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SARAのブログ

日々のことあれこれ

義兄

2023-07-03 15:49:22 | テレビ
この間は実家に帰り、母や姉の悪意に触れ、嫌な思いをして帰って
きたのに、今度は義実家でちょっと嫌な思いをした。

義実家へは2日前に行った。
そして更にその2週間前に行った時に私達は義母が指を負傷している
ことを知った。
義母は指先にテーピングのようなものをしていた。
痛そうだなぁとは思ったけど、その時はそれくらいにしか思わなかっ
た。
その日、義兄が昼前に義実家に来た。
義実家で義兄に会うことはそう珍しいことでもないが、義兄が来ると
私はとたんに緊張する。
義兄は義母のお昼をせっせと用意していた。
優しいなと思った。
その後、私達がもう帰るという時になって義兄が義母に「今晩は何
食べるの?」と聞いた。すると義母は私達が買い物に出た際に義母から
頼まれて買ってきた助六寿司を手に取り「これ」と言った。義兄は
「あぁ、そう」という感じだった。
その時はこのやり取りが私にはなんだかちょっとわざとらしいように
見えた。普段毎日義兄は義母の夕飯は何にするのかとか聞いているの
だろうか?と。もしかしてこれは私達に対するパフォーマンスではな
いのかという気にもなった。
そして、2週間が経ち、おとといまた私達は義実家へ行った。
今回は早めに行ったので午前中の10時半には買い物も終わったので、
これはいいなと思っていたのに、買い物から義実家に帰ってきたら旦那が
義母に「もうyoutubeは見ていないのか?」ということを聞いたので
義母が「あ、あれね、教えてもらおうと思ってたのよ」と言うので、
2階の義母の寝室へみんなで行き、旦那が中心になってyoutubeの見方を
義母に教えていた。
すると、あっという間に11時半くらいになってしまい、しだいに義兄が
やってきた。
私はまた「あぁ、会っちゃった・・!」という気持ちになった。
その後、私達がもう帰るということになり、1階に降りていくと、
義兄はまた義母のお昼の支度をしていた。
旦那が義兄に「一応頼まれたものを買ってきたから」と言い、もう帰ろう
をしたら、義兄が「何買ってきた?」と言うので、「鯵と・・・いわしと
・・・」と買ってきたものを旦那が言っていこうとしたら義兄がすぐに
言った。
「鯵?!」
そしてすぐに冷蔵庫を開けて、買ってきた生の鯵を見て「こんなの買ったら
俺が下ろさなきゃいけねーじゃん!」と言った。
それは義母に対して「こんなの買ってきてって頼むんじゃないよ」という
意味で言ったのかもしれないが、買ってきたのは私と旦那なので、私は
ちょっと嫌な気持ちになった。
しかし同時に「そういうことか」と思ったのは、義母が指を負傷してい
るのは知っていたが、それで料理ができないから義兄が食事の支度に
来ていたのだとわかった。
私は指を負傷していることはわかってはいたが、料理ができないとまで
は思っていなかった。これは本当に。義母もそんなことは一言も言って
いなかったし。
だから前回来た時も義兄は義母の食事を気にしていたのかと。
その後、モヤモヤしながら義実家を出て旦那と車に乗り込む。
旦那に私が言った。
「ねぇ、あれってあたしが鯵を下ろさなきゃいけなかったのかな」
旦那は「そんなのいいよ。かーちゃんに頼まれたものを俺たちは買ってきた
だけだし。」
そんな会話をしていると旦那のスマホに義兄から電話がかかってきた。
もう少しだけ走り出してはいたが何やら義兄がもう一回義実家に戻る
ように言ったみたいだった。
「何だって?」と私が聞くと、「なんかね、指を消毒するから来いって」
と言う。「どういうこと?」と言うと「俺も良くわかんない」と。
とりあえずまた旦那と義実家に戻ると、義兄が義母の指を消毒するとこ
ろだった。
義兄はこれを塗ったあとにこれを塗って最後に軟膏は絆創膏にのせて
から指に巻くとどうやらそのやり方を私達に教えているようだった。
私は聞き逃していたが、その時義兄は旦那に「俺がいない時に、こうや
ってやってあげて」と言っていたそうだが、私はそれは表向きの理由で
義兄は「俺はこんなことまでやってんだよ、お前らももっとやれよ」
私達に訴えているようにも見えた。
帰りに義兄に一言声をかけた。
「鯵、私が下ろさなきゃいけなかったですね、気がつかなくてすみません
・・」と。
これは義兄に謝らなければと思っていたというよりは、私は半分義兄
にカマをかけた意味もあった。
義兄が本当にそんなつもりで言っていないならすぐに否定するはず。
「いやいや、そんなことはいいよ。SARAちゃんに言ったんじゃないから。」
と言ってくれるのを私はどこかで期待していた。
ところが義兄から返ってきた言葉は
「水が使えないんでね」だった。
鯵も買ってきたなら下ろしてやれよ、水も使えないんだよ、わかんないの
よと言われた気になった。

そんなことがあり、帰ってきてからも私はずっと義兄のことが気になって
いた。
そして夜になって旦那に言う。
「お義兄さんは私達に対して不満があるんじゃないの?もっと何かやれ
よって思ってるんじゃないの?」と。
旦那は「もしそうだったとしても、何をやるのよ。」と。
「私はお義母さんが料理できなかったんだ、水も使えなかったんだって
今日初めて知ったよ。だから洗い物もできないってことだよね?お義兄さん
はこの2週間毎日料理と洗い物をやってたんじゃない?そしてこちらにも
ちょっとはなんかやれよって思ってるんじゃない?」
「そうかもしれないけど、実際はこれ以上は無理じゃん。2週間に一度
行ってるのだって最近はもう怪しくなってきてるのに、これで平日に
まで行くってなったら大変だよ?それに、にーちゃんは事務所もあるか
ら義実家に行ってるんだし、仕事だって融通が効くじゃん。何もなく
ても毎日行ってはいるんだから、SARAがこっちからわざわざ車運転していって、お皿だけ洗いに行くってそこまですることないと思うよ」

義兄は自営業をしている。
義実家のすぐ裏に事務所を建てた。事務所にはトイレがないのでトイレ
は義実家で済ませている。
なので平日義実家には自動的に行っている。そして義兄は料理もできる
人なので、できない人がやるよりはそれなりに楽にはやっているとは
思う。それでも毎日となったらやはり大変は大変だとは思うが。

「お義兄さん大変なんじゃないの?だからわざわざ一度帰っていった
私達を呼び寄せてまで消毒も見せてさ、こんなことまでやってんだよって
ことなんじゃないの?」と。
「でも頼まれてはいないじゃん。本当に大変なら、にーちゃんだって
言うと思うよ。週の半分はご飯用意してあげてくれる?とかさ。それに
向こうは長男じゃん。しかも毎日仕事で実家に行ってて時間にも融通
効くしさ。SARAも無理だけど、俺も今のこういう仕事してるからなか
なか平日は行けないしさ。にーちゃんだって普通の会社に勤めてたら
絶対できないと思うよ。それに長男の嫁だっているわけじゃん。
次男の嫁は2週間一度買い物に行って必要なものを買ってきて、ちょっと
だけどかーちゃんの話だって聞いてあげてるんだから、それで充分だと
思うよ。長男の嫁差し置いて、あんまりこっちが頼まれてもいないのに
しゃしゃってもまたそれはそれで問題出るかもしれないし。」

とあくまで旦那は、今以上のことはしなくていいと言う。
いや、私だって今以上のことをしようとは思っていない。
旦那の言うように実際無理だからだ。

加藤諦三さんの本を読んでから私は自分が結構無理をしてきたんだな
ということに気づいた。
それまではなんとか頑張ってこなせてると思っていた。

旦那は月に2回週末に連休を取っている。
それ以外は日曜日一日だけの休み。
平日は早朝から夜まで働いているので、睡眠時間も短い。
なのでやっと迎えた週末、体を休めたい時もあるだろうし、そうでなくても
休みの日にしかできない家の作業だってあるし、最近は夫婦で行きたいとこ
ろも結構ある。でも隔週で義実家に行っているし、私の体調の波もあるし、
天気もあるしで、実際はそれらを延期し続けて、とりあえず義実家にだけは
行かなければとなっていることが多い。
要するに、かなり自分たちのせっかくの週末を返上している。
それでもきっちり2週間に一度は義実家へ行き、以前は義母を連れてスーパー
へ行っていたが、今は義母がまたかったるいと言って行かなくなったので
義母のメモを持って私達だけで買い物に行くようになった。

加藤諦三さんの本に書かれていたように、ボランティアや奉仕は余力の
ある人がやることだと思う。
私のように体調に波があり、心身が不安定で、どちらかというと自分が
生きているだけで精一杯という人がやることではないのかもしれない。
それでも、別に恩を着せるわけではないが、何とかそんな中、自分の
こともままならない上で、義実家に通ってきた。
義兄は義兄で今は特に義母が負傷していることで大変なのかもしれないし、
申し訳ない気持ちもあるが、こちらも無理を重ねてまでやることではない
と思っているし、私達は私達なりに精一杯義母に関わっている。
それでいいんじゃないかなと。
物質的に本当に人の手が足りなくて、義母を病院に連れて行ける人が
いなくてとか、そういうことがあるなら、もちろん私は義母を病院に
は連れて行く。
でも実際頼まれてもいないのに、しかし自分の無理を重ねてまで、
旦那も言っていたが、下手に手を出すこともないのかもしれない。

ただ、旦那の仕事の状況は何となくは義兄にはわかっているかもしれ
ないが、私の事情は義兄は知らない。
HSP、愛着障害、そしてもう更年期にももしかしたら片足突っ込んでいる
かもしれなくて、最近は「もしかしてうつじゃないのか」と思う時も
あるくらい、やる気が出なかったり体が異常に重かったりの時も多い。
そして恐ろしく体力がない。
しかし一見すると私は元気にも見えるので傍からはなかなかわかって
もらえない。
働いてもいなくて、子育てしてるわけでもなくて、暇そうな元気そうな
嫁がたった2週間に一度買い物に行ってるというだけで面倒見てる気に
なるなよ、と思われていたとしたらちょっと悲しい。



母が嫌い

2023-06-29 14:22:39 | テレビ
この間実家に帰った時に母親は、姉のことをやたら褒めていた。
姉は1年くらい前からパートに出ている。中学校の教員の補助的
な仕事。たまに勉強を教えたりもしているらしい。
「お姉ちゃんはすごいわよ。子供に勉強が教えられるんだから!」と
嬉々として私に言う。
そう言えばこんなことも言っていた。
「お姉ちゃんは一番いいわよ。家のローンもなかったし、○○くん
(姉の旦那)の退職金も丸々自分たちのものだし。お姉ちゃんが
一番お金持ち!!」(姉は婿取りで実家を継いでいる)
これらは私への当てつけだと私は思っている。

「実家に残ったお姉ちゃんは神」
「外に嫁に出た私は悪魔」
くらいの扱い。

私が嫁ぎ先で頑張っていることなど一切認めない。

私が今住んでいるのは実家からは他県で、実家に比べたら都会。
要するに土地の値段も実家とは全然違う。
そういう街で土地から買って家を建てられたことは大袈裟かもし
れないけど私は誇りに思っている。
何千万ものローンは背負ったがそれでも今の家を建てたことは
後悔していないし満足している。
実家の両親だって都会で家を持つ大変さの認識はあるのに、それ
を私達の力だとは認めたくない。

あからさまな意地悪は大人同士だからしないが、チクチクした嫌味
だったり、母で言うとさきほどのようにやたら姉や他の人を
褒めることで私を下げようとするのだ。
普通母親だったら娘が傷つかないように娘に嫌な思いをさせたくない
と守るものなんじゃないの?と思う。
しかしウチの母親は少なくとも私には違う。
攻撃をしてくる。

姉も同じ。
親戚に子供が産まれたりすると、やたら「ママさんになったんだって!」と
わざわざ「ママさんになった」という言葉を使い強調するのは私への
攻撃だと思う。

要するに実家の家族にとって私は「敵」なのだ。

こういう事実を目の当たりにすると傷つく。
実の親や姉妹から悪意を感じるってとても孤独なことだ。


ここにも既に書いていたが、今回実家に行く前、お正月に帰ってからは
あんまり実家に帰りたいと思わなくなっていた。
GWは何とか「体調が悪かった」と言い訳して、今回は父親が腰を
悪くして寝たり起きたりの生活になっていると姉から聞いたので
行くことにしたが、内心はそれほど行きたいとは思っていなかった。
まだ少し涼しいうちにコテージ泊でキャンプでもしたいなとか、また
どこか安い宿にでも泊まりに行きたいなと思っていた連休だった。

義実家に行っていたのも行きたくて行っていたわけではない。
加藤諦三さんが「奉仕したくてしているわけじゃないから相手に
憎しみが湧く」と言っていたがそれは本当だ。
私は義母に憎しみが湧いている。
立派な奉仕をしているつもりだったが「無理をして身銭を切っていた」
だけだったのだ。

そう考えていくとすべての辻褄が合う。
私は自分の為の行動ならできるのだ。
しかし人の為に動きたくない。
そうしなければいけないと勝手に自分の中にルールを作り、やり
たくもないことをやってきただけだった。
そういう人は自分の意思でやっているわけではないから、毎日が
いっぱいいっぱいになるらしい。
実家の母が毎日家事だけで、他に何もやろうとしないのは、心に余裕が
ないからなのかもしれないと思った。

義実家にも自分の実家にももうクソ真面目に行くのはやめようと
思った。
と言っても、またそれで極端に舵を切っても問題が出るので、
義実家へはとりあえず「お休み」を作ることにする。
生理の前の回は私は行かず旦那だけに行ってもらうとか。
そして実家にはもう年に1,2回でいいやと。
そしていつもは午前中に行って夜までいたけど、もうあえて数時間し
かいないということにしようと思った。
わざわざ実家に来ました~という感じではもう行かない。
どこかに行った帰りに寄るとか、午前中に行った時には午後3時くらいに
早めに帰るとか。

寂しい寂しいと思っていたが、結局実家に帰っても余計に寂しくなる
だけだった。
人との会話に飢えていたが、これじゃあそれを満たすより何倍もの
打撃を受けてしまう。
もう本当に実家は無理だと思った。

実家の母も姉も大嫌い。
(父もなんだかな・・)



少し浮上

2023-06-28 11:40:48 | テレビ
今朝のブログを書いたあと、しばらくゲームをやったりyoutubeを
見たりしていたら、意外とお腹が空いてきたのでご飯を食べた。
ご飯を食べながら、またハヤブサさんの試合を見たり、雁之助さんの
動画を見たりしていたら、少し元気が出てきたので、洗濯物も干すこと
ができた。
日曜日に洗ったきりだったと思う。
相当たまっていた。
でもやっぱり今日干せて良かったなと思った。

その後、何となくだけど、今までピックアップしてきていた宿泊先な
どの動画を見たり、予約サイト等を見ていたら、段々とまた「あ~やっぱり
どこかに泊まりたいな」という気持ちになってきて、ペンションや旅館
などをあれこれ見ていたら、また一段と元気が出てきた。

以前は旅館などを調べる際は、ただ単に検索サイトで検索をかけて、
引っかかってきたものを見ているだけだったのだが、ある時youtubeで
「私の宿泊先の探し方」という動画を見てみたら、Googleマップを使って
探していると言っていたので、その人と同じようにGoogleマップで検索
をかけてみたら、今までヒットしてこなかった宿泊先が続々と見つかり、
テンションが上がった。
今もGoogleマップで良く調べている。
選択肢が多すぎるくらい次から次へと見つかるので、かえってわけが
わからなくなることも多いくらいだ。

再来週はまた旦那が連休になる。もう気温がだいぶ上がってきて暑いの
で温泉もそれほど入りたい!という感じではなくなってきたし、
ここで何度も言っているが浄化槽の工事のこともあるので、次にちゃんと
どこかに泊まるのは秋以降かなと考えていたが、このところの精神状態
のことを考えると、次かまたはその次かの連休にもどこかに泊まりに行き
たくなりそうだ。
素泊まりでいいから、気分転換にどこかに泊まってもいいかもしれないと
思ったら、ちょっとだけテンションが上がった。


実家の母は(というか父もだけど)いつも同じ生活を繰り返している。
朝起きてご飯を食べ、洗濯物を干して掃除をして、午前中のうちに
スーパーへ行き、お昼を食べて、あとはまた夕方になると夕飯の支度をし
て・・。
正直毎日毎日同じスーパーへ行くのが面倒ではないのかとかも思うし、
たまには外食したいとか、どこか行きたいとか思わないのかなと不思議に
思う。
まぁ、話を聞いているとどこかに行きたいは行きたいらしいが、コロナが
怖いらしく、特別に旅行するということができないらしい。
それでも市内くらいだったらまだ父親も腰を悪くする前は車の運転が
できたので、ちょっと気分転換をするくらいはいいんじゃないかなと
思うが、それも行かない。
いや、行かないことが悪いのではなく、良く平気だなと思う。
ガス抜き・・というより、ガスもそもそもそれほど溜らないのだろうか。
この間行った時も母と2人きりで話す場面もあったが、それほど不満という
か愚痴のようなものも特に出てこなかった。

私も毎日買い物に行って、母のように規則正しく毎日同じパターンの
生活をしたら、その方がメンタルにはいいんだろうか。
いやしかし、スーパーに行って一日分の食材しか買わないというのが
もう信じられない。つい毎日スーパーに行くというルールを忘れて
思わず次の日の食材まで買ってしまいそうだ。

とにかく今は、平日は外にあまり出たくない。
買い物に行くのが億劫。
正確に言えば、自分の為の外出なら出る気になるのかもしれない。
しかし義務としての食材の買い出しなどに行く気が出ないのかもしれ
ない。
もう最低限の家事だけをやり(今日のように、時々大量の洗濯物を
干したりして)ご飯作りは基本的にはやらない。
買ってきてもらったり、何か適当なものを済ましたりしながら、
気の向いた時だけ出かける、とい生活をやってみようか。
ま、そうでなくても今日はもういい加減冷蔵庫に食材がないし、
洗濯物は辛うじて干したが、夕飯まで作る気にはなれないので、
やらないが、明日もきっと外には出たくないだろう。
ちょっとだけ屋外で過ごす、とか、歩いて1分くらいのところに
自然豊かな場所があり、そこで少しのんびり過ごすとか、そういう
ことなら出たくなるのかもしれないが、出かけるとなると化粧をし、
車に乗ってどこかまで行き、どこかに行くと言っても結局はもういい
加減飽きてしまったような場所しか思いつかないし、涼しい風が吹い
ている日ならいいが、もう段々空気がモワモワとしてきて気温も30度
近くになる日が多くなってきたので、お出かけはここらで一旦終了で
あとはまた秋口に涼しくなってきてからになるかもしれない。

ま、とりあえずしばらくは家の中で遊ぼう。
気ままに。
やりたいと思ったことだけをやろう。

で、そのうちまた現実逃避にどこかに行ってみよう。



憂鬱

2023-06-28 08:30:34 | テレビ
今日からまた生理前の1週間に突入した。
昨日の不機嫌はその影響もあるのだろうか。
生理が来たらまた元気が出てくるのだろうか。

ゆうべは結局何時まで起きていたのか、自分でも良くわからない。
3時は確実に過ぎていたと思う。
4時までにはなっていなかったと思うから3時半くらいには寝たの
かな。
先週プラスチックゴミを捨てるのをサボっていて、いや、もしかしたら
その前の週もサボっていたかもしれない。とにかくプラスチックゴミが
たまっていたので、アラームで7時40分に起きて、ゴミ捨てに行って
きた。
体は辛いが、やっぱりゴミもきちんと捨てると気持ちがいい。
ついでにゴミ捨て場まででも、少しでも外の空気を吸うのも気持ちが
いいものだなと思った。
2,3週間前にカリブラコアという花を3つ買い、庭に点在させている。
買って植えた直後は元気がなかったが、ここ1週間くらいかなり復活
してきていて、今朝も綺麗に咲いていた。
ネットの画像などを見ると本当はもっとブワッと大きくなるのかもし
れなくて、ウチのは元気のない方なのかもしれないが、それでも植えた
時よりちょっとでも大きくなってきてるのを実感すると嬉しい。
花は植えるのが面倒だし、水やりも怠ると花の種類によっては途端に
元気がなくなったりするので、世話も大変だけど、やっぱり庭に綺麗に
花が咲いているのと咲いていないのとでは気分が違う。
もう自然くらいしか私を救うことはないのだろうかという気持ちにも
なった。
どこか自然の多いところに出かけたい気持ちもなくはないが、何しろ
体力がない。
とりあえず今日は休む。
いや、今日から休む。
なんていうか人生のお休みじゃないけど、私はきっと疲れてしまった
んだと思う。
気が向いたことだけをやろうと思う。
が、早速洗濯物が溜っている。
やりたくない。
明日に回すか?

とにかくもう家事もしたくなくなってきた。
洗濯や片付けは好きな方なので、寝不足があってもそれだけはできたが
今日はなんだかやる気が出ない。
なんかもうこれってうつなのかなとも思えてきた。
とにかくストレス耐性が低い。
親も親戚も、そしてついに旦那までも、その態度や言動によっては
恐ろしく大嫌いな存在になる。
少し前に境界性パーソナリティ障害のことをネットで調べたが、
(いつも見ているyoutuberさんが境界性パーソナリティ障害と診断
されたと言っていたので)
私に少し当てはまるところもあった。
生理が来たらまた浮上するのか、もう当分はずっとこのままなのか
わからない。
が、とにかく気分が落ち込んでしかたがない。

そして今週末の義実家行きも休む。

とにかく憂鬱な気分からなかなか抜け出せない。



喧嘩

2023-06-27 21:22:20 | テレビ
お風呂から上がり、髪を乾かしたあとに、急に心臓が痛く
なった。
キューっという感じが断続的に続いた。
こういうのは実は初めてではない。
生理前の時期になるとたまに出たりする。毎回ではないが。
でもいつのもそれとのハッキリした違いなどはわからなかったが、
今日のはなんかちょっと不安になったので、リビングに戻り旦那に
言った。「心臓が痛い・・」と。
私はショーツ1枚履いていただけで、あとはバスタオルを巻いただけの
格好だった。リビングでyoutubeを見ていた旦那のすぐ横に座り、心臓を
抑えていた。
旦那は「大丈夫?」という感じで私を見ていたが、物凄く慌てる感じも
なくただただ私を見ていたという感じだった。
すると、そのうち旦那の口から

「片乳出てるよ」

という言葉が出て来た。

私は瞬時に怒りが湧いた。

こっちは心臓が痛いと言っている。
いつもはイチイチ旦那には言わない。
でもなんかいつもと違う感じがしたのか、なんかあったら怖いなと
不安だったから旦那に言った。
不安を共有してもらいたかった。
それなのに「片乳出てるよ~」と冗談っぽく旦那が言った。
こちらはそれどころじゃないのに。


実は実家のことも私はまだ引きずっている。
今日も昼間や夜、そしてそう言えばさきほどお風呂から出てドライヤーを
かけている時にも父の言葉を反芻していた。
そして嫌な気分になっていた。
旦那にも日曜日に散々愚痴ったので、私がどれだけ傷ついて、今
どれだけ病んでいるのか知っているはず。
しかし昨日今日と、平日になってからは、実家の話は旦那には一切して
いないので、旦那はいまだに私が黒い気持ちになっているとは思って
なかったのかもしれない。
それでも2日前には深刻に落ち込んでいたのだから、そういう時くらい
もうちょっと優しくしてくれてもいいんじゃない?という気持ちにも
なった。
しかしそこまで気の利く男でないことは私も重々知っている。
でもそう訴えたくなり、訴えた。
あなたまで私に優しくしてくれないの?と。
旦那はずっと平謝りだったが、私にしてみればどこまで悪いと思って
るんだかという感じだった。

こっちが結構深刻になっているのに旦那にはイマイチその深刻さが
伝わらないということが多い。
ここまで言わないとわからないの?と思うくらい伝わらない。
言わなくてもわかるでしょうという場面も本当に多くあった。

いや、今はそういうことが問題ではないのかもしれない。
「心臓が痛い」と言ったら、大袈裟なくらい心配してくれて、
こっちが「大丈夫だと思う」と言っても過保護なくらいに心配
してもらいたかったんだと思う。
あぁ、実家の家族は私には冷たいけど私にはこんなに親身になって
くれる旦那がいる、それでいいじゃない、と。
要するに、それくらい実家での出来事は自分の想像以上にダメージ
が大きかった。

10年前に初めて「ウチの親は普通じゃなかったんだ」と気づいてか
ら数年間は本当に悩んだ、「私は自分の実の親に愛されてなかった
んだ」と。しかしその後実家と音信不通の時期を経て、私は自分の生活を
もっと充実させることに頭が向いていった。コロナで2年半くらい
実家には帰ってなかったけど、特別それほど寂しいとは感じてなか
った。
しかしどういうわけか、今年の正月に実家に帰った時、母と姉の言葉に
悪意を感じた。
なのでその後は当分帰りたくないなと思い、GWも帰らなかった。
あまりにも帰らないとそれはそれで文句を言うのでGW明けに姉と
連絡を取った時に「ここのところちょっと体調を悪くしていた」と
いうようなことを言った。足を痛めていたり、その他もちょこちょこ
した不調はあったのでまったくの嘘ではなかったが、実家に帰れない
ほどの不調でもなかったし、不調だからと言って実家の家族に甘えたい
だとか、心配してもらいたいという気持ちもなかった。
「もう実家のことで悩まなくもなったし、どちらかと言えば自分の
生活のことで頭がいっぱいだし、特別心配してもらいたいとも思わなく
なったし、私もずいぶん大人になったよな」とちょっと思っていたの
だ。今回実家に帰るまでは。
しかし物凄く強烈な言葉を言われたわけではないのに、何故か今回
もまた酷く落ち込み傷ついて帰ってきた。
自分には旦那以外味方はいないんだなと寂しい気持ちにもなった。

というのも、最近特に自分の老後の不安を感じるようになっていた。
家の修繕や家電の買い換えなど、自分1人で対応したことがない。
電球の取り替えでさえ。
元気ならまだいいが、病気になったら手術するとなったら怪我をして
動けなくなったら・・と次から次へと不安が浮かぶ。
老後の不安が増したのは義母の姿を見ているというのも大きいと
思う。
正直義母が今のようになるとは思っていなかった。
「とーちゃんが死んだら、私はここをこうするから」とかまるで
それを楽しみにするような言い方を義母は良くしていた。
甘えているのはお義父さんの方でお義母さんは姉さん女房だった
こともあり、1人になっても義母ならしっかりやっていけると思って
いたが、まさか義母がここまで弱るとは思わなかった。
身体的にというより、とにかく寂しくて1人でいられないという感じ。
「何も楽しみがない」
「生きていてもしょうがない」
「やることが何もない」
そんなことを会うたび言われている。
そんな姿を見ていると私は一体義母と同じくらいの年になったら
どうなるのだろうと不安しか見えてこなくなった。

そんな昨日、私は思いつきで「老人 電球取り替え」とネットで
検索をかけた。
すると、高齢者向けの何でも相談室みたいなサイトが引っかかり、
高齢者の人が「1人暮らしなのだけど電球が取り替えられません。
こういう作業はどこに頼んだらいいのでしょうか?」と質問して
いた。
するとそれに対して複数の回答が寄せられていて「街の電気屋さん
が近所にあるなら、頼めばやってくれると思いますよ」だとか
「自治体や市の高齢者サービスでそういうことをやってくれるところ
もあるので役所に聞いてみては?」とか何件が回答されていた。
それを見たら何となく「そうか、年寄り向けのサービスとかも
今はいろいろあるんだな」とも思ったし、まずそうやって1人暮らし
の人が実際に電球を変えられなくて困って質問を寄せていたというだけで
困っている人は(私は将来的にという意味だが)私だけじゃないん
だ、というような気持ちにもなれた。
そのことを旦那にも今日の夕方に話したばかり。
実家の愚痴に合わせて老後の不安の話も旦那にはしていたので
「(そのネットのサイトを見たら)ちょっと安心できた」と
言っていた。

どこかが痛いと訴えても大抵は次の日になると良くなっていると
いうことも多い私なので旦那も大したことはないかなと思ったの
だと思う。
片乳出てるよと言って、私がプッと笑ったらそれで「まぁ、大丈夫
かな」となるだろうと思っていたのだと思う。
でも私は自分の片乳が出ていることにも気づかないくらい、(片乳
片乳と書いているとなんだかちょっと笑えてくるが^^;)不安
になっていたのに、そのこちらの深刻さも知らずにそんなことを言う
なんて!!と激怒した。
まぁ、他人にこんな話をしたら、ただの痴話げんかくらいにしか
思ってもらえないくらいの話なのかもしれないが、それに激情して
しまったのも、やはりこのところの精神状態が不安定だからだと
思う。
もうちょっと空気の読める旦那なら、「たぶん大したことはないんだ
ろうな」とは思っても、まぁこういう時だからと、ちょっと過保護に
対応するくらいのことはあるのかもしれないが、まずウチの旦那は
完全に空気の読めない人なのでそれは無理だったのだろう。

犬が亡くなってから私は辛い時「あの介護生活に比べたらまだいい
かも」と思うようになった。
それは本当のことで、もしかしたら今まで生きてきた中で一番辛い
1年だったかもしれない。
犬の命がもうあとわずかだと言われたことはもちろん、その辛い
状況の中で、ちょっとでも気分が明るくなる為の気分転換がまったく
できなかったということが一番辛かった。
ただただ24時間、いつ死んじゃうかもわからない我が子を見守る
毎日。たまにはどこかに出たい、でも出かけている間にこの子が死ん
じゃったら私は一生後悔するだろうなと思うとどこにも行けなかった。
外に出たのは1週間に一度たった40分間の買い物と、2週間に一度の
犬の病院だけだった。
正直病んでいた。

今は出かけようと思えばどこでも出かけられる。
こういう時はちょっと日常を離れて、旅行にでも行けばいいのかも
しれないが、ちょっと贅沢を言えば、去年の屋根の工事がなければ、
旅行ももっと余裕を持って行けた。
もっと言うとこのあと浄化槽の工事も控えているのでそれもいくら
かかるかわからないのがちょっと怖いというのもあり、「もうどっか
行っちゃおうか!」とイマイチ思い切れないのもちょっと辛い。

あぁ、なんか憂鬱な気分にまたなってしまった。
今日寝れるかな。
寝れないかも。