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鏡の中:左右逆転の謎 古くはプラトンを悩ませ 今も熱い論争(毎日新聞コラム)

2007年12月09日 | 心のしくみ
◇物理で説明か、心理かかわるか

 鏡の前で右手を上げると、鏡の中の私は左手を上げているように見える。なぜ鏡の中では左右が反対なのか。この問いかけは、古くはギリシャの哲学者、プラトンが考えたと言われるほど長い歴史を持つ。現在も認知心理学と物理学の両分野で、国際的な議論が続いている。今年11月、「鏡像問題に決着をつけた」とする認知心理学者の論文が発表されると、物理学者が批判するなど熱い論争が続く。鏡像の謎に迫った。【関東晋慈】

 ◇実証実験で論文

 東京大の高野陽太郎教授(認知心理学)らは11月、英国の心理学専門誌に実証実験に基づく鏡像問題の論文を発表した。102人の学生が協力。この分野では過去にない仮説検証実験だった。

 論文で分析した二つの主な実験は、自分自身と文字を鏡に映し、左右、上下に逆転しているかどうかを問う内容だ。

 まず、自分の姿については、「逆転している」と答えた学生は67人(65・7%)、「逆転していない」と答えた学生は34人(33・3%)だった。高野教授は「3割以上もの人が鏡に映る自分が逆転しないと感じている。鏡像問題は逆転していることが問題の前提だったが、歴史の中で初めて示した事実」と話す。

 この現象を説明するのが視点の転換という。鏡の中の自分の視点から、判断した人は逆転して見え、置き換えなかった人は逆転しないという。

 文字の逆転の実験では、最初にアルファベットの「F」を鏡に映した。102人全員が左右逆転していると答えた。次に、ロシア語のアルファベットであるキリル文字の「ユ」で実験した。52人のうちロシア語を学んだことがない学生45人では、「逆転」と「逆転していない」が同数の16人(35・6%)、「分からない」も13人(28・9%)とばらつきが出た。一方、ロシア語を学んだことがある学生7人は全員が逆転していると答えた。これは、記憶の文字と鏡像が逆になることで生じた結果だという。

 高野教授は逆転する理由について、(1)鏡に映った人の視点から左右を判断する(2)記憶と逆に見える--という二つを挙げている。「理由が複数あるという点が、他の研究者の理論と大きく違うところ」と話し、「鏡像問題は、人間にとって、どう見えるかという問題だ」と主張する。

 ◇問題の起源は

 鏡像問題は「なぜ左右が逆になるのか」という疑問から始まった。だが設問自体があいまいだったことと、物理的説明と視覚による認知という心理的要素の混在で、明快な仮説はごく近年まで提唱されなかった。

 例えば、ノーベル物理学賞を受賞した米国のファインマン(1918~88)は大学生時代に鏡像問題を考えたことが伝記に残っている。日本の朝永振一郎は随筆の中で、ファインマンによく似た説明として「鏡の後ろに回って立つ自分を想定して比較してみる」などと記しているが、最後は「何かもっと一刀両断、ずばりとした説明があるのか、読者諸兄に教えていただきたい」と結論には至っていない。

 国際的には英国や米国、ニュージーランドの心理、物理、さらに哲学者がさまざまな仮説を提唱している。文字を鏡に映すために、ぐるりと回して鏡に向ける時に左右が反対になるとする「回転説」や、逆転している方向を「左右」と見なすのが習わしだという「言語習慣説」まである。

 ◇批判論を準備中

 鏡像問題について国際的に論文発表をしているのは高野教授らのグループのほかに、物理学の分野で多幡達夫・大阪府立大名誉教授(放射線物理学)のグループがある。多幡名誉教授は「鏡像の左右逆転、非逆転の根本的な理由に、心理は本質的なかかわりを持たない」と訴える。物理的要因が心理的プロセスに先立つ原理だという立場で、高野教授の理論を批判する論文を準備中だ。

 多幡名誉教授によると、非対称なものの鏡像は実物と比べ、上下・前後・左右の三つの軸のうち一つの軸が逆になる。鏡に人を映した場合、人の体が外見上ほぼ左右対称なため、上下・前後の軸を決めた後に左右が決まることになる。鏡像を、実物とは違う鏡像固有の座標系で考えると、左右が逆転する。多幡名誉教授は「逆転が起きないのは、実物と鏡像で同じ座標系を使っているから。例えば、右手を上げた場合、鏡像も右側の手を上げている」と説明する。

 多幡名誉教授は「鏡像問題は、物理的に説明できるという考え方と心理がかかわっているという考え方が争ってきた。物理的理解をしっかり踏まえた上で、心理的研究をさらに進めるならば、今後の鏡像問題研究はますます興味深くなると思う」と話している。

[毎日新聞 / 2007年12月09日]
http://mainichi.jp/select/science/news/20071209ddm016040025000c.html