じでギッシリとビッチリとやるの
ではなく、そういうなんちゃっての仕事を探してやってみようかと。
まぁ、それもまだ先の話にはなるけど。
でもそんな風にあれこれ考えてたら、またちょっと元気が出て来た。

旦那とも「ここいいかも」と私が思っているホテルをyoutubeの動画
で見たりしていたらまたそれでも気持ちが浮上した。
贅沢はできないけど、でもできる範囲で遊ぼうと思った。
あと、最近ネットで良く見かけていて可愛いなと思っていた洋服を
旦那に見せたら「いいじゃん」と言ってくれた。その洋服は旦那は
嫌がるかなぁと思っていたので意外だったが、嬉しかった。
なので、試着しないので失敗するかもしれないけど、そんなに高い
ものでもないのでそれも買ってみようと思っている。
そのうちどこかに買い物に行って何か買ってもいいし。
マッサージとかもたまには行ってもいいし。

今日はあんまり寝てないので、体調は良くないけど、気持ちはだいぶ
上がってきた。

もう当分人には会いたくないな。


実家

2023-06-25 08:00:47 | テレビ
半年ぶりに実家に帰った。
が、行ってきた今も気分が悪くてしかたがない。
今回は決定的なことを言われたというわけではないけど、でもまぁ、ちょい
ちょいはやはり嫌な気持ちになることがあり、全体的に心の奥底ではやはり
歓迎されてはいないような、この人たち私のこと好きじゃないでしょと思っ
てしまう場面がちょいちょいあった。
そういうのは今年のお正月に実家に行った時にも感じた。
ので、それ以降は実家になかなか足が向かなかった。
去年はGWと夏頃に実家に帰っていて、実家の家族は私が行かなきゃ行かない
で文句を言うようなところがあるので、今年のGWに帰らなかったことに
は「体調が悪かった」を理由にした。
じゃないとこっちが悪く言われるので。
今回行ったのも、行きたくて行ったわけではなく、少し前に父親が腰を
悪くして寝たり起きたりの生活をしていると姉からLINEで聞いたので、
すぐに電話はしたが、一度はやはり顔は出さないとまた「SARAは知らん顔
よ!」とか「SARAは冷たいわよ!」と言うんだろうなということで、
ほぼ義務で行った。
しかしその反面、私もここ最近では人との会話に飢えてるところもあったの
で、それを解消したいという気持ちもあった。
人と親しく会話がしたいという気持ちは確かに少しは満たされたが、やはり
物凄く疲れたし、結果的には嫌な気持ちにもなってしまった。

もし次回行くとしたら今度は「次の日旦那が仕事だから」を理由に、
夕方には帰ろうと思った。
一日実家にいるのは辛い。
「もっと話したかったのに」と思うくらいがちょうど良いのかもしれない。
とは言っても、恐らく当分は行かない。
「あ~楽しかった~、また行きたい~」とは決して思えなかった帰省だ
った。



プロレスと庭仕事

2023-06-23 15:25:20 | テレビ
暑かったり寒かったりも起因しているのかもだけど、このところ
ストレスが重なって寝れたり寝れなかったりを繰り返していた。
やっとこの2日間くらいでちょっと疲れが取れてきたかなという感じ。

ストレスというのは、大きく2つ。
浄化槽の工事の件と、親戚の態度。
いや、親戚というより、他人と接するととたんに不安定になる。
本当はいろんな人と接したいという気持ちもあるのかもしれないが、
他人と接するとその態度に対して「私はあの人に嫌われている」
と思うことが多く、そのことでとても絶望的な気持ちになる。
人には頼ったらいけないな、もっと自立しなくてはとも思っては
いるのだが、やはり子供がいない中、これから旦那も私ももっと
もっと年を取っていく不安、そして旦那がいなくなってしまったら
と考えるともう地獄のような気分になる。
それと関係しているのか、他人に素っ気ない態度を取られたり、
自分は軽視されてるなと感じたり、あまり相手にしてもらえてな
いような態度を取られると一気に気分が落ちてしまう。

恐らくそれらの他人も、この先どうなるかはわからない。
例えばすごく仲良くしている友人がいても、じゃあその人がいなく
なったら今度はどうするのかとなる。
親戚だっていつ死ぬかわからない。
もっと言えば旦那より私の方が先に死ぬかもしれないのだ。
そう考えると例え他人と仲良くしていても、決して自分の老後が
安泰だとは言えないとは思う。
なのに今の心の状態がそうさせるのか、一番最悪なケースを想像し
ては不安になったり絶望的な気分になったりしている。

そんな中、しているとちょっとだけ気分が良くなることもある。
庭の手入れとプロレスだ。
庭の手入れというよりは、やはり屋外に出るというのがいいのか
もしれない。
外の空気を吸い、草取りと言えども必死にやっているとジンワリ
汗も掻くので良い運動にもなるのかもしれない。
やっていると、どんどん庭が綺麗にもなっていくのでやり甲斐も
あって楽しい。
あとはプロレス。
これはハヤブサさんの影響だ。
この数ヶ月間ずっとハヤブサさんを追ってきていたので、見る動画も
20数年前のものが多かったが、ここ最近は、割と現在に近いというか
ここ10年以内くらいのプロレスも見るようになった。

2000年くらいからだろうか、旦那が大晦日を始めとして格闘技を
良く見るようになった。それにつられて私も一緒に見るようになった。
いわゆる総合格闘技というヤツだ。
いわばガチの試合。
プロレスもガチはガチの戦いなのかもしれないが、相手の協力がない
と技が成立しないらしいので、どこまでが本当でどこまでがショーな
のかという疑問がありながらも、私はやはり見る分にはプロレスの方が
断然好き。

しかし庭仕事もプロレスの試合も好きは好きだが、最近はやはりたまに
は誰かと話したいなと思うようになった。
しかしアテにしている2人が、仕事でいっぱいいっぱいという感じなの
で自分からは誘えないし、相手からも誘いなんか来ないので、実際は
何も起きない。

寂しかったり、将来が不安になったり。
工事のストレスがあったり、他人の態度に深く傷ついてしまったり。
最近はそんな日々だ。
でも何もしないでいると、本当に動けなくなっていってしまう気がす
るので、なるべく動くようにしている。庭仕事はその一環でもある。
家事もその日その日にやることを決めて、あまり張り切りすぎない
程度に、でも何もせずに過ごさないように、やっている。
暑くなったらもう庭仕事はできない。
そしたらまた違うことを考えなきゃなぁ。

そんな、ちょっと落ち気味のこのごろです。


打ちひしがれています

2023-06-18 18:09:21 | テレビ
久しぶりに加藤諦三さんの本を読んだ。
数年前に読んでいた頃も思ったことだが、今回もまったく
同じことを思った。
もうね、本当に不思議だというくらいに、加藤諦三さんの本に
出てくる「こんな人はこうなのだ」と書かれている「こんな人」
が正に私そのものなのだ。
本によってテーマはそれぞれなのに、何故か加藤諦三さんの本に
書かれている問題ある人に私はバッチリと当てはまってしまう。
そしてこれも数年前と同じく、私はこの人の本を読むとガックリと
落ち込む。
自分はこんなに問題ある人でこんなに駄目な人間なのか、と。
やっぱり私は普通の人ではないのだなと、普段は何となくは思って
いてもその現実を突きつきられる思いなのだ。
彼の本を読んだと言ったが、実はまだ最初の数十ページしか読んで
いない。しかしもうそれだけで充分というほど、打ちのめされすぎて、
気持ちを吐出したくなって、ブログを今書き始めた。

私は要するに「本音で生きていない」人らしい。
人に本音で話をしていない、と。
本音を誰にも言っていない、と。
要するにそういうことらしい。
人と会うと緊張し、相手の態度に不安になり、ドッと疲れる。
ありのままの自分でいられずいつも演技をしているから疲れる。
それは本当にその通りだ。
ありのままの自分を見せたら嫌われる、批判される、受け入れてもらえ
ない、そう思っている。
私は本当はもっともっと暗い。
元気もない。
でも例えば近所の人とそのへんでバッタリ会ったりした時にそのままの
元気のない自分が出せない。
もちろん最低限のマナーはある。
近所の人に、例えば私がその時にイライラしていたからと言って、その
ままイライラした態度を出していいかと言ったらそれは違う。
でも私のはそういうんじゃなくて、見栄を張ってしまうのだ。
本当は寂しいし、孤独だし、元気もないのに、人には元気があって
幸せそうに見えるように振る舞ってしまう。
大した元気もないのに物凄く元気そうに笑顔で「こんにちは~!」と
言ってしまうのだ。
これは何故かと自分で分析してみた。

まず、私は自分の人生がうまくいっていないと思ってる。
子供も産まなかった。
いつも疲れていてエネルギーがないから働くことも難しかった。
でも周囲の人は当たり前のようにみんな子供がいて、仕事もしていて、
お金もあるのだろう、家の工事をしたり新しい車を買ったりしている。
でもウチはお金に困窮しているとまではいかないが、子供を1人も育てて
いないのに、50代の夫婦とは思えないくらいの貯金額しか持っていない。
なので、当然老後のことを考えるとあまりお金を使えず、セコセコした
生活をしているのも情けなく感じている。
友達ともほとんど交流がない。
高校の親友の1人とは縁を完全に切ってしまった。
唯一2人の友人とは毎年お互いの誕生日におめでとうのメールを交わして
いるが、つきあいと言えば本当にそのくらいだ。
去年そのうちの1人の友人のお父さんが亡くなったと聞き、お線香と
お香典を送った。すると、友人は旦那さんと一緒に我が家を訪ねて
きてくれてお返しを持ってきてくれた。その時にその友人とは15年ぶり
に再会した。家に上がってもらい、2時間ほど話した。
楽しかった。
が、私はそこでも「私だって楽しく生活してるんだから!」と自分を
誇示するようなことばかり言ってしまい、あとから後悔した。
その友人が親を亡くしたばかりで、本当はそこに寄り添ってあげなけ
ればいけなかったのに、自分の話ばかりしてしまった。
あとからそんな自分が情けなくなった。
ま、そのことは置いておいて、それが久しぶりに家族以外と接した
出来事となっただけで、その他は本当になんの付き合いもない。
そんな自分も情けなくて、惨めで、嫌でたまらないのだ。

旦那もたまに自虐的に「俺、友達1人もいないから~~」などと言ったり
する。
自分の収入のことも、満足するどころか、やはり情けないという感じの
ことを言ったりもする。
でも旦那が自分でそういうことを言うことと、私がこんな自分を情け
ないと思う気持ちは、同じようでまったく違うように感じる。
旦那はそんな自分でもどこか自分を認めているところがあるのか、
そういう自分の情けないところも自分で受け入れている。
しかし私はそんな自分が嫌でたまらない。
つまり受け入れられていない。
そんな自分を隠したい。
親にも知られたくない。
格好悪くてしかたがないのだ。

例えば、自分の容姿に関してもそうだった。
今はちょっと、本当にちょっとだが自分に自信も出てきた。
見方によっては私結構可愛いんじゃない?と思う時があるから、ちょっと
イケていないところがあってもそのことを人に言える。
「私顔まん丸だからね~」とか。
それはまん丸なんだけど、でも可愛いよね私とどこかで思っているから、
自信があるから言える。
でも数年前の笑えないくらい顔がデカくてムクんでいる時には、
そんなこと笑って言えなかった。
そんな顔が嫌でたまらなかった。

だから私が今本音で自分の人生のうまくいっていないところを人に言えない
のは、やはり自分の人生に自信がないからだと思う。


どうして自分の人生に自信がないかといったら、それは私の人生が嘘で
塗り固めているからだと加藤諦三さんは言う。
自分で自分の駄目なところ、弱いところを受け入れていないのだ、と。
受け入れていないから自分の良いところにも目が向かないのだという。


本の序盤までしか読んでいないから、ここまでしか今はわかっていない。
しかし私はいつも虚勢を張っているんだなと自覚はした。
昔から加藤諦三さんの本を読むと、自分のことが当てはまり過ぎて打ち
ひしがれてしまうことが多かったので、ここ数年は逆に読まないように
していた。落ち込みたくない、みたいな。
今も落ち込んでいるので、これが荒治療になってくれるのか、それとも
落ち込むなら読まない方が良いのかわからない。
でも途中まで読んでしまったらやっぱり気になるので、とりあえず
また読むかもしれないが、寝る前には眠れなくなりそうなのでやめる。

私は相当性格や生い立ちに問題がありそうだ。