乳がん患者のサロン2 - ノエル編

乳がん患者の皆様、このサロンでのびのびと雑談しましょう。くつろぎの場です。

年老いた私が…

2009年07月12日 | 患者の気持ち
最近、がんを患っていた身内の看取りを体験しました。自分の将来を見ているようでもあり、私を看取る人は今の私と同じ気持ちなのか、、、などと考えてしまいました。

発信主は不明ですが、こんな文章を見つけました。

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「年老いた私が、ある日、今までの私と違っていたとしても」


 医療や介護、福祉の現場で働く者にとって、「心の糧」を見つけるのは、
 そう簡単なことではない。

 「使命感」に燃えて、人のお世話をしていても、日々の激務に心身を
 すり減らし、燃え尽きて現場から去る人も少なくない。

 医療従事者だけではない。
 グローバル経済が激動する中、どんな職業に就いている人も
 高いモチベーションを保ち続けるのは容易なことではないだろう。

 先日、たまたまラジオから流れてきた歌が、耳に残った。
 歌手の樋口了一さんが歌う「手紙~親愛なる子供たちへ~」という曲。
 作者不詳のポルトガル語で書かれた一編の詩を、樋口さんの友人が
 日本語に訳し、それに曲をつけたのだという。
 この曲を紹介したホームページを開くと、印象深い歌詞が載っていた。



   年老いた私が、ある日、今までの私と違っていたとしても
   どうかそのままの私のことを理解して欲しい
   私が服の上に食べ物をこぼしても、靴ひもを結び忘れても
   あなたに色んなことを教えたように見守って欲しい

 ではじまり、

   あなたの人生の始まりに私がしっかりと付き添ったように
   私の人生の終わりに少しだけ付き合って欲しい
   あなたが生まれてくれたことで私が受けた多くの喜びと
   あなたに対する変わらぬ愛を持って笑顔で答えたい

 で終わる詩は、在宅介護と高齢者医療の現場で苦闘する人々を応援している。
 樋口さんによると、「必要とされている人の元へ自ら歩いていく曲」とのこと。
 この歌を紹介したところ、私の友人・知人からたくさんの感想文が寄せられた。
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>年老いた私が、ある日、今までの私と違っていたとしても
 どうかそのままの私のことを理解して欲しい

病気もそうですね。
私の母はそんなに歳を取っていたわけじゃなく、亡くなる数ヶ月前までは、ごくごく普通に生活できていました。
しかし、ある時期から急激に病状が進み、それに並行して感情の起伏が激しくなりました。思いつきを即、言葉に表わしてしまい、受け取る私は振り回されました。一時期、険悪な状況にまでなりました。
今から思えば、病気が心をも侵していたのだと思います。

まあ、これが私の後悔となって心に沈んでしまったのですが。
四十九日辺りが、最も激しく後悔をしていた時期です。
で、四十九日の法要って、そういうことをいつまでも考えてちゃいかんっと、遺族に活を入れるイベントなんだなあと実感した次第です。


と、反省しきりなのですが、、、
私を看取る人へお願い
     私も母と同じことをやっちゃうような気がするので、すまんがそこんとこ、よろしくねーっ。
ま、頭で理解しても、口では違うことを言っちゃうもんだよ、人間は。


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なかのひと

This blog “The salon of breast cancer women authored by Noe:l” is able to read in Japanese:-)