私の実家は三重県の熊野市にある。母が92歳になるので松阪と多治見に住む弟妹で日程を調整し帰省した。
夫が面白半分で高麗から新鹿(私の済んでいる町)まで鈍行で帰ったらどうなるかを検索したら、何と待ち時間ほとんど無しで路線が1本に繫がった!しかも少し時間が欲しいというところで20分とか、トイレ休憩もここでOKという素晴らしい連結具合。もお、このまま行ってみようじゃないのということになり、高麗駅始発で東海道を乗り継ぎ紀勢本線新鹿駅まで12時間30分の鈍行一人旅を決行したのでありました。
だいたい無人駅となった私の町には、特急に乗っても鈍行に乗り継がなければならず、待ち時間でヘタをすると1時間、もしくは2時間近くをロスすることになる。夜行バスで行ったとしても朝早く着いた熊野市駅で電車が来るのを2時間も待つ事になる(冬場はちょっとたまらんです)。
と言う訳で、鞄に読みたかったハードカバー2冊を突っ込んで出かけてみましたよ、今年も(実はこれで二回目)。
三島辺りの富士山を撮るはずが本に夢中で気がついたら沼津を過ぎていて、窓枠一杯の富士山を取り損ねたのは本当に残念。お天気も上々だったのに。
今回、鞄に突っ込んだ「ジェネラルルージュの凱旋」海堂尊が面白くて撮ったのはこの1枚だけでした。
何でもっと早く来ないのと言われながら午後5時40分、故郷新鹿駅にたどり着いたのでありました。日はとっぷりと暮れておりましたが実家はこんな所です。
温泉に行きたいという母の希望もあって、熊野のまさに奥座敷というか海岸に住む私達からすればいくつ山越えしたか分からない湯の口温泉に初めて日帰り入浴に出かけた。
もう一段上の湯の口温泉まではトロッコ列車も走ってました。カワイイ。
温泉で、何と中学卒業以来1度もあった事の無かった同級生と遭遇。本当にビックリ!それから私の乗った東海道線鈍行の1本前の電車でこんな山奥までたどり着いた女性ともお会いした。しばし鈍行一人旅で話が盛り上がり、とても楽しいひとときだった。
で、帰りに熊野古道にある丸山千枚田へ。
こんな山奥をどんな思いで耕したのか。この田んぼ1枚1枚にはオーナーがいて、京都大学の学生を中心にボランティアで管理しているのだとか。人の手を入れなければとっくの昔に山に戻ってしまっていたそれは見事な風景でした。感動しました。
帰りは尾鷲から特急ワイドビュー南紀にて新幹線を乗り継ぎ帰宅。しかし尾鷲で50分近く特急待ち。鈍行乗り継ぎでもこんなに長いインターバルは無かった。
ワイドビューの自由席は何と1番前。いいわあ。
途中の風景
母が買ってくれた昆布の巻き寿司をほおばりながら、妹と昔話をしながら名古屋まで。
名古屋からは新幹線。新幹線の窓って、小さいのね。昔、窓枠一杯に富士山を眺めたのは新幹線じゃなかったのかしら。富士山をみようと山側に席を取ったけど、あまりの窓の小ささにガッカリ。葉室凛の「山月庵茶会記」を読みながらあっという間に東京に着いてしまった。
何だか時間が勿体ない気がしてしまった私。もっとゆっくりでも良かったんだけど。
夫が面白半分で高麗から新鹿(私の済んでいる町)まで鈍行で帰ったらどうなるかを検索したら、何と待ち時間ほとんど無しで路線が1本に繫がった!しかも少し時間が欲しいというところで20分とか、トイレ休憩もここでOKという素晴らしい連結具合。もお、このまま行ってみようじゃないのということになり、高麗駅始発で東海道を乗り継ぎ紀勢本線新鹿駅まで12時間30分の鈍行一人旅を決行したのでありました。
だいたい無人駅となった私の町には、特急に乗っても鈍行に乗り継がなければならず、待ち時間でヘタをすると1時間、もしくは2時間近くをロスすることになる。夜行バスで行ったとしても朝早く着いた熊野市駅で電車が来るのを2時間も待つ事になる(冬場はちょっとたまらんです)。
と言う訳で、鞄に読みたかったハードカバー2冊を突っ込んで出かけてみましたよ、今年も(実はこれで二回目)。
三島辺りの富士山を撮るはずが本に夢中で気がついたら沼津を過ぎていて、窓枠一杯の富士山を取り損ねたのは本当に残念。お天気も上々だったのに。
今回、鞄に突っ込んだ「ジェネラルルージュの凱旋」海堂尊が面白くて撮ったのはこの1枚だけでした。
何でもっと早く来ないのと言われながら午後5時40分、故郷新鹿駅にたどり着いたのでありました。日はとっぷりと暮れておりましたが実家はこんな所です。
温泉に行きたいという母の希望もあって、熊野のまさに奥座敷というか海岸に住む私達からすればいくつ山越えしたか分からない湯の口温泉に初めて日帰り入浴に出かけた。
もう一段上の湯の口温泉まではトロッコ列車も走ってました。カワイイ。
温泉で、何と中学卒業以来1度もあった事の無かった同級生と遭遇。本当にビックリ!それから私の乗った東海道線鈍行の1本前の電車でこんな山奥までたどり着いた女性ともお会いした。しばし鈍行一人旅で話が盛り上がり、とても楽しいひとときだった。
で、帰りに熊野古道にある丸山千枚田へ。
こんな山奥をどんな思いで耕したのか。この田んぼ1枚1枚にはオーナーがいて、京都大学の学生を中心にボランティアで管理しているのだとか。人の手を入れなければとっくの昔に山に戻ってしまっていたそれは見事な風景でした。感動しました。
帰りは尾鷲から特急ワイドビュー南紀にて新幹線を乗り継ぎ帰宅。しかし尾鷲で50分近く特急待ち。鈍行乗り継ぎでもこんなに長いインターバルは無かった。
ワイドビューの自由席は何と1番前。いいわあ。
途中の風景
母が買ってくれた昆布の巻き寿司をほおばりながら、妹と昔話をしながら名古屋まで。
名古屋からは新幹線。新幹線の窓って、小さいのね。昔、窓枠一杯に富士山を眺めたのは新幹線じゃなかったのかしら。富士山をみようと山側に席を取ったけど、あまりの窓の小ささにガッカリ。葉室凛の「山月庵茶会記」を読みながらあっという間に東京に着いてしまった。
何だか時間が勿体ない気がしてしまった私。もっとゆっくりでも良かったんだけど。
そんな道すがらに行くのは、親孝行とご自分が日常生活から離れてリラックス出来るのは良いです。
鈍行での帰省は読書三昧で、これも良いです。
こんな素敵な所で育った方なんですね。
高齢のお母様に1度でも多く逢えると良いですね。
親孝行もですが後で後悔が少なく自分で納得出来るようにですよ(余計な事でした)
そうですね。私が実家に帰るのももう何回も無いでしょう。帰るたびに故郷は箱庭のように小さくなっていく気がします。ご忠告、心にたたんでおきますね。ありがとうございます。