まさに五月晴れです。とても良い、もったいないような日になりました。
ところで、五月晴れって、いま五月の晴れの日に使うことが多いですよね。しかし、五月雨(さみだれ)となると、六月の梅雨のこと。どうして五月晴れが五月で五月雨が六月???
調べてみたところ、今頃のお天気の日を五月晴れと言うのは、本来は誤用なのだそうです。本当は梅雨の合間の晴れのことを言うのだそうです。むかしの五月、つまり旧暦では五月は今の六月ごろに当たりますからね。
林の木の上に聳えるのは竹。木が何年もなんねんもかけて成長するのに比べ、一番右の竹を見るとわかりますが、竹はタケノコとして生えてから、たった2ヶ月くらいでもうこの通り。木々を見下ろすほど高くなってしまいます。すごいですね。
近頃は、利用されることが非常に少なくなり竹藪は荒れ放題となっています。単に荒れているだけではなく、竹は地下茎により周りに侵略してきますから、そうなると本当に邪魔ものになってしまいます。
根っこは網目状に広がり太さも3~4cmの硬いものですから、なかなか掘って取り払うというのも大変です。
これが何とか燃料などに利用できないものかなと思うのですが。たとえば計画的な需要を考え、火力発電所の燃料にするとか。
火力が弱すぎるのかもしれませんが、もしうまく行くなら、放棄地のようなところに計画的に栽培をし、伐採し発電所に供給する。次の春にはしっかりひとりでに生えてきますから、植林は必要ありません。その点ではとても楽です。
と思うのは、やっぱり素人の浅はかな思いつきでしょうかね。利用されないということは、例えば運賃を含めて、手間がかかりペイしないところがあるのでしょうかね。
虫の赤ちゃん
竹が邪魔物にされているものですから、何か利用法が無いかなと思うときがあります。単なる竹細工品とか、そういう利用のレベルでは竹は永遠に邪魔物扱いとなるでしょうね。
木にもあらず 草にもあらぬ 竹のよの
端に我が身は なりぬべらなり 読み人知らず
木でもなく草でもない竹のその よ のように
私の身は世の半端ものに成ってしまったようだ
※ 「よ」は竹の節と節の間の空間の部分。 世の中の 世 の意味も含んでいる