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筑波の山

2015年03月27日 | Weblog


一転して今日はまさに春日です。風はあっても冷たくない。そよ風が気持ち良く、暑くも寒くもない日です。

 

いまごろ、クロッカスの遅咲き。せっかく咲いたのですから、その美人の顔を大写しで・・・。

 

夕焼けの筑波山。広いところに出ると、筑波山をすぐに探してしまう癖があります。それに気づくたびに、日本のすぐれた山を百選んだ深田久弥という人の絵画 『 日本百名山 』 の中の言葉を思い出します。

「 日本人はたいていふるさとの山を持っている。山の大小遠近はあっても、ふるさとの守護神のような山を持っている。そしてその山を眺めながら育ち、成人してふるさとを離れても、その山の姿は心に残っている。私のふるさとの山は白山であった。」 と、その本の冒頭で言っています。そして私のふるさとの山は筑波山です。

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                              夜のカフェ 窓に映った自画像


 

古老がいうことには、昔、祖(みおや)の神尊(かみのみこと)が多くの(御子)神たちのところをお巡りになって、駿河の国の福慈(富士)の岳にお着きになると、とうとう日が暮れてしまった。 そこで一夜の宿りをとりたいと頼んだ。

この時、福慈の神が答えていうには、「いま新栗(わせ)の新嘗(にいなめ)をして家中のものが諱忌(ものいみ)をして(他人の接触を絶って)おります。 今日のところは残念ながらお泊りいただくわけにはまいりません」といった。 ここにおいて神祖の尊は恨み泣き、ののしって「わしはお前の親なのだぞ。 どうして泊めようとは思わないのだ。 これから、お前の住んでいる山は、(お前が)生きているかぎり、冬の夏も雪が降り霜がおり、寒さ冷たさがつぎつぎに襲いかかり、人民は登らず、酒も食べ物も無かろうぞ」といった。

あらためて今度は、筑波の岳にお登りになり、また宿を請うた。この時、筑波の神は答えていった。 「今夜は新栗嘗(にいなめ)を致しておりますが、どうしてあなた様の仰せをお受けしないことがあってよいものでしょうか。 そして飲食物をしつらえて、うやうやしく拝み、つつしんで丁重に奉仕した。 そこで神祖の尊は晴れ晴れと歓んでお歌いになった。

「愛(いと)しい我が子よ たかい神の宮 天地(あめつち)とともに 日月(ひつき)とともに 人民(ひとら)集い慶び 飲食富豊(ゆたかに) 代々絶えず 日日(ひましに)栄え 千秋万歳(とこしえに) 遊楽窮(きわ)まらじ」

このことがあって、福慈の岳は いつも雪が降っていて人々は登ることができない。 この筑波岳は人々が往きつどい、歌い舞い、飲んだり食べたり、今にいたるまで絶えないのである。

                                      『口語訳  風土記』

と言う話が「常陸風土記」と言う、奈良時代に書かれた古いふるい本にあります。