今日は定期本番。
午前中は明日からシューマンさらいーの、大学の事務的な作業しーので時間がすぐつぶれました。
今日のプログラムは
リヒャルト・シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」
タデウス・ヴィレツキ:ピアノ協奏曲(世界初演)
ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」
マークス・ポシュナー氏の素晴らしいプローベと本番の集中力もありかなりいい演奏会だったと思う。
しかしお客さんのフライング拍手には参った。
「ロデオ」のホーダウンだったら途中間違って叩いちゃうのはわかるけども。
ヴィレツキさんのピアノ協奏曲、聴き手はどうだったのでしょうか。
作曲者からのイメージやメッセージがなければただの常識からの逸脱した「前衛音楽」だけとしか受け取れないかもしれません。
世界初演で参考にする音源もなく伝える側の演奏者も作曲者のイメージをできるだけ汲み取り表現しなければいけません。
このあたりはオケとしても経験が少ないので新たな刺激だと思いました。
演奏会後、宇品「ほの湯」でさっぱりして帰宅。
午前中は明日からシューマンさらいーの、大学の事務的な作業しーので時間がすぐつぶれました。
今日のプログラムは
リヒャルト・シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」
タデウス・ヴィレツキ:ピアノ協奏曲(世界初演)
ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」
マークス・ポシュナー氏の素晴らしいプローベと本番の集中力もありかなりいい演奏会だったと思う。
しかしお客さんのフライング拍手には参った。
「ロデオ」のホーダウンだったら途中間違って叩いちゃうのはわかるけども。
ヴィレツキさんのピアノ協奏曲、聴き手はどうだったのでしょうか。
作曲者からのイメージやメッセージがなければただの常識からの逸脱した「前衛音楽」だけとしか受け取れないかもしれません。
世界初演で参考にする音源もなく伝える側の演奏者も作曲者のイメージをできるだけ汲み取り表現しなければいけません。
このあたりはオケとしても経験が少ないので新たな刺激だと思いました。
演奏会後、宇品「ほの湯」でさっぱりして帰宅。