(左端がクリス。横がつれあいのフランシスと子どたち(1997年の写真))
昨日、フィリピン・サマールのレイから突然メールが入った。なんと、あのクリスが亡くなったというのだ。あまりのことに言葉もない。
私が初めてサマールに行ったのは1994年のことだった。リトの家でクリスを紹介され、それからサマール滞在中には特に頻繁に会うようになった。私は1996年から1年半、カルバヨグ市役所の都市計画の技術顧問として働いたのだが、その時も、彼は毎夕のように私のアパートに来て、いつも一緒に酒を飲んだ。いつもは寡黙な男だが、酒が入ると饒舌になり、議論が延々と続いた。週末には彼のバイクの後ろに乗せてもらい、ハッピーバレイ等、周辺の辺鄙な村々を訪ねた思い出も懐かしい。当時はキリスト教関係の環境NGOで働いていたので、私が始めたバイオガス事業にも特に関心を持ってくれ、2004年からJICAの事業を実施した際も、彼には本当に世話になった。
若い頃は、神父への道を志したが、家庭の事情で途中で挫折してしまったという。数年前にやっと市役所の常勤職員に採用されたが、それまでは定職もなく、奥さんの稼ぎに頼るほかなかった。そのことで鬱屈していたのか、時々、酒を飲みすぎては問題を起こし、よく奥さんを悩ませていた。若い頃から深刻な糖尿病に悩んでいたが、とうとう今回、それが命取りになったようだ。心からの冥福を祈りたい。
それにしても初めてサマールに行ってからもう20年。すでに何人の友人たちが死んでしまったことだろう。ハイミ、ウイ市長、ナナイさん---最近のサマール便りは友人たちの死亡のお知らせばかりになってしまった。