穏やかな天気に恵まれた三連休も終わり、私を残して奥さんも息子も勤めに行ってしまいましたので、昨日は私は犬のコロと、猫のミーちゃんと、多少の烏骨鶏相手の一日でした。
それぞれ言葉が通じないので、物足りないと同時に煩わしさもないという両方を味わう日でもありました。一方的に私が話しかけ、聞くほうにはさっぱり私の意図とすることが理解できないというのも面白いものです。訳がわからないからしかたないので、尻尾を振ってごまかしていたり、ゴロゴロと喉を鳴らしたりしていました。
畑の野菜どもは黙して語らず。もっとも、大昔のそのまた大昔は、植物も石のようなものもしゃべっていたそうで、それを喋るのを止めろと神様決めたのだそうです。何かに出ていました。
野菜が喋ったらたいへんですね。「あ、まだ早い。まだ取らないでくれ。」とか、「命を全うしないうちに収穫してしまうなんて、殺人(植物だから何というのが正確なのか)の罪ではないのか。訴えてやる。」とか、「なんで俺が産んだ卵を食べちまうんだよ。ひどいじゃないか。人間はみな泥棒だ。いや強盗だ。」なんて、コケーコッコと合唱されたらたいへんですからね。
それこそ、こっちがノイローゼになってしまいます。食べる物なんか無くなってしまう。動物どうしでもそうですね。言葉が通じないから食ったり食われたりと、すんなりいっているんですね。
犬だってそうです。「何で猫だけ鎖がないんだよ。何で俺だけ繋がれていなけりゃならないんだ。」と凄まれたりとか、「一生のお願い。この鎖をほどいて。でないと私死んじゃうから。」なんて泣き落としにかかられた日にゃ、もうこっちの体がねじれてしまう思いになってしまいますよ。
さてさて、そんなバカげた話はさておいて、、、。でも自由にそんなことを考えるのも面白いですね。農園で飼っている動物たちが反乱を起こすという話がイギリスにあります。ジョージ・オーウェルという人が書いた「アニマル・ファーム(動物農園)」という本です。なるほど一理あるなと思わせる本です。
それで話を元に戻したいのですが、何が元だったか。とにかく、、、、霜がおりたので残りのヤーコンを全部掘り出しました。と言っても正確には全部ではないのです。別なところにもあるのです。が、とにかくきちんと作ったところのを掘りだして、それを先日紹介したハウスの中の穴に埋めました。そのあとはトラクターで地ならしをしてスッキリ。
これは茎の根元にじかについている部分です。この紫色のところが来年の新芽になるんだそうです。このまま埋めておくと春には芽がでてきます。
まとめて埋めて、春になったら小分けして植え直すか、いま植えておくという手もあります。私はポツリポツリと離して植えてしまいました。来年になったら追肥で養分はまかなおうと思います。
裏山の仕事は、スズメバチがまだ心配なので、その後は手を出していません。もう霜が何度も降りたくらいだから、大丈夫だとは思いますけど、なにせ二度も刺されちゃっているので、三度目の正直と言う言葉がありますから、用心することにします。
でも、正直に私の気持ちを分析すると、実はもっと巣に出くわして、どんどんやっつけたいというのが本音です。危険なものをやっつけるというのは、快感ですからね。達成感でもありますし、征服欲を満たしたいという気持ちもあります。「やっぱり俺は危険なことが好きなんだ。 」と思いますね。
ニャンパルさん に教えていただいた 「三丁目の夕日」 はこんな感じの漫画なんですね。本屋さんにあったら読んでみようかなと思っています。映画とは雰囲気が違うかもしれませんね。