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「大人は判ってくれない」     (1959年 フランス映画)

2023年11月01日 | 映画の感想・批評
 12歳のアントワーヌはパリの狭いアパルトマンで、冷淡な母と稼ぎの少ない継父と一緒に暮らしていた。アントワーヌは母の連れ子で、いつも母に叱られてばかりいるので、表情が硬く笑顔を見せない。ズル休みをして友人のルネと街を歩いているときに、母が見知らぬ若い男とキスをしているのを目撃してしまう。その夜、寝袋の中で両親の夫婦喧嘩を聞いていたアントワーヌは、母が自分を施設に入れたがっていることを知る。ズル休みの理由を「母が死んだから」と答えたアントワーヌは、嘘がばれて父に叩かれ、家出をする。母の迎えで一旦は自宅に戻るが、再び家出をして、継父が勤める会社のタイプライターを盗んでしまった。激怒した継父に警察に突き出され、少年鑑別所送りとなるが・・・

 ゴダールの「勝手にしやがれ」と共に初期ヌーベルヴァーグを代表する作品で、トリュフォーの長編デビュー作でもある。原題のLes Quatre Cents Coupsは「400回の殴打」という意味のフランス語で、親や教師に毎日ボコボコに殴られている少年の状況を表している。少年の置かれた状況は苛酷だが、映画は軽快に始まる。エッフェル塔を様々なアングルから移動撮影する白黒映像がみずみずしく、音楽も繊細で愛らしい。スタジオの人工的なセットで撮影するのが当り前であった時代に、パリの街並みにカメラを持ち出し、スケッチするように日常を描いている。低予算で、スタッフも少なく、照明も使わない。セットで作ったパリではなく、現実のパリをフィルムに写し取ろうとしたのだ。1930年代にフランス映画界を席巻した「詩的リアリズム」というスタイルが、ペシミズムを美化し、仰々しい台詞を使って文学性の高い作品を目指したのとは対照的に、トリュフォーは現実をありのままの姿で切り取ろうとした。
 こうした映画作りが可能となったのはカメラの軽量化と高感度フィルムの開発に依るところが大きい。20年代のドイツ表現主義の深い陰影描写は照明技術の変革が寄与しているし、40年代のフィルムノワールの夜間ロケ撮影は高感度フィルムの開発なくしては成り立たない。監督の独創力と機材の進歩が映画表現の可能性を広げるのだ。

 トリュフォーの自伝的映画と言われているが、現在では考えられないような子供への虐待が家庭、学校、施設で日常的に行われているのに驚かされる。叱られても殴られてもまったく表情を変えないアントワーヌが、少年鑑別所へ向かう護送車の中で初めて涙を流すシーンは切ない。少年鑑別所の女医の質問に対して、
「母は僕を愛していません・・母のおなかに僕が生れたとき、母は結婚していませんでした・・母は僕を堕ろすつもりだったんです」
と、12歳の少年が答える場面は残酷だ。その後に面会に来た母親は、
「おまえを引き取らない・・パパもおまえの将来に関心がない・・勝手になさい」
と、非情な言葉を投げつける。
 最初の家出から帰ってきた時、母親は息子に対する態度を一時的に改めたことがあった。アントワーヌを風呂に入れ、体を拭いてやり、自分のベッドで寝かせた。フランス語の作文だけは頑張れと励ましてくれた。やさしかった。親子三人で映画を見に行った帰り、アントワーヌは本当にうれしそうだった。これで幸せになれると思ったことだろう。両親と和解したかに見えたが、教師に作文の宿題がバルザックの丸写しだと叱責され、停学となり、また夜の街を彷徨することになる。バルザックを丸写ししたのは母の期待に応えたいという気持ちがあったからだろう。熱意は裏目に出てしまった。母の愛情が長続きしなかったところは、トリュフォー自身の現実が反映しているのだろうか。 (KOICHI)

原題: Les Quatre Cents Coups
監督: フランソワ・トリュフォー
脚本: フランソワ・トリュフォー  マルセル・ムーシー
撮影: アンリ・ドカエ
出演: ジャン=ピエール・レオ  パトリック・オーフェー 
アルベール・レミー  クレール・モーリエ




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