goo blog サービス終了のお知らせ 

SARAのブログ

日々のことあれこれ

疲れた

2017-01-08 22:12:05 | メンタル関係
義実家へ行ってきました。
まぁ、名目は一応新年の挨拶。
お正月の集まりにはもう行かないことにしたので、
せめて2人で休み明けてから行こう、
それだけは行かないと、とは思っていました。

しかし、
実はほんの2日くらい前の話なのですが、
以前から私はこのブログでも「境界性パーソナリティ障害」
なのではないか、
ということを書いていましたが、
たまたま、他のパーソナリティ障害のことについても見てみたら、
(パーソナリティ障害というものにはたくさんの種類があります)
「あらあら?これにもあれにもあてはまる・・」と
なってしまいまして。
詳しくはまたもう一つ別の記事にしますが
このことがかなり衝撃的な出来事でして。
実はちょっとだけ精神的に不安定になっていました。
なので今週末に義実家へ行こうと前々から旦那との間でも
話してはいたのですが、
旦那も「SARAがもう少し落ち着いてからでもいいし、
なんなら行かなくてもいいよ。」とは言ってくれてました。
なので私の中でもかなり迷ってはいました。
もし行くとしたら明日の旦那の休みに行こうと思っていたのですが、
今日は旦那から午後の3時半くらいに電話があり
「仕事、もう終わったよ」と言うのです。
「え?もう?今日はずいぶん早いね。」と。
そこで急に思い立ったんです、
「もし明日行くのなら、もう今日のうちに済ませちゃった方が
いいんじゃないか」と。
旦那もせっかく今日早く終わったのだし、
明日の旦那の休みが義実家行きで潰れちゃうくらいなら、と。
そう旦那に言ったら
「SARAがそれが楽ならそれでいいよ。」と言ってくれたので
その勢いのまま、行くことになりました。
私はその時、行ったら少しは上がらなきゃいけないことは
当たり前のように思っていたんです。
ところが旦那は「今日はあがらない。それでいいよ」と言うので
私の方からも「いや、上がった方がいいんじゃない?」とは
言えませんでした。
旦那が上がらないと言うならそれでいいや、と。
そして実際義実家へ行ったら、
お義母さんはやっぱり物凄ーーーく「旦那に」上がって欲しい風でした。
雨も降っていて外が凄く寒くて車を停めた場所から義実家まで
少し距離があるので2人で一つの傘に入って小走りで
義実家まで行ったのですが
すごく寒くて旦那が玄関で小刻みに震えていたんです。
少し咳き込んでもいました。
これは風邪とかじゃなくて旦那はもう慢性的に(季節的に)ちょっとした時に
咳払いをするのでこれは本当に大したことではないのですが
お義母さんはすぐにそれにも敏感に反応して
「咳して。風邪ひいたの。」と。
そして「寒いでしょう。上がりなさいよ。」と。
旦那は「いや、いい。」と言うのですが、
何度も「上がりなさい」と言いながら、
旦那のコートをつまんで引っ張っているのです。
「母だなぁ」と思いました。
旦那のことが大好きでしょうがない「女」が目の前に、
そして私以外にも、この世に存在するんだなと思いました。
そしてその旦那を私は完全に独り占めにしておきながら
実際は旦那のことを大好きなのか依存なのかわからないような間柄で。
完全に心から愛しているのはむしろお義母さんの方で。
それは母親だから当たり前だけど、
その圧倒的な愛を目の前で見せつけられたような気持ちになり、
私は酷く「負けた」気持ちになったのでした。
それに、
私が、この1年ご無沙汰してる気まずさよりもまず、
勢いで「明けましておめでとうございます~~!!」と
あまりにも明るく振る舞ってしまい、
その他にも「ご無沙汰しちゃってすみませ~ん」とこれまた明るく言っても、
何を言ってもお義母さんはちょっと引いたような感じで、
ほとんどこれといった反応がなかったんです。
なんだか無言で何かを責められているような気持ちになりました。
お義母さんは決して社交的ではない性格ではありませんが、
特別愛想がいいという感じでもないので、
私があとから旦那に
「お義母さん、かなり引いてたよね」とか
「私達が行かな過ぎて、怒ってるんちゃう?」とか
言っても
旦那は普段通りのお義母さんに見えたらしかったけど、
私には、お義母さんが歓迎してくれたようにはまったく
見えなくて
息子には家にあがってほしいという一心でいっぱいだったけど
私には用はないと言われてるような態度に見えて
しかたがなかったのでした。
なので、テンション高く行ってしまった自分がなんか恥ずかしかったし、
もっと言えば
「私は完全に嫌われたのかも」と。
自分が先にこっ酷く嫌っておいてこんなことを言うのは勝手ですが、
相手に拒絶されると(実際本当に拒絶されたかどうかはわかりませんが)、
とたんに自分の傷に塩を塗りこまれたような、
そんな気分になったのでした。
だからと言ってこちらもそのまま気まずさを前面に出したとしても、
それはそれでちょっと違う気もしますが、
ずいぶんご無沙汰しておいて
あまりにも明るいテンションでいってしまったので
もうちょっと抑えた感じで良かったなと思ったのでした。

お義母さんはあれほど上がってほしそうで(旦那に)
旦那は別に上がりたくはないと言っていて
それは決して私に気を使った嘘ではないと思うけど、
旦那がそうだったとしても、
なんだか私が親子を引き裂いているような気はやっぱりしてしまい、
それに対してはちょっと申し訳ない気持ちにはなりました。

でも元を正せば、
私は今まで数々のお義母さんの言動に傷つけられて来たことは事実で
私が恐らくそうであろうパーソナリティ障害のことはまた別に詳しく書きますが、
傷ついた原因の一つには私のそこはかとない自信のなさも
もちろんありますが、
でも一般的にやっぱりお義母さんは無神経な人で
配慮のなさすぎる言動が多々あったことは事実で。

でも本当に本当に正直なことを言うと、
私の中で今日一番傷ついたのは、
例えこちらが拒否している相手であろうと、
(表面的にあからさまに拒絶しているわけではないが、
完全に距離をとっている相手であろうと)
その相手に拒絶をされた、ということで。
義両親には、私達が結婚した時から
それなりに私は受け入れられてそれなりに可愛がってもらっている、
という自覚はありました。
もちろんそれは私の本当の姿ではなく、
「いい子ちゃん」をただ演じてたということで、
まぁ嫁ならみんな本性を姑には出さないだろうけど、
私の場合あまりにも違いすぎたというか
決して私の自然な姿を義両親が受け入れてくれてたということではなく、
受け入れられるように私が意図してそうしてたということであって。
でもそんな私も義母の言動に20年間傷ついてきた結果、
もう「いい子ちゃん」どころか、
普段接することにも限界が来てしまい、
距離をとらせてもらいました。
最初のころはこちらが拒否しても拒否しても
しつこく近づいて来られて
それもすごく嫌だったけど、
一度「あ、やっと気づいたんだな」ということになったら、
今度は手の平を返したように気まずさのようなものを
前面に出してきて、
こちらは表面的には何事もなかったかのように
したかったけど、
私と真逆の「そのまま」な義母は、
完全に引いてるっていう態度を隠すこともしなかったっていう。
ま、良く言えば本当に自然体なんですよね、義母は。


私は例え自分が嫌いな相手でも
拒絶されると、人より度を越して落ち込みます。
もちろんみんな自分が誰かに拒絶されたら
いい気分になる人はいないと思うけど
私にはそれが実際に刃物で切りつけられるように痛い。
痛くて痛くてその傷が癒えるまで物凄く時間がかかります。

特に今日なんかの場合は
「あんたの本性がわかったよ。今までのは演技だったんだね。
あんた、そういう人だったんだね。最低だね。」
と言われたような気分。
「あぁ、ついにバレてしまった・・」みたいな。

旦那は私が「誰々に嫌われてしまったかもしれない」と
悩むと
決まってこう言います。
「別にいいじゃん」と。
「え、いい?なんで?嫌われてなんでいいって思えるの?」
と私は思います。
でも旦那は
「それで何が困るの?その人に嫌われたらSARAは生きていけないの?
そうじゃないでしょ?なら、なんでそれで悩むの?」と。
旦那の言ってることはわかる。
確かに困りはしない。
生きていけなくもない。
確かにそれはそうだけど、
人から嫌われるってことは自分が嫌われるだけの人間だって意味に
私はとれる。

義母が私を嫌ったとなったら、
「あぁ、バレちゃったんだ。」という気持ちに私はなりました。
ついに本当の私に義母が気付いてしまったと。
今までいい子を演じ、いい嫁を演じてきたけど、
それが演技だったとついに全部バレて
本当の私の姿に気づかれたことが物凄く恥ずかしいし、
物凄くバツが悪い。
義母が「まんまと騙された。今までよくも騙してくれたね。」と
言っているようにも感じてしまい、それが物凄く怖い。


私は今日義実家へ行って、時間にしてみればたった5分くらいの
出来事だったのに、
これだけのことを感じてしまう。
実際義母が私に対してどう思ったのかは誰にもわからないことなのに、
いろんなことを勝手に推測・・いや、もう妄想に近いかもしれない、
義母の態度や言葉が全部自分を責めているように思えてしかたがなかった。
それは私の中にやましい感情があるからだとは思う。
後ろめたい気持ちがあるからそう感じるんだろうと思う。

義父は始終笑顔だった。
そんな義父だって心の中ではどんなことを思っているかも
わからないのに、
とりあえずずっと笑顔で接してくれたので
義父に対しては不安のようなものは感じなかった。


人に会うとね、
これだけいろんなことを考えて
苦しい気持ちになってしまう。
苦しくてしかたがない。
だから人に会うのが怖い。
これはもう病気に近いですよね。
いえ、本当に私、たぶん病気だと思うんですよ。
そのことに関してはまた今度書きますね。

とりあえず今日は義実家へ行って
物凄く疲れた、という話です。
(いや、違うか。^^;そんな一言で集約されるような
感情ではないですね、これは。)



酷い憂鬱感

2016-11-30 17:37:53 | メンタル関係
また昼寝してしまいました。
一端昼寝すると、起きるのがすごく大変。
朝起きるのより辛いかも。

で、起きたあとは酷い倦怠感っていうね。
こんな状態のまま夕飯作るのかよ、無理~、みたいなね。
いえ、もうしばらくしたら作りますよ、
作りますけどね。

昼間は「幸せ~」なんて言ってたのに、
今は地獄のような気分ですよ。
生理前の夕方はね、こんな風になることが多いです。
一日の中でも気分がコロコロと変わったり。
夕飯、もっと簡単なものにすれば良かったかな。
明日の旦那のお弁当はお休みしよう。

昼寝から起き立ての時、トイレに行ったらちょうど
近所のお宅が窓から見えて、
「そうだ、集金行かなきゃいけなかったんだ・・」と思ったら
恐ろしく憂鬱な気分になりましたよ。
あぁ・・本当に面倒臭くてわずらわしくてしかたがない。

完全にPMSですよね。
もう更年期も入ってるのかもしれないですが。
いや、もっと言えば
普段から境界性人格障害とか非定型うつっぽいところもあるけど、
そういうのが生理前は一段と色濃くなる気がします。

昼寝してた時は、
現実と夢とがゴッチャになってて、
隣りに旦那がいると思い込んでて、
見るといなくて「あ、夢か」みたいなのを繰り返してました。
その間はとても幸せな気持ちだったのに。

あーお腹空いたー。
とりあえずお米研ご。


自分で決める、切り開く

2016-10-01 10:05:28 | メンタル関係
いやぁ、参った。
いや、参ったと言うほどのことではないか、
なななんと、今日も6時起きでした。

ふと目が覚めた時、なーんか今日も早く目が覚めちゃったんだろうなって
いう予感はありましたが・・
でもまだ4時とかそういう時間じゃなくて
一般的な朝の時間帯なのいいのかもしれませんが。

いつも朝起きると
すぐにすぐ活動する気にはなれないので
タラタラとネットをチェックしてるんですよ。
芸能ニュース見たり、いろんな人のブログチェックしたり。
で、例えばちょこっと遅く朝9時とかに起きたとして
そういう朝のネットの時間がつい長くなっちゃったりすると
ちょこっと家事をしても
大したことやってないのにあっという間にお昼って感じに
なっちゃうんですよね。

でもさすがに6時に起きると
同じスケジュール辿ってても
時間が経たない経たない。^^;

7時過ぎにご飯食べて、
それからキッチンの片づけとか洗濯もの干したり
旦那の布団上げたり、なんだかんだしてもまだ9時。
9時過ぎに化粧して、今。


昨日結構家のあちこち片づけたので
もう今日は家のことするのは嫌だなぁって感じなので
今日はちょこっと出かけて来ようかなと。
って言っても私が出かけるところなんて
いつも高が知れていて
ブックオフかしまむらかな、みたいな。^^;
ま、用事があると言えば100均にもちょっと寄りたい気もするけど・・
どうしようかなと。

まぁ、そんな風に普段はあまり行かないところにちょこっと行くくらいが
今の私が一人でできるレジャーの最大級ですが、
そうして自分なりに楽しみを作って
なんとかやっていこうかなと。



境界性パーソナリティ障害のことを書いている、
あるサイトがあって、
(まだその病気かどうか決まったわけではありませんが)
他のどのサイトより私はそのサイトに書かれていることが
とても刺さったのですが、
それを見て特に私が強く感じたのは、


私はやっぱり子供のころから
いつもいつも何かを人に求めて生きてきたなと思ったんですよ。


もちろん困っている時や本当に苦しい時に
人に助けを求めることは普通のことだけど、
私はそれ以前に、
自分の人生丸ごとを誰かに何とかしてもらいたかった、
ような気がしました。
それが私にとっても恋愛であり、
結婚だったような気がします。
でも人に何とかしてもらおうと思っているうちは
何とかは決してならない、どうにもならないことにやっと
気づきました。
私は旦那と喧嘩になる時はいつも
「どうして私の思う通りにならないんだ!」ということで
怒ってきた気がします。
「どうして、私が思ったように私を助けようとしないんだ!」
「どうして、私の思ったような言葉を私に言ってくれないんだ!」
「普通はこうするのが普通なのに、どうして旦那はそれをしないんだ!」
と。
でも今思うと、それは当たり前のことですよね。
旦那は私とまったくの別人格でまったく別の人生を生きているのです。
でも私は旦那に自分の思った通りに動いて欲しかった。
そうすることが旦那として当然だと思ってきました。
でも当たり前ですが
それはまったくの勘違いです。
そんな当たり前のことを今になって気づきました。

誰もどうにもしてくれない。
それは一見とても寂しいことのようで
実はとても自由なこと。
自分が自由にどれでも選んでいいということ。
私は何かを決める時、
どうしたらいいかと思う時、
他人の意見を参考にするという相談ではなく、
結局誰かに、自分の意見に賛同して欲しかっただけだったのだと
気づきました。
それは結局「自分のことを自分で決める」ということが
できなかったのだと思います。



あ、またついこんな話になってしまいましね。
あっという間に10時過ぎちゃいました。^^;

とりあえず、このあとちょこっと外に出てきます。


境界性パーソナリティ障害

2016-09-24 13:01:13 | メンタル関係
昔に比べて自分の気持ちをかなり整理できるように
なったり、抑圧せずにちゃんと吐き出せるようには
だいぶなった私だったけど、
一つだけ、(いや、もしかしたら一つじゃないのかもしれないけど)
どうしても自分の中で認められない気持ちがあった。
その気持ちはいつもことあるごとにチラッと顔を出していたのだけど、
「いや、たぶん違うから」と無理矢理心の奥に押し込んで来た
気がする。



私は旦那によく
「あなた、いつもつまらなそうにしている」と言ってきた。
休みの日などに一緒にいても旦那の表情が
本当に「つまらない!!」という顔に見えてしかたがなかった。
そんなつまらなそうな旦那を、
もっと私が楽しませないと旦那が私からどんどん離れていってしまうような
危機感に似た気持ちもいつも持ち合わせていた。
しかし私がどんなに旦那を楽しませようとしてもしても
旦那は「つまらない」という顔をやめない(気がしていた)。
そんな旦那に怒りを覚える時もあった。
「もう!!どうしたら楽しそうにしてくれるの!!?
私、こんな楽しませようと頑張ってるのに!!」と。
つい1ヶ月くらい前に美容院に行った時もそれを美容師さんにも
愚痴っていた。
「ウチの旦那、なんかいつもつまんなそうにしてるんですよー。
そういう顔見てると、お前何か楽しいことないのかよ!!って
思っちゃうんですよねー。」と。
美容師さんも笑い、私も自分で言いながら一緒に笑った。
一見冗談交じりの話のようになったけど、実は私の中ではかなり
深刻な話だった。
というか、旦那がいつもつまらなそうで
それがたまらなく嫌なのだということを
(旦那以外の)生身の人間に話したのはそれが初めてのことだった。

旦那本人にも何度も私は言ってきた。
「私と一緒にいてもつまらないの?いつもつまんなそうな
顔してる。」と。
返ってくる言葉はいつもいつも同じだった、
「つまらなくない」と。
私「でもそういう顔してるじゃない。」
私にとっては旦那のその表情が本当に「つまらない」
以外の何物にも見えなかった。
明らかにつまらなそうにしてるのに
どうしてつまらなくないと言うのだろう、いつもそんな気持ちだった。

しかし私はようやく自分の本当の気持ちを認めた。


本当につまらなかったのは私だったのだ。

旦那と一緒にいてもつまらないと思っていたのは私の方。

旦那と一緒にいても楽しくなかった。



でもそれを認めてしまうと、
旦那と結婚したこと自体を否定することになるような、
もしくは今まで旦那との夫婦関係が唯一私の自慢というか、
幸せな要素だと思ってきたのに、
実は「楽しくなかった」と言ってしまうと
私は自分のすべてを失ってしまうような気でいたのだ。

でも認める。
楽しくなかった。
もっと言えば旦那と一緒にいて楽しくなかったというよりは
私は私の人生が楽しくなかった。
虚しかった。




じゃあ、どうして楽しくなかったのか。
どうして虚しかったのか。
それは私がいつも楽しさや、心の空虚を埋めることを
他人に求めていたからだと思う。
誰かに認められることだったり
愛される、人から良く思われることにばかり気を取られてきていて
自分で自分の人生を楽しもうと、自分で楽しいことを見つけようとは
していなかった。
旦那に対しても、優しい気持ちで「自分の人生をもっと楽しんで
ほしい」と心配をしていたわけじゃない。
「この人を楽しませなければ、いつか自分が見捨てられる」
と結局は自分の心配をしていたのだった。

私はいつまでも自分の空虚感が埋まらないその苛立ちを
旦那のせいにしていた。



少し前に、私が「非定型うつ」ではないか、という記事を書いたけど、
その他にも私が自分で少し疑っている病気がもう一つある。
それは「境界性パーソナリティ障害」というもの。
書かれている症状がかなり私と似ていた。
だけど中には当てはまらないものもある。
「他者に自殺をほのめかす」
「強いストレスがかかった時、一時的に記憶をなくす」
これらは今まで一度もない。
が、その他はかなり一致している。
この病気にも程度というものがあるのかはわからないけど、
もしあるのだとしたら
私は軽度の境界性パーソナリティ障害というところなのか・・?
それがはっきりと診断されたわけではないけど、
もしそうだとしたら、
じゃあどうすればいいのかと思った時、
境界性~のことについて書かれているある一つのサイトの
いくつかの言葉がとても刺さった。


「他人に何か求めている限り、それは不確定で、不安定な要素を必然的に孕む」

「うまくいかないことがあったとき、他人のせいにするのをやめてみるといい。
寂しいからといって、すぐに他人で紛らわすのをやめてみるといい。
何か欲求不満が生じたとき、それをすぐに解消しようとするのをやめてみるといい」


私は自分の人生の問題を旦那にも一緒に解決してもらおうとしていた
ところがあった。
「ねぇ、あなたも一緒に考えて。どうにかして。」と。
同時に旦那の人生の問題は私も一緒に解決しなければいけないと思っていた。
しかもそれは思いやりを持って旦那を助けてあげたいという気持ちではなく
そししなくてはならないというほとんど「義務感」に近かった。

自分の問題を他者に委ねていては
その他者がいなくなること、他者に見捨てられること、
他者から良く思われなくなることにいつも怯えていなくてはならない。
不確定で不安定な要素をいつもいつも持っていなくてはならない。
だからと言って困った時や助けてほしい時に他者に助けを求めることは
決して悪いことではなく、むしろそうしていいし、
夫婦であればお互いにカバーしあうことはとても大切なことだけど、
それを当たり前のように、
強制的に「そうするべきだ」と自分も相手も縛ったり、
相手がうまく助けてくれなかった時に
だからと言ってすぐにその人を切り捨てたりその人に怒りを覚えることは
単なる「筋違い」なのだということにやっと気づいた。
むしろ、もし話を聞いてくれたり、何かアドバイス的なことを
言ってくれたなら、それに従えということではなく、
ありがたく受け取って、
そうしてくれたことに感謝しなくてはいけないということだ。



旦那は家族だ。
基本的には、日常を共に過ごし協力し合って一緒に生きていく相手。
その家族に私は
「私の楽しい話し相手になって!」
「私にもっと刺激をちょうだい!」
「私をもっと楽しませて!」
と無意識に要求し、それが叶わなければその不満が旦那に向かっていた。
私は自分の人生の虚しさを旦那のせいにしていた。



私は境界性~と決まったわけではないが、
ここまで症状が一致しているということは
その傾向は充分にあるということになる。
境界性~の人は幸せを感じにくいという。
そのどうしようもない虚しさから余計に他者に何かを求めたり、
どうしようもなく別の刺激で紛らわせたりしがちなのかもしれない。
紛らわせることや他人に何かを求めることが
その場面によっては完全に悪いこととは言い切れないが、
やはり根本の解決にはならないということなのかもしれない。
自分の問題や自分の辛さは自分で引き受け、
自分で何とかしていく、
そして自分なりの幸せを見つけていく、
ということなのだろう。
頭ではわかったけど、
果たして本当にこの私に自分の幸せが見つけられるのかな。
私の幸せってなんだろう。
そう言っているうちは
まだまだなのかもしれない。



ソロキャンプ願望の理由

2016-09-23 06:48:43 | メンタル関係
去年、アウトドアに目覚めた。
同時に様々なキャンパーさんのブログも数多く見た。
youtubeで動画もたくさん見た。

そして「ソロキャンプ」と言って
今はたった1人でキャンプに行く人も増えていることも知った。
それは大抵が男性だったけど、
中には女性の方もいた。
私と同世代の人も。
それは私の中ではとても衝撃だった。
そして憧れだった。
動画の中で私と同世代と思われる彼女は逞しかった。
キャンプなのだから当たり前だけど
1人でテントやタープを設営し、
たった1人で夜を明かす。
ファミリーでキャンプに行く動画も別でアップしているので
もともとはずっとファミリーで行っていて、
キャンプ自体にも慣れていたこともあったのだと思うけど、
それにしたって私にとってそれは物凄いことをやってのけてる
気がして憧れると同時に
私にはやっぱり無理だという気持ちも大きかった。

実際、旦那と一緒にデイキャンプに行った時、
かなりの強風にスクリーンタープを吹き飛ばされそうになった
ことがあった。
旦那と私の大人2人で全体重をかけて支え、
結果的には被害は出なかったが
もし吹き飛ばされていたら
隣のファミリーに物凄い勢いでタープが飛んで
怪我人が出てもおかしくなかったような状況だった。
あんな状況になったら
とてもじゃないけど私一人ではどうにもできない。
いや、それだけじゃなく、
私はキャンプをする場所にすら1人で行けない。
頑張って行けたとしてもキャンプをそこから楽しむ余裕も
ないだろう。
それは実際今ある体力気力ではあまりにもそれが負担だと
いうことなのだけど、
でも本当はそれが別にキャンプじゃなくても良いのかもしれないと
今は思う。

自分で考え、自分で行動し、自分で判断し、失敗しても
自分で乗り越える。
本当はそういうことがやりたかったのではないか、と今は思う。