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クラシック音楽研究者 蔵 志津久によるCD/DVDの名曲・名盤の紹介および最新コンサート情報/新刊書のブログ

◇クラシック音楽CD◇アドルフ・ブッシュのベートーヴェン:ヴァイオリンソナタ第7番 他

2011-07-01 11:06:04 | 室内楽曲(ヴァイオリン)

ベートーヴェン:ヴァイオリンソナタ第5番「春」
          ヴァイオリンソナタ第7番
バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番

ヴァイオリン:アドルフ・ブッシュ

ピアノ:ルドルフ・ゼルキン

CD:EMI CDH 7 63494 2

 このCDは、旧西独でデジタルリマスターされたもので、ベートーヴェン:ヴァイオリンソナタ第5番「春」が1970年2月、同ヴァイオリンソナタ第7番が1973年5月の録音である。範疇から言えば歴史的名盤ということになろうが、そう聴きづらい状態でもない。現役盤とまでは言えないが、決して古色蒼然とした録音でもない。そこそこの音質は保っている。演奏内容はというと、今聴いても、それぞれの曲の代表的録音と言っても過言でないほど優れたものとなっている。アドルフ・ブッシュは、正統的なドイツ音楽にぴたりと合う、メリハリの効いたヴァイオリン演奏が身上であるが、これらの録音は、そんなブッシュの特質が最大限に発揮されており、聴いた後は「久しぶりにベートーヴェンらしい演奏が聴けた」と満足感に浸ることができる。真剣勝負で、決して意表をつくことはなく、あくまで真正面から勝負を仕掛けてくる勝負師そのものの姿がそこにはある。これを古い演奏スタイルだと一刀両断に切り捨てられない奥深さを、アドルフ・ブッシュのヴァイオリン演奏は内包しているだ。

 ベートーヴェン:ヴァイオリンソナタ第5番「春」の優雅な趣もいいが、ヴァイオリンソナタ第7番の、迫力をそのままぶつけたような演奏に一層深みが感じられる。概して速いテンポで颯爽と弾きこなしている。そして一点の迷いもなくベートーヴェンの世界に突き進んでいく演奏は、現在ではあまりみられなくなった演奏スタイルということが言えるかもしれない。しかし、その少々古くなったようにも思える演奏スタイルの裏には、愚直ではあるが、確固とした信念みたいな鋼鉄のような精神性が聳え立っている。これは、現代の演奏家に最も欠けている点ではなかろうか。ベートーヴェンの音楽には、良くも悪くも「苦難を克服して歓喜を得る」という精神性が付いてまわる。これはベートーヴェンの生まれ育った社会環境が大いに関わっている。現代は、精神性よりも合理性がより重んぜられる。その結果生まれた現代の演奏スタイルは、非の打ち所のないほど完璧ではあるが、一方では、ベートーヴェンの追い求めた不屈の闘志がどうしても抜け落ちる。ブッシュの演奏は、無骨な面がある反面、現代の演奏家には求められない強靭な精神性に満ちている。

 このことは、ピアノ伴奏をしているルドルフ・ゼルキンにもほぼ同様なことがいえる。強靭なタッチでピアノ伴奏の役をまっとうしているが、時には伴奏という言葉が相応しくないほどヴァイオリンのブッシュと対等に渡り合っているのだ。そこで醸し出される緊張感は1+1が2ではなく、4になり、さらには8にもなる感覚すらある。特に、ベートーヴェン:ヴァイオリンソナタ第7番は、そんな緊張感がぴったりの曲であり、ブッシュ&ゼルキンのコンビのこの録音は、ベートーヴェンが目指したヴァイオリンソナタの新しいあり方、つまり、それまでの典雅なヴァイオリンソナタのイメージを一新させた前例のない意欲作には打って付けなのである。そして、ブッシュ&ゼルキンのコンビがあってこそ、この名録音が生まれたと言っていいだろう。このような名コンビのヴァイオリンソナタの録音として他に挙げるとするなら、シゲティ&バルトーク、さらにティボー&コルトーのコンビの録音が思い出される。これら3つの録音とも音質は決して芳しいものではないが、演奏の質の高さと精神性では、他に及ぶものはない。クラシック音楽のジュニアかシニアに該当するリスナーなら、一度は聴いておいてほしい録音ではある。

 アドルフ・ブッシュ(1891年―1951年)は、ドイツのジーゲンのユダヤ系家系に生まれる。ケルン音楽院に学び、1912年にソリストとしてデビューしている。1919年にはブッシュ四重奏団を結成する。その後、ナチスにより追放されたピアニストのルドルフ・ゼルキンを追ってスイスに亡命。さらに、1939年には、家族とともに米国に渡った。この時代のドイツの演奏家には、ナチスの影が常に付き纏うが、ブッシュもナチスの手から逃れようとしたことが分る。このことが、ブッシュのヴァイオリン演奏に少なからぬ影響を与えたことは、容易に察しが着く。このCDには、ベートーヴェンの2つのヴァイオリンソナタに加え、バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番が収められている。この演奏もベートーヴェンの演奏に負けず劣らず素晴らしい。演奏技法だけ取り出せば、現在ではこのくらいの力量を持ったヴァイオリニストは五万といるかもしれない。しかし、ブッシュのこの録音を聴いていると、そのヴァイオリン演奏に賭ける厳しい姿勢は、多くのリスナーに感動を与えずには置かない。ヴァイオリン演奏に全神経を集中させたその姿勢は、神ががりですらある。(蔵 志津久)


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