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SARAのブログ

日々のことあれこれ

姉に対して思うこと

2023-07-13 07:24:16 | テレビ
1個前の記事を読み返したら、1つ思ったことがあった。
長男とつきあい、その人と結婚し家を出たかった姉。
その姉の結婚が決まる前に私は旦那と結婚を決めた。
これは姉にとってはショックなことだっただろうと今は思う。
この話だけを聞いた人がいたとしたら「それはお姉さんに一言、
私結婚してもいい?家を出てもいい?とお姉さんにも了解を得るべき
だった」と言う人もいるかもしれない。
しかし当時、姉とその人は確かにつきあってはいたが、本当に「つ
きあっている」と言っていいのかわからないような関係だった。
まず、数年つきあっていたが一線を越えていなかった。
それどころかキスもしたことがないらしかった。
お芝居を観るのが好きな人だったので、チケットが手に入ったり、
見たい映画が公開されたりすると姉を誘って良く行っていた。
でもウチに来たことは一度もない。
ウチに上がったり、ウチの両親に挨拶したこともない。
もちろん相手の家に行ったこともなかった。
ただただお芝居に一緒に行くだけ。
話を聞いていると、それって本当につきあってるの?という感じだった。
でも姉はゾッコンだった。
お芝居に行く日は念入りに化粧をし、普段は絶対にしないマニキュア
までしていた。
姉はその人のことが好きだったのだろうが、どう見ても結婚する雰囲気
ではなく、それどころか「それってただの友達じゃないの?」という
感じだった。
父も同じ印象を受けていたようだった。
私の結婚が決まったあとだったか、姉のお相手のことを「ウチに一度も
来たこともないし、挨拶されたこともない」と不満げに言っていたのを
覚えている。真剣に交際しているという感じではないことは父も感じて
いたのだと思う。
なので私も「先に結婚してもいい?家を出てもいい?」と言う感じでは
なかった。酷いようだが私に言わせてみれば「結婚どころか、騙されてる
んじゃないの?」という感じだったのだ。
どう見ても結婚なんかする雰囲気ではないのに、それどころか、女とし
て見てもらってるかわからないのに、姉はそんな現実は無視して、
冷静に相手のことを見ることができなかった。
私の結婚が決まった数ヶ月後、姉はその人と破局した。
それは私の結婚とは関係なく、姉にまた別の、仲良くしてくれる人が
現れたのだ。その人の運転で姉と一緒に私達の新居にも遊びに来て
くれたこともあった。そして私達とその人と姉とで一緒に夏祭りに
行ったこともあった。その人の方がいいんじゃないの?と思っていた
ら、姉もそう思ったらしく、数年プラトニックな関係を続けていた
彼にはお別れを言ったと言っていた。ところがその、私達の新居にも
来てくれたその人に別の交際相手がいたことがあとから判明し、
姉は結局1人になってしまった。
それもまた姉にとってはキツい出来事だったとは思う。
私もその人とはうまくいってほしいとは思っていた。
しかしその人もまた長男だったので、母は反対していたが。
姉は、プラトニックな関係だった人と別れたこともあとから後悔し
たかもしれないが、あれは姉の為には別れて私は正解だったと思って
いる。しかし姉の本心はわからない。
姉はその一連も流れもあったからか、私を恨んでいたのかもしれない。
そのことを旦那にも言ったことがある。
でも旦那は「もう既に2人の中で(姉とプラトニックな彼との中で)
密かに結婚の話が出てたとかならまだわかるけど、あんな、結婚する気
があるのかないのかわからないような関係だったんだし、一応向こうの方
が年上でお姉ちゃんって立場ではあるけど、今時妹の方が先に結婚する
ことなんてザラにあることだし、変な意味じゃなくて、SARAの家は
一般の家でどうしても跡取りが必要な旧家とか名家でもない。ただ、
お母さんの願望があっただけで、絶対にどちらかが残らなきゃいけない
っていう状況かって言ったらそうでもなかったわけで。だから親に
言って親がそれを了承したんだから、それでいいと思うけどね。」
というようなことを言ってくれた。
私も正直、当時はその旦那の感覚と同じだった。

旦那も言うように、ウチは代々続く名家だとか、旧家の長男の家で、
地元の土地も持っててお墓もずっと長男が守ってきて、とかそういう
家でもなんでもない。ただの公務員の家。
その大きくもない普通の家に姉妹が産まれて、どちらかが婿を取れ、
なんてことを強要する母もどうかと思う。
「できれば残ってほしいわ~」という可愛い願望ではなかったのだ。
それはそれはもう狂気じみていた。
どちらかが残ってくれなかったらお母さんは死ぬ!!とかそのうち
言い出すのではないかというくらいの執念があった。
しかし私はその母の言うことを聞いて残るのは絶対に嫌だった。
もう自由になりたかった。
姉も最初は抵抗していた。
母に反対されても、その長男の人とずっとつきあい続けていた。
しかしその人とも別れ、仲良くなった別の人とも別れ、妹は家を出て
行き、1人になった時に、ウチの実家に激震が走るような事件が起きた。
ある人に騙されて、父が大金を失うという事件だった。
父は酷く落ちこんでいた。
一時は「俺はもう死ぬ!!」と母みたいなことを言い出すこともあ
った。
そんなこともあってか、姉は突然お見合いをすると言い出した。
婿取りの条件をつけて。
私がこの家の跡を取る!と言った。
それは偉かったと思う。
しかし姉は私ほどは実家に残るということ自体には抵抗はなかったの
だと思う。
私は絶対に家を出たかった。
そのプラトニックな彼とは結婚したくて、その人と結婚するということ
は自動的に家を出たいこととなっていたのかもしれないが、家を出たい
願望自体が強かったわけではなかったと思う。
去年、姉の子供が独り暮らしを始め、旦那の姪や甥も独り暮らしを始めた。
「みんな家を出ちゃうね。でも若い頃はみんなそうだよね。私も一度は
独り暮らしを経験したかった。」と私が言うと姉は「私はそんなこと
思ったことない」と言った。「そうなの!?」と言うと「だって寂しい
じゃん」と言った。
それを聞いた時、やっぱり姉は実家に残るべき人だったのかもしれない
と思ったのだった。

私が先に結婚したことは、姉にとってはキツかったのかもしれないし、
その後の破局なども辛い出来事ではあっただろうとは思う。
でも私としては、だからと言って意地悪をしたり、仕返し的なことを
されるまでのことをしたとは思っていない。
ましてや、ただ普通に結婚をし、家を出ただけで、母に辛く当たられる
理由もない。

母は良く人に対して不満を言っている。
父は良く人の批判をしている。
姉はわざと私を傷つけようとする言葉を言う。
結局みんな幸せじゃないのかなと思う。
私のように病んではいないのかもしれないが、決して満たされてはいな
いのかなと思う。
そんな人たちの態度に傷つき、私は精神障害を負った。
でもラッキーだったのは、子供がいなかったので、働く必要がなかった
ことだ。
子供がいたら働かざるを得なかった。
2人だからまだ何とかなっているが(ギリ何とかなっていない説もあるが)
子供がいたら完全にアウトだった。
それにこうして自分のことを考える時間がたっぷりあるのも幸せな
ことかもしれない。


自己理解

2023-07-11 15:49:11 | テレビ
数年前に「回避性パーソナリティ障害」というものを知り、その時も
「私これかも・・」とは思ってはいた。しかし最近になって改めて
調べてみると、見れば見るほど私はやっぱりこれだと確信する。
とにかく自己評価が低く、自信がない。
私はそれを自分に子供がいないせいだとずっと思っていた。
しかし回避性パーソナリティ障害は、親や友達から繰り返し批判や疎外を
受けることによってなる人が多いらしい。
自分に子供ができなかったからということよりも、私はやはり親に批判的
な評価を受け続けることによって発症したのかもしれないと思った。

親との関係がうまくいかなくなったのは、姉の結婚がきっかけだった。
私は姉より2年早く結婚し、実家を出ている。
「結婚する、嫁に出る」と言った時、最初母はいい顔をしなかった。
私が母に「○○(旦那)に婚約指輪をもらい、プロポーズを受けた」と
言うと母は真っ先にこう言った。

「私達を捨てるわけ?」

その数年前、私達姉妹が年頃になると母は良くこう言っていた。
「どっちかがお婿さんをもらって残ってちょうだいね」
私は嫌だった。
家から出たかった。
自分の好きな人と、二人だけで、好きな暮らしがしたかった。
私がまだ旦那とつきあう前に、姉が長男である人を職場の人に紹介され
つきあうことになった時にも母は憤慨した。
「長男じゃ、お婿さんに入ってもらえないじゃない!!」
しかし姉はそんな母に反抗し、つきあい始めた。
ただつきあうというだけなのに、母は「私はもうこの家から出て行く!」
と言ったりしていた。そして「そこまで反対しなくても・・」と言う私と
父には「そんなことを言う人たちとは一緒にご飯を食べたくない!!」
と言って一人でご飯を食べたりもしていた。その頃の母の荒れようは本当
に酷かった。
姉がその人とつきあっている時に、私が嫁に出ると言ったので、母は
余計に私の結婚にいい顔をしなかった。
しかし父が「まだ長女が結婚せずに家に残っているのに、他県の人(旦那)
に婿に入ってもらいたいとは言えない」と言い、私を嫁に出すと言った。
それで母は渋々私の結婚を認めた。
その数ヶ月後、姉がその長男の人と破局した。
そして私が結婚して1年が経とうとしている頃、姉は婿に入ってくれると
いう条件でのお見合いをして、今の姉の旦那と結婚をした。
すると、母の私への態度が変わった。
私が結婚してからも実家には私の部屋はそのままにしていたが、その部屋を
姉夫婦のリビングに使うということで私の部屋はなくなることになった。
「あぁ、これからは実家に帰っても自分の部屋はなくなるんだ」と寂しか
ったがしかたなかった。
そんな私に母は「早く部屋の物、片付けてちょうだい!!」と言ったり、
それまで実家に置いてあった私が幼稚園時代に書いた絵だとか、七五三の
写真だとか、そういったものを私が実家に帰るたびに用意されていて、
「それ、持って帰ってちょうだい!!」という言い方をするようになった。
母と姉と一緒にスーパーに行っても、それまでは母に甘えて、欲しいもの
をカゴに入れて母に買ってもらうという感じだったが、私がカゴに何か
物を入れるとすかさず姉が「お金ちゃんと払って下さいね!!」と言う
ようになったりした。
食事の手伝いをしても、ゴミの分別を私がたまたま間違えたら姉が
「ちょっとーーー!!!これこんなところに捨てないでよーーー!!」
とキツく文句を言ったりもする。
そんな姉や母の態度に酷く傷つくようになっていった。
母に電話をかけてもこちらの話はまったく聞いてくれない。
自分の話ばかりをする。
結婚したばかりの頃には数回、北海道のジャガイモを箱で送ってくれた
ことがあったが、姉の結婚以来、実家から何か物が送られてくるという
ことは一切なくなった。
それどころか電話の1本もかかってこない。
旦那はそんな私が可愛そうだなと思っていたとだいぶ経ってから言って
いた。
どうやったら、何をしたら、私がどんな風になったら親は私に関心を
持ってくれるんだろうとずっと考えてきた。
そのうち姉に子供ができて両親にとっての孫が誕生した。
きっと私に子供がいないせいだ、子供さえできたらもっとこっちを
向いてくれるかもしれないと思ったこともあった。
姉に子供ができた頃、私達夫婦は今の家を建てた。
しばらくして、少し大きくなった姉の子供を連れて、実家の家族が数回
来たこともある。しかしそこでもいろいろ嫌なことを言われた。
良く言っていたのは父だった。
「階段の傾斜が急だ」
「家の前の道路が狭すぎる」
これらは私達に直接言っていた。
そして帰ってから数日後に実家に電話をすると
「SARAんちは汚かったわね~って帰ってきてからみんなで言ってた
のよ~。玄関の前の落ち葉なんてちょっと掃除すればいいのにね~
って。窓のサッシも汚かったな~ってジージも言ってたわよ!!」
と言われた。
それからは実家の家族が来ると言うと、大掃除をするようになった。
批判的なことを言われたのがショックだった。

批判的なことを言うのは、私や私の家に対してだけじゃなく、旦那の家族
に対しても及んだ。もちろん直接ではないが。
旦那が10数年前に手術をしたことがある。
その時に両家の両親が病院に来てくれた。
先に帰ったのは旦那の両親だった。
旦那の両親が帰ったあと、すかさず私の父が言った。
「お義父さん、老けたなーーーーー!!」と。
そして旦那の両親がまだいた時に健康診断の話になり、お義父さんが
「健康診断なんてもう何年も受けていない」という話をしていたことも、
父は「何年も受けてないんだって!!そんなことある?!」みたいに
とてもバカにするような言い方をしていた。
そして旦那の手術が終わった頃にお義兄さんも病院に来てくれて、うちの
両親とも会ったのだけど、またお義兄さんから帰ると
「お義兄さん、顔ドス黒くない!?」と、それもまた心配するような
言い方ではなく、「何あれ?」とちょっとバカにするような言い方を
していたのを覚えている。
そして極めつけは義父のお葬式の時だ。
人が1人亡くなっている。
しかも旦那の父親だ。
それなのに葬儀に来た両親は私に自分たちの話ばかりをしている。
義父のことなんて一つも話さない。
そして、両親揃って信じられないことを私に言った。

「人少なくない?!」

要するに葬儀に参列している人が少ないと。
もし本当にそういう感想を持ったにしても、実家に帰ってから言うなら
まだしも、私に言うか?それも葬儀の場で、と思った。
そうやって、自分たちが一番偉いような顔をして、人の批判をする。
そういうことがもう私の中では当たり前になっていて、実家に帰る時は
ちょっとでも自分の容姿を批判されないようにと思いながらいつも帰った
りしていた。
回避性パーソナリティ障害の人は、他人がいつも批判的で不満を持ってい
ると思いこんでいると書かれてあったが、これは間違いなく、実家の家族
に繰り返し批判され不満を持たれてきたからだと思った。

こうして問題が表沙汰になったのは姉が結婚してからだが、その前から
やはりウチの両親、特に母親はやはり普通ではなかったと思う。
私は恐らく愛着障害もあるのだと思う。
そしてそれは間違いなく母が原因だと思う。

回避性パーソナリティ障害の症状を見ていると、その症状はもう2005年
には既にあった。
とすると最低でも18年、私は精神障害を持って生きてきたことになる。
その間にも本当に深刻に両親との関係に悩み苦しんだ時期もある。
そして今も。
私がここまで苦しんでいても、その間母は、のほほんと生きてきたの
だ。そして今も。
旦那に言わせると「向こうだってそれほど幸せではないかもよ?」
と言ってくれるが、少なくとも私よりは全然苦しんではいない。
そう思うとなんだかやるせない気持ちになるのだった。

しかしやはり自分が回避性パーソナリティ障害だと確信し、自分の中
では楽になった。
今まで、人に会いづらい自分、社会に出ていけない自分、普通に働け
ない自分が本当に情けなくて、そう思ってしまう自分は本当に駄目な
人間だと思ってきた。
しかし今はそういう精神障害なのだからしかたがなかったのだと思えた。
むしろその状態で長年良く頑張って生きてきたなと思った。
回避性パーソナリティ障害のことを解説している動画の中で「自己理
解」が大切と言っていた。「自分はこういう人間なんだと思うことが
大切だ」と。
それは本当に大切なことだと思った。
そう理解するだけで気持ちはだいぶ違う。
今まではそんな自分を無意識に責めていた。
しかし今は「良く頑張ってきたね」という気持ちの方が強い。

HSPとも相まって、自分にはできないことが多かった。
しかしそんな自分では駄目だとずっと思ってきたので、無理をすること
が多かった。できないことを頑張ってやろうとしていた。
しかしもうしない。^^;
無理はもうしない。
できなくて当然だったのだ。
今はそんな自分を許してあげている。


売れた

2023-07-06 12:12:33 | テレビ
メルカリに出品した商品が早速売れた!
久しぶりの出品だったのに、こんなに早く売れて嬉しいのだけど、
やはり緊張もする。
ピリッと緊張しながらも、相手から来たメッセージに返信をした。

以前出品していた時も感じたことだが、メルカリをやっていて、
一番嬉しいのは当たり前だけど商品が売れた時だが、2番目は、
購入者と形式的なやり取りがあるのだけど、その形式的だからこそ私も
それがちょうど良いと感じるのか、そのやり取りがあることがなんだか
いつもちょっと嬉しいのだ。
これを感じた時は「私はやっぱり寂しいのかも^^;」と思った。
普通の人なら、普段から仕事を通じてこの程度のやり取りなんか
日常的にしているだろうから、感じないのかもしれないが。

そんなに寂しいなら、自分の身近な、友達や家族ともっと連絡を
取ればいいのにと思われるかもしれないが、それは逆に負担になる。
私は相手のLINEの文章にも不満を持つことが多い。
なので、自分の文章も相手に不満に思われないようにと物凄く
気を遣う。これが半端なく疲れる。
なので、自分の誕生日や友達の誕生日にメッセージを送り合って
いるのだけど、このやり取りは絶対にあった方がいいとは思っては
いるけど、それでも誕生日の前になると、「あぁ、またあのやり取りが
あるのか」とちょっと憂鬱になるのだった。
そしてまた相手のLINEの内容に逆に寂しくなったり、こちらが送り
返した内容に対しての相手の返事に不満を持ったり、いろんな感情
になってしまい、結果嬉しい気持ちよりも「大変な作業」という印象の
方が大きくなってしまうのだった。

なので、メルカリのような、取引上のやり取りで、形式的事務的では
あるのだけど、その中にも人によってはちょっとだけユーモアを交えた
人もいたりして、見知らぬ人だし、この先も2度と接する人のない人
なのだけど、そのやり取りがなんかちょっと嬉しくて、ちょっと充実感
があるのが、毎回感じることだ。

そんなわけで久しぶりの出品は物凄いスピードで売れた。
でも発送は明日にしようと思う。
今日はもうキャパオーバー。

出品

2023-07-06 10:28:45 | テレビ
久しぶりにメルカリに出品してみた。

このところ気分が落ちこんでいたが、だからと言って気分を変える
為に出品したわけでもなく、単に、ずっと出品しようと思っていた商品
の賞味期限が近づいていて、商品として価値がなくなる前に出品しなく
てはと、追い込まれての出品。
その商品は全部で4つあるのだけど、その中の1つが来月に賞味期限が
切れてしまうので、とりあえずそれだけを出してみた。しかし残りも
10月には切れてしまうので、近いうちに出すことになると思う。

メルカリに出品しようと思っているものは、他にもちらほらあるが
どれも1,000円前後くらいの利益のものばかりで、それ以上になるのは
今回出品したものとあともう1品くらいだ。
やり始めた頃は出品した物のうち、半分以上は売れたが、ここ2年くらい
はあまり売れないという印象だ。
なので、今回は賞味期限の問題があったので、えいや!と出品して
みたが、他のものはイマイチやる気が出ない。
また、メルカリは私が唯一できるお金が稼げるものという認識も
あったが、今はそれにもあまり期待が持てないなという印象。


経済的な不安があり、働かなきゃいけないかなぁ、働いた方がいいんだ
ろうなぁという気持ちはずっとあった。
しかしやはり踏ん切りがつかなかった。
踏ん切りがつかない自分も少し情けなく思っていた。
しかし改めて回避性パーソナリティ障害のことをいろいろ調べていると
「なるほど、これじゃあ社会に出られるわけがない。」と感じる。
今までは「みんなどうやって心を保って働いているのか・・?」と疑問に
近い気持ちでいたが、みんなと私はやはり違かったのだ。
きちんと頑丈な鎧を着て戦場に向かっていっているみんなと、鎧を着られず
生の傷をそのまま晒しながら裸で戦場に出ようとしていた自分、って感じだ
ろうか。
ダメージの受け方、感じる痛さも何倍も違う。既に傷も負っていて、そこ
を狙われたら致命的。私はそんな状態なのかもしれない。


今から5年前に自分がHSPだと初めて知った。
しかしそれを話したことがあるのは、旦那と義姉だけだ。
友達にも言っていない。
実家の姉は去年から働き始めたことで、少し自分に自信を持ったのか、
働いていない私にそれをひけらかすような言い方をしてきたりもする。
友達にも「これはちょっとした嫌味なのではないか」と感じたことも
あった。
みんな自分が頑張って働いているから、家でのんびりしている私に
いろいろな感情を持って言っていたのかもしれないが、それも私は
傷ついてきた。
しかしどうしても外に働きに出られない自分もいて、それは単に自分
が未熟だからとか人より何かが劣っているのだろうと無意識に思って
きた気がする。
なので今は実家の母や姉にも「私は回避性パーソナリティ障害という
ものを持っている」と言いたい気分。そして「それは半分はあなたたち
のせいですよ」と。しかし母はまずそれが自分のせいだとは認めないだろ
うというのは容易に想像できるし、姉もそれで「可愛そうなSARA」とは
絶対思わないどころか、ますますそこを攻撃してくる可能性もある為、
リスクの方が大きい。
なので、実家はやはり最小限のつきあいにするというのが懸命だと
思った。
そして最近では仕事をしていないことで友達から攻撃されるということ
はあまりなくなったが、もしまたそんなことがあったら、その時は
言ってもいいかなと思った。
そういう理由があって、こっちだって苦しいんだよと。
働きたくても働けないんだよ、と。
実際には言わなくても、そうなったら言えばいいよねと思っただけで
少し心が楽になった。

回避性パーソナリティ障害の本には「生きるのが面倒な人」というサブ
タイトルがついていた。確かにそういう面もあるのかもなと納得もする
が、私はやはりうつの傾向もあると思う。
本当は何もやりたくない、が本音だと思う。
最近はもうやりたくないことはやらなくていっかと開き直ったりも
しているが、状態としては、とにかくやらなきゃいけないことを「よい
しょ!」「えいや!」と気力を振り絞って毎日やっとでやっているという
感じだ。
買い物もできれば行きたくない。
でも自発的に「今散歩がどうしてもしたい!」とか「ここにどうしても行き
たい!」と衝動的に思ったことは比較的心の負担が少なく、できる。
それ以外はなるべくだったらやりたくない、というのが本音だ。
ただ、今はちょうど生理直前という時期でもあるので、その影響も多いに
あると思う。
生理が来たら、またいくらかはやる気も元気も出てくると思う。
そういう時期にやはり義実家には行ってはいけなかったと激しく後悔
した。

何かのせいにする、人のせいにする、と考えるとそれもどうかという
気持ちもあるが、私が外に出られないのも社会に出られないのも、ちゃん
と理由があったんだ、そしてそれは恐らく親子の関係も大きく起因してい
る、私が悪かったわけじゃなかったんだ、私はむしろ被害者だ、と思え
たことで、ちょっと楽になれた。
回避性パーソナリティ障害は「病気」ではないのかもしれないけど、本人が
好きでなったわけでも何かが劣っていてなったわけでもないことで、「障害」という言葉がついている通り、生きる上では正に「障害」だと自覚した。
これだけのハンデ、そしてそれに伴うストレスを感じて生きているのだから、
他の人と違くて当然だ。
そしてなかなか一般的には理解してもらえない苦しさだってある。
そんな自分なのだからもう自分に優しくして生きていけばいいんじゃない?
という気持ちにもなれた。
好き勝手とまではいかないが、やりたいことを我慢することもないし、
頑張らなくてもいいんじゃない?とか。
そして何よりそんな自分を卑下する必要もないし、あとはもう自分がちょっ
とでも楽しいとか、楽だなとか思えることをなるべく探して生きていけば
いいんじゃない?と思った。
まぁ、できることなら、克服して、少しでも普通の人と同じように生きて
いければそれが一番いいし、それは目指していくけど、これから追い追いの
ことで何年かかるかわからないので、当面はそんな感じでいいんじゃないの?
という気持ちになれて、今までは自分を駄目な人間だ、情けない人間だと
責めることばかりだったので、そういう意味ではかなり楽になれた。


研究

2023-07-06 08:15:42 | テレビ
10日前に実家に帰った時も、4日前に義実家に行った時も、
私は酷く傷ついた。
鬱状態になりかけたり、実母や実姉にも物凄い嫌悪を感じたし、
義実家に行った時には、もう義兄が怖くて怖くてしかたがなくなった。

そしてそれを義実家に行ってきたその日にも旦那に言ったが、モヤモヤが
晴れず、次の日の日曜日にも旦那に言った。
旦那はまた「なんでSARAがにーちゃんに嫌われるのよ。嫌われるようなことも何もしてないじゃん。」と言う。
私は「でもお義兄さんが怖くてたまらない。怖くて怖くてしかたがない」
と言うと「怖くないよ、大丈夫だよ」と。
こんなに恐怖に戦いているのに「怖くないよ、大丈夫だよ」と言われて、
「そうか、怖くないんだ、大丈夫なんだ」なんて思えるわけがない。
私は旦那に言っても理解してもらえないというような半ば怒りの感情も
湧いた。
その会話はリビングでしていたが、旦那に「もういいよ」と言わんばかりに、
私はまた寝室へ行った。
そういう態度は旦那にも伝わっていたはずだった。
なのに、旦那はそのあともずっとリビングから私のいる寝室には来なかった。
この態度を私は、旦那が自分のどうしようもなさに呆れかえり、もういいや、
放っておこうと突き放されたような気分になった。
旦那に猛烈な怒りが湧き、私は寝室で着替え、リビングにスッと入ると
自分のバッグだけを持って家を出た。
車で出て行った。

もう家にはいたくない!という気持ちだった。
こんなに苦しいのに、こんなに絶望的になっているのに、旦那はわかって
くれない、それどころかそんな私を放置した。
それが許せなかった。
結局その家出は夕方まで続き、その間何度も旦那からは電話があったり
私が無視をしたり、電話に出たりを繰り返しながら、やっとまた実家への
思い、お義兄さんへの思いを伝えた。

とりあえず旦那に対しては許諾ができた。



こんなことがある少し前だが、私がいつも見ているyoutuberさんが病院
で「境界性パーソナリティ障害」と診断されたと言っていた。
実は以前私も境界性ではないが、自分をパーソナリティ障害ではないか
と疑ったことがある。いや、疑うというより「私これじゃない?これだよ
ね」という確信に近いものだった。「回避性パーソナリティ障害」という
ものだ。
その時は「境界性パーソナリティ障害」ではないなと思った記憶も
あった。
しかし今回、実家や義兄のことがあった時の自分がなんだか少し
境界性パーソナリティ障害にも当てはまっているような気にもなり、
それもまたちょっとショックだった。

そして今、また改めて回避性パーソナリティ障害を調べてみると、
やっぱり自分そのものだと思えた。
回避性パーソナリティ障害は愛着障害とも関係があるみたいなので
やはり私は親とのことが関係していると思われる。
なので、今回のように親や姉の悪意にも敏感に反応し、絶望的な
気持ちになったのだと思うし、義兄の言動が自分に対する批判や否定
だと、というか以前から私は義兄に良く思われていないのだろうなと
いう気持ちを持っていたので、特に敏感に反応したのかと。

amazonでその手の本を買おうかなとも思ったが、思ったよりも
種類が少ない。
ネットの記事の方が詳しそうかなという印象だった。
そのネットの記事を見ている時に引っかかってきたyoutubeの動画も見て
みたが、たまたま見たその動画の解説は私とはちょっとズレてる気がし
て、それはちょっと腑に落ちなかった。
その動画の説明だと「傷つくことを恐れるが為に人との接触を避けて
いる」というのはその通りなのだが「孤独を自ら望んでいる」という
ようなことを言っていたのだが、そこは私とは違う。
本当は人と繋がりたかったり、親しく話したい。
だけど、人と繋がったり接したりすると、とたんに傷ついたり、嫌な
思いをするので、こんな思いをするくらいならと、いわばしかたなく1人
でいる。
ネットの記事では「本当は人と関わりたいのに」ということが書かれて
あったので、そこはネットの記事の方が私にはシックリきた。
なので、そのyoutubeの動画をやっている人がたくさん回避性パーソナリ
ティ障害についての動画を出してくれてるのが嬉しくて一瞬テンションが
上がったのだが、自分とちょっと違かったので、何となくその人の
言っている内容も信じていいのかどうなのか・・といったところ。
まぁ、まだ1個2個しか見ていないので、何とも言えないが。

amazonで数は少ないが、ドンピシャあった回避性パーソナリティ障害の本
も、回避性パーソナリティ障害を知ることに関しては良さそうだったが、
対処法が書かれていないとレビューに書かれていたので、買うのを躊躇
した。
これは私の悪い癖なのかもしれないが、「そうだ」と思うと「すぐに」
結果を求めてしまうというか、すぐにそうならないとイライラしてしまう
というか。ジックリと物事を進めていくということが苦手。待つことも
苦手。
なので逸る気持ちはあるのだけど、グッと抑えて、これからこういう
自分とも向き合っていかなければなと思った。

実家のことも義兄もことも、どこか自分がおかしいからこんな捉え方を
してしまうのではないかと自分を卑下してしまう気持ちもあったが、
こうした「パーソナリティ障害」という症例がある、そしてほぼ当てはま
っている、そしてそれは自分が悪いからとか劣っているからではなく、
いろんな原因があってそうなってしまったんだと思えるとやはり少し
楽になる。
克服は難しいのかもしれないけど、研究はしていこうと思った今日
だった。