昨日の日曜日にまた義実家へ行ってきた。
ここ何ヶ月かの間はずっと義母を、スーパーに連れて行き、
買い物につきあって、帰ってきてからは少し買ってきたも
のの整理くらいはするが、そのあとは割と私も旦那もすぐに
帰ってきていたので、義母と長く話をするよりはこっちの
方が全然楽だなと思っていた。
ところが昨日は義母が「かったるいから、書いたものをアンタ
達で買ってきてほしい」と言うので、義母がメモした紙を持って
私と旦那だけで買い物に行った。それだけで終われば何もなか
ったのだけど、買い物から帰ってきてから義母が「エアコンの
フィルターの掃除をしてほしい」と言うので、旦那が作業を
始めた。一つのエアコンのフィルター掃除が終わると、今度は
2階のもお願い、空気清浄機のもお願い、2階の網戸の掃除も
お願いと次から次へと義母が言うので、旦那のその作業の間、
私は久しぶりに義母の話につきあう形になってしまった。
昨日義母が言っていたこと。
①○○(義兄)はすぐにギャンギャンと怒る。あれはとーちゃんに
似たんだ。○○は私のことを邪魔に思っている。私がいなくなれ
ば楽になると思う。
②このへん(居間のタンス2個を指して)の物もね、整理しな
きゃいけないんだろうけど、気力がなくてできない。もういっそ、
火を放ってしまえば楽だろうと思う。良く老人が火を放ったって
いうニュースを聞くけど気持ちが良くわかる。
③○○さん(近所の知り合い)が老人ホームに入った時に「○○さん
(義母の名前)も一緒に行こうよ」って言ってくれていたけど
あの時やっぱり一緒に入れば良かったんだよ!
④SARAちゃんこの記事見てと言い新聞の切り抜きを私に見せる。
「私と同い年の人のことだよ」と言う。その記事の内容は、高齢の
女性が具合が悪くなり、弟さんが救急車を呼ぶか?と聞いたが
本人が「もう私はいい。」と言うので呼ばなかった。結果その女性
は亡くなったというものだった。義母は「私はね、その人の気持ち
すごくわかる。もういいって思うよ、私なんかも。もう充分だって」
その他はいつもと同じようなこと。
生きていても何も楽しいこともない。
朝から晩までここに座ってね、テレビ見てるだけで。
何にもいいこともない。
これらの愚痴を義母は静かな口調で言うのではなく、正に語尾に
「!」がつくような言い方で言う。
義母が言っていたように、以前近所の知り合いが老人ホームに
入った時には義母も「私も入ろうと思って」と電話をかけてきたこ
とがあった。しかし「入るから手続きして」というものではなく、
「私も入った方がいいんじゃないかと思ってね、○○(旦那)に
相談しようと思ってたの。」という感じだった。
私達が「じゃあ、いきなりホームに入って生活するっていうんじゃ
なくて、まずはデイサービスに週に1回づつ通ってみるっていうのは
どう?それでもっと行きたいと思ったら行く回数を増やしたり、
その上でもうここに住んじゃいたいって思ったら本格的にそこで
生活することを考えたらいいんじゃない?」と提案しても、
「○○さんがね、ホームはいいよ~、なんでもやってくれるしね~
って言うから」とか「○○さんも一緒に行こうって言うから」とか
言う。
私達が「だーかーらー、デイサービスから始めてみたらどう?」
と言ってもまた違う話をして、はぐらかす。
これは本気で思ってないなと思った。
要するに義母は「私は老人ホームに入ろうかなって思うほど、
追い込まれていますよ、それくらい切羽詰まってますよ、だから
助けてほしい」ということなんだろうなと思った。
助けてほしいというのは、要は義母は孤独で寂しいのだと思う。
今回だってそうだ。
新聞の切り抜きを自分の為に「良い記事だから残しておきたい」
と思って切り抜いておいたわけじゃないと思う。誰かに見せようと
思って切り抜いておいたのだと思う。その相手はすぐに怒る義兄で
はないだろう。たぶん私や旦那が行った時に見せようと思って
切り抜いたんだと思う。「私と同い年の人はみんなこんな風に
思ってるんだよ!?」と私達に訴えたいのだと思う。
他の話も全部そう。火を放ちたいとか強い言葉を使うのも同じ。
それくらい辛いから助けてよと言っているのだと思う。
旦那ももう何年も同じことを感じている。「たぶんもっと自分と関わ
ってほしいってことなんだと思う」と。
私もそう思う。
義母はとにかく人と関わりたくてしかたがないようだ。
しかし以前、ウチの犬の介護をしていた時期になかなか義実家へ
行けていなかったので、旦那の休みの日に犬を旦那に見てもらい、
私1人で義実家へ行ったことがあった。「あんまり行けないから
今日はちょっと長めにいてあげるか」と延々と義母の会話につき
あった。しかし散々話を聞かせた挙げ句義母が言った言葉が
「SARAちゃんもう帰んな」
だった。
どういう意味で言ったのかはわからない。
遠慮で言ったのか、もう話したくないと思ったのか、自分が疲れた
のか、わからない。
けど、来てもらってというのも恩着せがましい言い方だが、そっち
からそんなこと言うかよと正直思った。
会話がしたいのかと思ってそうすると、そういうことを言ったりす
るので、こちらもカチンと来る。
しかもこっちは犬が死にかけている介護生活のギリギリの状態で
来ている、でもまぁ義母にはそんなことは言ってもわからないだろう。
義兄がギャンギャンと怒ると義母は言うけど、義兄が怒る気持ちも
良くわかる。私だって実の娘だったら怒っている。
そういう、こちらがムカっとくること、カチンとくること、イライラ
することを何気なく義母は言う。
なのでみんな関わらなくなる。
1,2年くらい前まではたまに誰かと会って話をすると義母は必ずその
話をしていた。
「誰々がね、こうこう言っていた」と。それは義母のアピールでも
あったのだと思う。他に話をしてくれる人は私にもいるんだからと。
でも聞いているとそれが数ヶ月前の話だったり、同じ話を何度もして
いたりする。実際はそれほど人とは話していないが、義母は自分には
多くの人が周りにいるという風に見せたいというのもあったのだと
思う。
あまりにもそういう話をするので、私達との会話もきっと別の誰か
に言っているのではないかと思い警戒するようになったくらいだ。
それくらい義母は誰かと話すと必ずその話をしていた。
以前はそのメンバーに義姉の名前も良く出ていた。
「○○さんがね、持ってきてくれたから」
「○○さんがそう言っていたから」
ところが、もうここ1,2年は会話の中に義姉の名前はまったく挙が
らない。恐らくだけど、義姉はほとんど義実家に来ていない。
義兄も一時期、義母と会話もしなくなったと義母が言っていた時期が
あった。義兄も義姉も「もう話したくない!」と距離を置くくらいの
ことを言われたんだと察する。
ということで最近は義母も誇示することもできないくらい、周りに
人がいなくなってしまった。
私だって2週間に一度行っているその1回の中でも「そんな言い方ないん
じゃない?」とムカっと来る瞬間なんて何度もある。
それくらい義母は人の気持ちがわからない。
ただただ思ったことを言う。
そう言ったら相手がどう思うかは考えていない。
あまりにも自己中心的。
前にもここで言ったが、義母は恐らく発達障害だと思う。
どこにどう属するのかは専門家じゃないからわからないが、たぶん
そうだと思う。
発達障害を持つ家族との関係がうまくいかずに心身に不調が出るカサン
ドラ症候群という病態もあるらしいが、ホント、義母と関わっている
とこっちがおかしくなりそうだ。
なので、義母が寂しくて孤独な気持ちなのは良くわかる。良くわかる
から2週間に一度、旦那と一緒に行き、関わるようにはしている。
でもそれが精一杯。
それ以上関わるのは難しい。
私の実家の両親は先月から老人会に行っていると言っていた。
月に一度のようだが、1時間半30人くらいの人たちと誰かの話を聞
いたり、簡単なゲームをみんなでやったりするのだそう。
実家の両親もほとんど他人との関わりが今までなかったので、そういう
ところに行くようになったと聞いて私はちょっと嬉しかった。
義母もそんなに人と関わりたいなら、老人会やデイサービスなどで、
週に1回でもいいし、月に一回でも、出ていけばいいのにと思うが、
それは頑として行かないと言う。
私達には「人づきあいをしなさい。近所の人や親戚とももっとつき
あいなさい」みたいなことを散々言っていたのに、そういうところに
行けばいいのにとこちらが言うと自分は行かない。
それもどういう理由かはわからない。
そして毎回毎回のように「やることがない」「何も楽しいことがな
い」「生きていてもしかたがない」と言う。
そして老人はみんなそうだと言う。
でもウチの近所の老人はみんなもっと元気だ。
義母と同じくらいの年で腰が曲がって押し車を使わないと歩けない
ような人も何人もいるが、みんな押し車を押して本当に良く歩いて
いる。そして歩いている人同士が会うとそこで良く井戸端会議をしている。
義母の近所はあまり歩いている人はいないのかもしれないけど、
私が言いたいのは老人はみんな気力も体力もなくて元気もないわけ
じゃないということだ。しかし義母はみんなそうだと私に言う。
そう思いたいのかもしれない。自分だけじゃない、みんなそうだと。
そしてこちらが何と言おうと絶対に自分の主張を曲げない。
そして私が2週間に一度しか行かないのには、他にも様々な理由がある。
私も自分が生きているだけで精一杯な生活をしている。
そして以前週に一度義母のマッサージをしに、義実家に通ったことも
あったが、しばらく通っていた時に義兄がわざわざ私に直接「マッサージ
師さんを頼んだんで」と言ってきたことがあったのだ。「週に2回来る
ことになったんで」と。
それも私に対する遠慮でそういう言動に出たのか、「プロを頼んだから
もうそんなことはしてくれるな」という意味だったのかはわからない。
わからないが、いい気分ではなかった。
義兄は義姉よりも私が義母に多く関わるのを阻止したんじゃないかと
いうことも考えた。
私がマッサージを義母にすると義母は「他には何にもいらない。これ
が一番幸せ」と良く言っていたので、そういうことを義兄や義姉にも
言っていたとしたら義兄や義姉は気分が悪かったのかもしれない。
なので義母の為にと義実家に行っても、義兄がそれを良く思わないので
はないかという気持ちも働いてしまうのだった。
あともう一つは、義母はそういう人なので、結婚当初から私は数え切れ
ないくらい義母の言動に傷ついてきたということもある。
その仕返しを、とか、その腹いせに、という気持ちは正直ない。
でも今自分が自分の生活だけで一杯一杯という時に、無理してまで
義母と関わろうという行動に出れないのは、根底にそういうことが
あったというのもあるのだと思う。
義母が辛いのは良くわかるが、あんなに嫌な思いをさせられてきたのに、
なんで今になって無理してまで義母の為に動かなければならないのだと
いう気持ちもあるのだと思う。
そういう理由もあり、2週間に一度旦那と一緒に頑張って行く、という
のが今私ができる精一杯のことで、その精一杯のことをひたすら続けて
いる。
しかし旦那はありがたいと言ってくれている。
「あんなに散々嫌な思いをさせられてきたのに、今ちゃんと関わって
くれているんだから、ありがたいよ」と。
こんな、ただ旦那と一緒に行っているだけなのに、ありがたいとか
言われるとそれほどのことはやっていないという気もするけど、でも自分
でギリギリできることを頑張ってやっていることは、どこか自己肯定感に
も繋がっているような気もする。