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SARAのブログ

日々のことあれこれ

8月1日

2023-08-01 09:11:59 | テレビ
8月1日。
毎年この日になると、思い出すことがある。
それは12年前のこの日のことだ。
その日は朝からめちゃくちゃ調子が悪かった。
いや、もうその前から、この年の6月くらいから蕁麻疹がちらほら
出始めていて、7月の後半になってそれが悪化していて、ずっと調子は
悪かったのだが、8月1日のこの日は特に脱力感もすごくて、「もうこんな
生活嫌!!!!!」と思った記憶がある。
そしてその日、私にとってとても大きな出来事が起きた。
友人が亡くなったのだ。
正確に言うと友人が亡くなったのを知った日だった。

あの打ちひしがれた日から12年が経った。
夏になるといつもこの前後のことを良く思い出す。
友人が亡くなったと知った後の8月7日、私は友人のマンションにお線香を
上げに言った。
その日までの1週間あまり眠れなかった。
しかし彼女にお線香を上げに行き、旦那さんともお話をさせてもらい、
ちょっと気持ちが落ち着いた8月8日の夜、少し治りかけていた蕁麻疹が出
始めた。
それまでは指先とか胴体に出ることが多かったが、その日は珍しく顔に
出た。
旦那と「明日の朝になったらもっと酷い顔になってたりしてね」と冗談
混じりに言っていたら、それが本当になった。
朝起きると片目が半分くらいしか開かない。
最初は目ヤニがくっついて開かないのかなと目をこすったがなんか違う
気がした。「まさか・・」と思い顔を見ると、試合後のボクサーのように
片目は半分潰れていて、他にもおでこや顎なども腫れあがっていた。
「わわわ・・・」という感じだった。
それでも病院嫌いな私はすぐには病院に行こうとは思わなかった。
しかしお昼に近くなるにつれて、手がクリームパンのように腫れあがり、
顔はまったく痒くないのに、手だけが異常に痒くてたまらなくて、我慢
ならなくなり、いよいよ観念し、病院に行った。
薬をもらって帰ってきたが、前回蕁麻疹で病院に行った時は、もらった
薬を全部飲みきる前に引いた記憶があったので、今回も薬を飲めばすぐに
引くだろうと思っていた。が、5日後にまた来て下さいと言われたその5日
後まで結局蕁麻疹は引かなかった。
再度病院に行くと完全に治るまでに3ヶ月かかると言われた。
どういう状態なんだと思った。
その再度病院に行ったのがちょうど旦那のお盆休み中だったので、旦那に
連れて行ってもらった記憶がある。
薬は倍に増やされ、そのお盆休み中も私はその薬の眠気で、ほとんど寝て
いた。お皿洗いや買い物なんかは旦那がやっていた。
その当時は闇の中にいた。
友人が亡くなり、自分もそんな状態。
しかし何故か、今思い起こすと、そうやって旦那があれこれ支えてくれて
いたその頃の自分が幸せそうに見えるのだった。
って、今も旦那はあれこれ支えようとはしてくれてて、決して過去形では
ないのだけど、きっと今のこともいつか思い出しては「あの頃は良かった
なぁ」なんて思うのだろうと思っている。

そんな最悪だと思っていたあの夏だったが、あの頃は本当にとにかく体調
が悪かった。今も睡眠障害などがあるので決して毎日毎日すごく元気と
いうわけではないが、あの頃に比べたら全然動けている。
今日も、今週中に生理が来るので、今は絶賛生理直前の時期なので、多少の
体のダルさはあるが、何もしたくないというほどでもない。
少し前にも旦那と、私が蕁麻疹地獄だったよねという話をしていた。
「なんであんなに蕁麻疹が出ていたんだろうね」と。
旦那も「そしてなんで治ったんだろうね、結局何もわからなかったね」
と。薬は2年間くらい毎日飲んでいた。要するに2年間蕁麻疹が治らなかった。

今思うとだけど、考えられる原因は2つある。
一つはコーヒー。
蕁麻疹に直接関係があったかはわからないが、とにかく私にはコーヒー
が合わないらしい。しかし当時は好きで毎日飲んでいた。なので慢性的に胃腸
の調子も悪かったのではないかと思っている。
そしてもう一つは「え?そんなこと?」と思われるかもしれないが、もう
一つの理由は「運動不足」だと思っている。
蕁麻疹地獄が始まったのは2011年だが、その2年後の2013年に私は自治会の
役員をやることになった。普通の役員の仕事だけならまだ良かったのだが、
夏祭りの実行委員をひょんなことからやることになり、そこから自治会長
さんに行事のたびに呼ばれるようになってしまい、結局役員が終わる2015
年の春までそれが続いた。
役員の仕事をあれこれやるようになって、私は考えた。もうこのストレス
からは逃れられない。(とにかく嫌だったが断わることもできなかった)
だから他の、ちょっとでも自分で解消できるストレスは自分の力で取り除こ
うと。そして私が日常的に感じているストレスって何だろうって考えた時、
やはり毎朝起きて来るとキッチンは洗い物でいっぱいだし、リビングも散ら
かり放題。こういうのが意外とストレスになっているかもと考え、でも日々
体調が悪かったので、「とりあえず朝起きたらキッチンだけは完全リセット
をしよう」とだけ決めた。
ダルかろうが、やる気が出なかろうが、毎朝とりあえずキッチンだけは
片付ける。あとはゴロゴロしようが寝ようが自由。そう自分で決めて
始めた。すると数ヶ月後にはキッチンを片付けたあと、ついでに洗濯も
干しちゃおうとか、この勢いで掃除もしちゃおうとか、他の家事にも
どんどん派生していき、リビングとキッチンは常に綺麗な状態を保てる
ようになった。
その1年後、私は家を建てて12年目にして初めて、大がかりな断捨離を
した。普段生活している部屋が綺麗を保てるようになったら、他の部屋
の汚さが気になってきたのだ。引っ越しでもするのかというくらいの大荷
物が出て、それを一気に捨てた。
すると旦那の給料が上がり始めた。びっくりするくらい。
そして自治会の役員が終わった2015年、私達夫婦はキャンプを始めた。
という流れ。
家事で良く体を動かすようになって、部屋が綺麗になったり多少の運動
不足も解消されてストレスもそれ以前よりは軽減され、蕁麻疹が引いた
のでは、と。
しかし依存的に好きだったコーヒーは2019年の年末まで結局やめられなか
った。
2020年からはコーヒーもやっと断ち、その後の3年間で私は5㎏くらい
痩せた。MAXに太っていた時よりは7,8㎏痩せたと思う。
これくらい痩せると見た目も変わるし、着れる服も違ってくる。
それまでは容姿のコンプレックスもかなりのもんだったが、それも今で
はかなり軽減された。
あ、でも髪は薄くなった。
だからこれからどれだけ髪を維持していけるんだろうという不安もある
んだけど。

私にとっての大事なことはとにかく「コーヒーを飲まない」「家をとにかく
片付ける」ということかな。
余裕があったら、運動できる時は運動もした方がいいのかもしれないが。
ただ今でも心身共に私は普通ではない。
あの蕁麻疹地獄の頃に比べたらかなりマシにはなったが。

あ!あと最近始めたことで「これはいい!」と思ったことがある。
それは深呼吸だ。
少し前にラジオ体操をやっていたのだけど(また続かなくなったのだけど)
その時に「結局深呼吸が一番気持ちがいいな」と思ったのだ。
なので、朝とか昼間の時間帯にも時々深呼吸をするようになった。
すると、なんだかそれまでのぼせ上がっていたものがスーンと静まった
、かのような感じで、前より動ける気がしているのだ。
ま、これは本当に個人の感想で、言ってみれば蕁麻疹の本当の理由だって
コーヒーと運動不足なのかどうかもわからない。
でも「これをしているといい方向に向かうな」と漠然と感じてきたと
いう感じだ。
深呼吸はかなりいいと感じている。

そんなわけで、12年前のあの日から私は12年間また生きてきた。
これからもいろんなことがあるだろうが、なんとか生き延びねば、と
いう感じだ。


自己肯定感

2023-07-20 12:03:13 | テレビ
恐ろしく自分に自信がなかった。
いつもいつも人は批判的で「あの人はどうしてこうなんだ」と不満を
持っているように見えた。
人の生活をyoutubeで見ては「私はなんでこういう風にできないんだろう、
なんでこんなに動けないのか、なんでこんなに人に会うことができない」
と思ってきた。
自分が回避性パーソナリティ障害だとわかった今も、まったく生活は
変わっていない。
しかし精神的には決定的に変わって、物凄く大きな変化はあった。

それは、そういう自分をやっと

「それはしかたのないことだった」と思えた

ということだった。
今までは、ギリギリ歯を食いしばって、人との差を埋めようと頑張って
きた。
どうしてそうしなければならなかったと言うと、その理由はたった一つで

そんな自分では駄目だ

と思っていたからだ。
だから来る日も来る日もそんな自分を何とかしよう何とかしよう、
何とかしなければと思ってきた。それには辛いこともギリギリの精神で
頑張らなければならないと思ってきた。

もちろん回避性パーソナリティ障害が克服できたら、それらの問題は
改善はできるのだと思う。
しかし今は当たり前だけど克服できていないので、何も状況や状態が変わ
っていない。
しかし自分はそういう人なんだなと理解ができただけで、自分を責めなく
なった。
精神的に少し楽になったからと言って、このままでいいとはもちろん
思ってはいない。
いつか克服できたらいいとは思う。
しかし理解ができたことで、自己肯定感はかなり上がった。
何も状況や状態が変わっていないけど、自分が悪いからじゃなかったん
だ、と思えたことがかなり大きかった。

ずっとずっと自分を責めて、人を見ては「何故自分はこうできない」と
落ち込み、常に自分は駄目な人間、劣っている人間だと感じてきた。
とりあえず、そうは思わなくなってきたというのが嬉しい。



病気になりたかった

2023-07-15 12:56:55 | テレビ
ずっと思っていた。
病気になりたい、と。
いや、こんな言い方すると不謹慎なのはわかっている。
世の中には病気になりたくなくても病気になって辛い思いをしている
人がたくさんいる。
でもここでは正直な気持ちを書かせてください。
正直、本当にそう思っていた。
病気と言っても、癌で辛い闘病がしたいとか、脳の病気になって不自由に
なりたいとか、もちろんそんな風に思ってたわけじゃない。
都合の良い話かもしれないけど「とにかく安静が必要です、その日の体調に
合わせて行動してください」という風になりたかった。

基本ダラダラしていたい。
基本何もしたくない。
かと言って死にたくなるわけでも、ずっと憂鬱な気分に支配されるわけでも
ない。
少し前に気分が異常に落ち込んだ時は正直「私うつかも」と思ったし、
ここにも「もうそういう状態かもしれない」というようなことは書いたが、
その日によって気分も違うし体調も違うので、基本的にはやはりうつで
はないと自分では判断してきた。
回避性パーソナリティ障害のことが書かれている本のサブタイトルに
「生きるのが面倒な人」というのがあり、それを最初に見た時は「ちょっと
心外だな」という印象を持った。それは病気によるものだとしていても、
なんかやはり「駄目な人」と言われている気がしたのだ。
しかし私がずっと感じていた「基本何もしたくない」というのも、
もしかしたら回避性パーソナリティ障害の症状だったのかもと思うと
合点がいく。
私は甲状腺疾患があり甲状腺腫瘍も持っていて、甲状腺機能が下がれば
体がダルい等の症状は出るのだが、まだその数値が正常なので、数値上
は甲状腺機能は正常に働いているということになる。
なので最初に甲状腺に対する自己抗体が見つかった時は「やっぱり」と
思ったが機能が正常に働いているのに「じゃあ、このダルさはなんで?」
という疑問が残っていた。

私は仕事をしていないので専業主婦ということになる。
お金をもらって働いているわけではないので、基本的には自分の好きな
ように家を回していけばいいだけ。
それでも私はどこか「自分は外で働いているわけではないのだから」
「私は専業主婦なのだから」という気持ちがあって、体調が多少悪く
ても、やる気が出なくても、ご飯を頑張って作ったり、旦那のお弁当を
用意したりしてきた。
でもやはり気力を振り絞ってやってきても、そのシワ寄せのような
ものはあって、自分の中で「なんでここまで頑張らなきゃいけないん
だ」という思いはあったと思う。
辛いよ、と。
だから、動ける時には動いて動きたくない時は動かない、もっと言えば
基本的には何もしなくていいですよ、できる時だけできることをすればいい
ですよ、という状況になりたかった。
「病気なんだからしょうがない」という大義名分が欲しかったのだ。
要するに、できないこと、できない時があってもそれは私が駄目な人間
だからではなく、病気なんだからしかたがないと許されたかったし、
自分でもそんな自分を許したかった。
でも長年、病気でもないのにそうすることはできず、ひたすら気力を
振り絞って頑張ってきた。
今も旦那がどこまで回避性パーソナリティ障害を理解してるかもわから
ないし、正直まだ私も完全には自分を許してあげてはいないのかもしれな
い。
が、少し前に回避性パーソナリティ障害だと確信的に思う前よりは断然
気持ちは楽になった。
日頃の生活のことだけじゃなく、youtubeなんかを見ていても、私は
どこかで他人と比べては「なんで私はこうできないんだろう」といち
いち落ち込んでいたことに気がついた。
例えばめちゃくちゃ丁寧な暮らしをしている主婦がいる。
その人はyoutubeの撮影も編集もしているし、外でも働いている。
その上でその丁寧な暮らしをしている。
私には到底そんなことはできない。
みんなきっとそういう目でこの人の生活を見ているんだとは思う。
でもみんなどこかでは自己肯定感がちゃんとあって、私が見て「到底
できない」と感じるそれとはやはりレベルが違かったんだと思う。
そんな暮らしにどこか憧れながら、もちろん同じレベルの生活をしようと
までは思わなくても、いつもいつも「何故自分は動けない、何故みんなは
ここまで動ける、自分の何がいけないのか」と無意識ながらに、いちいち
思ってきたことに気がついた。
今日もさきほど、高校生の女の子のyoutubeを見ていたのだが、その子の
お父さんがキャンプに行ってきて、とあるSAでおいしそうなお菓子を
お土産に買ってきたというシーンを見たのだが、その子の父親は、
いわゆる「仲間」と呼べる人たちがたくさんいるという印象の人で、
大勢で車関係の集まりがあったりキャンプをしたり。1人でもキャンプに
行ったりととてもアクティブな人なのだけど、「あぁ、またパパはキャンプ
に行ったんだ」と思った時に、仲間とみんなでワイワイなキャンプを想像
して一瞬胸がキューーっとなった。しかしすぐに「でもしょうがないよ
ね、だって私はそういう中に入っていけないっていう病気なんだから。今
までずっとそうだったんだから。しかたのないことだったんだ。」と
思えた。
そういうことができないという寂しさ自体よりも、私はどちらかと言えば
「そういうことができない自分は駄目な人間」と思うことの方が
ずっと辛かったんだということに気づいた。
なので、できないという状態は今も変わらないのだけど、「それは
そもそも無理な話で、むしろできなくて当然だったんだ」と思えるだけ
で、本当に気持ちが楽になったのだった。

なのでごめんなさい、病気になりたかったなんてやはり不謹慎だけど、
動けないことできないことが辛くてそんな自分を責めたり落ち込んだり、
旦那に対してもどうしてできないのか説明がつかなくて無理してたり、
そういうことに対して「あなたは病気ですよ、だからもう無理しなく
ていいですよ」となれたらどんなに楽になれるだろうと思い、そんなこと
を思ってきた。
回避性パーソナリティ障害を病気と言っていいのかわからないし、
精神疾患とも違う気もするし、でもちゃんとそういう名前のついた
精神障害が存在していて、私は恐らく・・というよりほぼ確信的に
「これだろう」と思えたことで、正直こんなに楽になれるとは思っていな
かった。

そして。
回避性パーソナリティ障害がもし克服できたら、じゃあ働きたい
か?と聞かれても、私は「はい」と答えられるかどうかは確信できない。
それは回避性パーソナリティ障害とは関係なく、私はやはり専業主婦で
いたいのだと思う。でも周りがというか、もっと大きく言えば世間が
それを許してくれなかったというか、子供もいないのになんで働かない
の?という目だったり、自分自身も他の人はみんな働いているのに、
働けない自分は劣っていると感じていたり、そういう理由で「働いて
いない」という状況が嫌だっただけで、毎日家にいられるということ
はやはり私にとっては幸せなことだったと感じている。
都合良く言えば、基本家にいる状態でたまに誰かと話したり、会ったり
できればそれでいいという感じだ。
あと、1人でいることもそう。
ずっとずっと1人でいろ、誰とも話すな、となったらそれはやはり無理
だ。でも基本的に1人でいることに苦は感じない。
夜は旦那が帰ってきて、週末は旦那と過ごして、月に1回、いや、2ヶ月に
1回でも、誰か友達と会って話して「また話そうね」って言って別れられ
ればそれで結構満足かもしれないとまで思っている。
まぁ、でもそれはやはり回避性パーソナリティ障害のせいで、いろんな
ことが面倒に億劫になっている今だからそう思うのかもしれなくて、
本当に克服できたらもっともっと誰かに会いたいとか、家にいるのは
もったいないとか思うのかもしれないが。

HSPがわかった時も、安心したのを覚えている。
でもHSPだけでは説明がつかないことがやはりあった。
回避性パーソナリティ障害だと気づけて本当に良かった。


ダルダル

2023-07-14 18:09:32 | テレビ
今日は旦那が仕事で夜中に帰ってくる。
ご飯は用意しなくていいと言われた。
せっかくだから昼間少しショッピングにでも出かけようかなと
前日には思ったが、夜、寝付けなくなった。
寝たのは2時は過ぎていたと思う。
そのまま寝たいだけ寝れればまだ良かったのだが、今朝はゴミの日
だったので、7時半に起きた。
5時間睡眠くらいかな。
なので、眠い眠い。
しかしゴミを出したあと、家事をやっていたら、眠気も覚めてきた
ので、午前中に少し外に出てみることにした。
先週の土曜日に旦那とセリアに行き買い物をしたのだが、その時に
買えなかったものもあったので、またセリアに行ってきた。

でも今日はさほどテンションも上がらなかったなという感じ。
100均もしょっちゅう行っているとやはり少し飽きてくる。
次にどこかに行こうと思った時は、あんまり行かないところに
行こうと思った。

帰ってきて、ご飯を食べると午後からは眠くなった。
頑張って起きていようと思えば起きていられたかもしれないが、
気を抜いてyoutubeを見ていたら知らない間に寝てしまった。
でも今日は1時間くらいしか寝ていないかもしれない。

明日は旦那が仕事か休みなのかまだわかっていなくて、もし仕事
ならお弁当のおかずも必要だしということで、夕方唐揚げでも揚げ
ようかなと思っていたけど、体がダルくてそんな気力はどこにもなく
なってしまった。
ので、私の夕飯で鮭でも焼こうと思っているので、旦那のお弁当
用にも一緒に焼いて、あとはまたご飯を食べたあとにでも卵焼き
くらいは焼こうかなというところ。

体がダルいせいか、なんだか気持ちまで元気が出ない。
せっかくの夕飯を大して作らなくていい日だったのに、あまり生産的な
ことはできなかった。
でも、朝のゴミ捨ての時に、また少しだけ草取りをしてみた。
ちょっとづつでもやっていかないと、今の時期はまったく追いつかな
い。放っておくとあっという間に廃墟の庭のようになるので。

今晩は寝れるかなぁ。
旦那は何時に帰ってきて明日はまた何時に起きるのかな。
不規則で、一番大変なのは旦那だけど、こちらもやはりそれなりに引き
づられるのでできればなるべく規則正しく帰ってきてほしいのだけど。

まぁ、今日はそんな感じの一日でした。



近所の人

2023-07-13 18:53:23 | テレビ
意外とこれストレスだったのかもなぁと思ったことがある。
それはウチの近所の人の話。
そこのお宅とは、他のお宅よりも縁があり、ウチが犬を飼うことになった
のもそのお宅の影響がとても大きかった。

そのお宅はウチの私道を挟んだすぐ斜め後ろのお宅。
20年近く前にそこんちで犬を飼い始めた。
犬を通して良く話すようになり、そのうちウチも飼い始めると、犬と一緒に
夫婦でお宅に招待してくれるようになった。
家族だけじゃなく、主婦2人だけで昼間会うようにもなったり。
しかしそのご夫婦にお子さんができたので、向こうも育児が大変だった
のか、子供が小さい頃は少しだけ疎遠にはなったが、会えば普通に話をして
いたし、仲が悪くなるということはなかった。
お子さんが大きくなった頃にBBQに向こうが誘ってくれて、一緒に2回
くらい行ったこともあった。
その次の年くらいには私が自治会の組長をやって、あちらが役員をやって
いたことで、一緒に夏祭りに参加したりもした。
しかしそれ以降は、あまり目立ったつきあいはしていない。
悪かったなと思ったのは、BBQに2回行ったあとも、旦那さんや奥さんは
「また一緒に行こうね~」という雰囲気だったのに、ある日バッタリスー
パーで会った時に奥さんが「キャンプとか行ってる?」と聞いてきたの
で「うん、行ってる~」と答えたが、その時のあちらのリアクションが
「なんだ、2人で行ってんじゃん。」とか「なんでうちらは誘ってくれ
ないの?」みたいな感じだったのを覚えている。
私はその当時自治会で精一杯で、もうそれ以上用事を増やしたくなかった。
実は2回目の彼女たちとのBBQもやっとで行っていた。
それが終わったあとすぐに「今度はカラオケでも一緒にどう?」と
言われた時には「もう勘弁してくれ・・」という気持ちだったのを
覚えている。
決して嫌いになったわけじゃない。BBQも楽しくなかったわけじゃない
が疲れてしまった。でもそれをうまく説明できなかったので、向こうも
自分達が切られたような気持ちになったのかもしれない。

しかしその事とは別に、私は彼女にいつも思っていたことがあった。
それは、凄く仲良くしている最中にも、私がたまたま家から出てきたら
向こうの奥さんが庭で何か作業をしていたとか、向こうがたまたまシャッター
を下げる時だったとか、そういう場面に出くわすと、急に向こうの態度が
異常に素っ気ないのだ。
家に行き来しているような仲なら、庭に出ている時に出くわせば、普通
は少しは何か話すだろうと私の感覚では思う。でも奥さんはこっちを
見ようともしない。
たまらずこちらが「こんにちは~」と話しかけると「こんにちは~」とは
言うが、また後ろをすぐに向いて作業をし、それ以上は話そうともし
ない。「なんなん?」とザワザワした気持ちになり、その時にちょうど
どこかからビールをもらっていたのだが、ウチの旦那があまりもう飲まなく
なっていたので、再び玄関から出て行き「良かったらこれ飲んで~」
と渡しに行ったら、決して無愛想にではなかったのだけど「あぁ、ウチ
飲まないから~」と断られたこともあった。
その時の関係性でこちらの感覚だと「ここは話すでしょう」と思われる
場面でもサッサと家の中に入って行ってしまったり、向こうが車で
こちらが犬の散歩で居合わせた時も、ちょうど向こうが角を曲がる時で
減速する時だったので当然何か話しかけてくるだろうとこちらが構えて
いると、中から一応手は振るが、スーッと素通りされたこともあった。
「なんなん?」みたいな。
今までそういう場面がすごく多く、仲良くしている時は会うと何かしら
誘われるからそれが面倒でなるべく会いたくないというのはあったが、
そのうちその奥さんの態度にも、私はかなりストレスを感じるようにな
った。
なので、今は彼女が火曜日に休み、だとか、だいたいこの時間帯に
帰ってくるなどの彼女の行動パターンがある程度わかっているので、
なるべく顔を合わせないように会わせないように生活している。
それが今まであまり自分では意識はしていなかったが、結構ストレスだ
ったなと自覚した。

というのも、昨日またバッタリ顔を合わせてしまったのだ。
私はうっかりキリスト教の勧誘に来た人に応対をしてしまった。
その時にちょうど彼女が家から出てきたのだ。
彼女は車に移動しながら笑顔を作ることもなく、こちらを見ていたので
こちらから手を振った。向こうも振り返したが笑顔はない。
その後も荷物があったのか、もう一度家の中に入り、再び車に乗り込む
際にはこちらを見ようともしなかった。
こういう態度だ。
こっちに来客があるのだから(と言ってもキリスト教だけど)何か
話すことはなくとも、せめて笑顔くらい作れよと思う。
いつも感じ悪いなぁという感じだ。
顔を合わせる度にそんな態度をされたらそりゃこっちだって嫌になる。
ましてや、私は回避性パーソナリティ障害。
他人の拒絶に人一倍敏感で傷つきやすいのに、そんな態度をされたら
それはそれはかなりのストレスだろうと自分で思った。

しかし今回、以前と違かったのは、以前の私なら相手にそんな態度を
取られるのには自分に原因があると考えて、何が悪いのかとグルグルと
考え込んでしまっていただろうと思う。
でも今回は違った。
その奥さんにちょっと怒りが湧いた。
そんな態度ないんじゃない?と。
こちらに対して何かあるんだとしても、それでも近所でバッタリ居合わせ
て、まったく今まで付き合いのない人ではないんだから、普通なら
少しフレンドリーに「こんにちは~」が妥当じゃないかと思うのだ。
そんな素っ気ない、無愛想な態度を取られる理由もない。

たぶん私は自分が寂しかったり、これからもっと年を取っていくに
あたって不安があるんだと思う。
だからどこかでやはり彼女たちに期待をしてしまっているところは
あり、そうでなかったとしても、親しさ具合で行ったら、(と言っても
今はそれほど親しいという仲ではなくとも、今までの流れや他のお宅と
の関係と比べたら)毎回ではなくてもたまには挨拶のあとに「元気~?」
と言ったっていいくらいだ。

なので私は割り切ってみることにした。
今まではどこかで仲良くしてくれないと自分が困る、じゃないけど、
そんな気持ちがあったんだと思う。
でもその為に仲良くしていたとしても、今まで彼女に「なんなん?」と
思うことが多々あったように、この先も嫌なことは何度もあるだろうし
嫌な態度も続くと思う。
それならもう期待はせずに、ただひたすらご近所さんとしてこちらは
感じの良い挨拶をするのみとしよう、と。

ウチのお隣の家ともウチはそれほど仲良くもない。
まぁ、悪くもないが。
でも奥さんは愛想はとても良い。
いつも顔を合わせれば笑顔で挨拶してくれる。
向こうが車に乗っている時は笑顔で手を振ってくれたりもする。
でもそれ以上に何か話しかけてくるということもない。
だから、嫌われているとも感じないし、好かれているとも感じない。
ご近所さんて、それくらいがちょうど良いんじゃないかと思った。
なので、向こうはいつも無愛想だが、こちらは思いっきり笑顔で感じ良く
「こんにちは~」「おはよう~」と言おうと思った。
そしてそれ以上に何か向こうには期待しないし、こちらもそれ以上は話さ
ない。
そういうスタンスでこれからは行こうと思った。