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「アシスタント」(2019年 アメリカ映画)

2023年07月05日 | 映画の感想・批評
 淡々とはじまって淡々と終わる。事件らしいことは起きるがさほど重要だとも思われない、というのは男性目線の傲慢であって当事者からするとかなり深刻な話なのだが、ことさら騒ぐでもわめくでもないこの映画のトーンにもかかわらず、観客は知らず知らずのうちに映画の中に引き込まれている。これはキティ・グリーン監督の術中にはまってしまった証拠である。
 種明かしを最初にしてしまうと、この映画は#MeToo運動をベースにしている。アメリカの高名なプロデューサーが女優などにセクハラし、それが告発されて映画界だけでなく幅広い範囲での大々的な反セクハラキャンペーンに発展した事件である。
 映画はまだ夜も明けきらぬ早朝のニューヨークで下宿先を出た主人公のジェーンが勤め先のオフィスに向かうところからはじまる。一番乗りの彼女が照明をつけ仕事の段取りをはじめると、やがて次々と社員が出勤して来る。一流大学を出て勤めだしてまだ5週間しかたっていないらしいジェーンが最後にまた照明を消してオフィスを出るまでの1日を追う。映画の製作会社と思しきオフィスには俳優やプロヂューサーや脚本家などが順番に訪れ、会長室に列を成す。ジェーンは会長室の隣の部屋でふたりの先輩社員に混じってアシスタントとして働いているが体の良い雑用係だ。ひとりの男はガキっぽくて彼女に用事があると紙くずを投げつけて合図する。ときどき彼女をからかっては笑いの種にしている。もうひとりの男は黙々と仕事をしながらも、ジェーンが始末書を書かされるはめになるたびに文言を横からアドバイスしてやる親切心を持ち合わせているらしい。
 うまい脚本は日常の「あるある」をいかに取り込むかによるというのが私の持論だが、例えば、電話が鳴ると男ふたりしてお前が取れとばかりにジェーンを睨むとか、湯沸かし室でジェーンがコップを洗っているとそこへ休憩で入ってきた女性社員ふたりが噂話などをしながら飲み終えたマグカップを何食わぬ顔でジェーンのほうにすーっと押しやって出て行くとか、ジェーンがセクハラされている入社したばかりの後輩女子を見かねて中年の人事部マネジャーに相談に行くと「折角いい大学を出てここにこのままいたければそんな話は取り下げるほうがいい」と握りつぶされてしまうとか。これでは女性の地位が先進国中最悪だという日本と比べても同じレベルじゃないかと呆れてしまった。このように、ドキュメンタリ出身で長編劇映画は初めてという監督の手法は対象につかず離れず、ただ事実だけを積み上げて行く手法が成功していると見た。
 セクハラ騒動が表立ったのは2017年だが、実際に起きたのは1990年代のことである。しかし、おそらく状況はいまもそんなに変わっていないのだろう。根本的になにが問題なのかを理解しない限り、こうした男社会における女性軽視の風潮はいっこうに改善されないのではないか。
 ここに描かれているのは、いま世間を騒がせているジャニーズのスキャンダルとは似て非なる事象だろう。男社会においてパワーの優位にある者が劣位にある者を力でねじ伏せる縦社会の力関係に性的指向が絡んだのがジャニーズ問題だとすれば、#MeToo問題の本質はそもそも女性を社会の一人前の成員として見ようとしない悪弊が世間一般に岩盤として横たわっていることにある。これを同じセクハラとして同列に捉えてはならない。
 奇しくも7月1日付朝日新聞に掲載された「エンタイトル 男性の無自覚な資格意識はいかにして女性を傷つけるか」(ケイト・マン著)の書評に引用された訳者あとがきを孫引きして本稿を閉じることとしたい。男として耳の痛い一文である。
 「合衆国のように法的・社会的に男女平等が(形式的で不十分であれども)実現されているような「ポスト家父長制」的社会において、ミソジニー(女性嫌悪=筆者注)が守ろうとしている「家父長制的な規範や期待」とはそもそも何なのだろうか。その答えとしてマンが本作で提示しているのが、資格(entitlement)である。その資格の具体例として本書では、称賛を得る資格、セックスをする資格、同意される資格、痛みの訴えを聞いてもらう資格、自分の身体のことを自分で選択する資格、家事労働をしてもらう資格、知識ある者として語る/聞かれる資格、権力を得るにふさわしい者とみなされる資格である。」。(健)

原題:The Assistant
監督:キティ・グリーン
脚本:キティ・グリーン
撮影:マイケル・レイサム
出演:ジュリア・ガーナー、マシュー・マクファディン、マッケンジー・リー、クリスティン・フロセス


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