西園寺由利の長唄って何だ!

長唄を知識として楽しんでもらいたい。
軽いエッセイを綴ります。

29-関寺小町

2009-08-21 | 時系列的長唄の見方(c)y.saionji
富士田吉治―28「関寺小町」


長唄に転向してから7年、吉治は51才になった。
「百夜車」ですっかり自信をつけた吉治は、堰を切ったように
曲を作り、その咽で客を魅了する。

木戸芸者(役者の声色をまねて芝居の宣伝をする、呼び込み)が、
「今は楓江(吉治の俳号)じゃー」と呼び込めば、
客が、吉治の長唄を目当てに木戸口に殺到押するほど。

こうなると江戸一番の大芝居、中村座が放っておかない。
「百夜車」を終えると、吉治は中村座に移った(1765年)。

それを期にか、吉治は、吉次から吉治へと改めた。

中村座の顔見世は『神楽歌雨乞小町』。
一番目の所作「姿の鏡関寺小町」を、吉治はタテ三味線の
杵屋六三郎(2世)と合作。

小野小町の哀れな晩年を描いたもので、
【誰にも相手にされなくなった、年老いた小町は、
近江の関寺に侘び住居。物乞いをして日々を送る】


 〓 〓 〓

tea breaku・海中百景
photo by 和尚
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

28-百夜車

2009-08-20 | 時系列的長唄の見方(c)y.saionji
富士田吉治―27「百夜車」


『折り節烈しき比叡おろし
 傘を取られじ離さじものと(傘を取られまい、離すまいと)
 傘と時雨ともみあいて(辛くて涙が止まらない)
 おのとは云はじ君ゆえと(ぐちは言うまい。君のため)
 ひとりごちして行く程に(ひとりつぶやき行くうちに)
 小町御前の住み給う
 車のもとにぞ着き給う』

これで”少将の道行”は終り、小町とのドラマが続く。
まさに”めりやす”や、“道行”などは、軟派浄瑠璃出身の吉治の独壇場だろう。


 〓 〓 〓

tea breaku・海中百景
photo by 和尚
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

27-百夜車

2009-08-19 | 時系列的長唄の見方(c)y.saionji
富士田吉治―26「百夜車」


『明け待つ鳥の中空は(夜明けを待つ、心は虚ろ)
 まだきに鳴いて山葛(ああ、やっと一番鳥が鳴いた)
 雨の月 傘の月 
 軒に洩る月 時雨する
 袖引き返し唐傘の
 これも車の我からと(牛車には、通いなれたる恋の道)
 くるくるくる  
 くるくるくるくるくるくる
 くるくるくるくるくる
 くるりと振りかたげ
 ええ立つかいもなき神やしろ
 行き迷う身は川千鳥
 鳴いて立つこそ哀れなり』
 

 〓 〓 〓

tea breaku・海中百景
photo by 和尚
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

26-百夜車

2009-08-18 | 時系列的長唄の見方(c)y.saionji
富士田吉治―25「百夜車」



『行きては帰り
 帰りては雪に降られて
 行くも誰ゆえぞや
 いいやふられてという心
 気味の悪いといいなおし
 おなじことなら
 積もる雪

 しじの端書 百夜までと通いしに
 九十九夜にもなりたりける
 嬉しの今宵や
 また果てしなの明日の夜や(明日はいよいよ満願だ)』
 
 
”しじの端書き”の”しじ”とは、
牛車の乗り降りに使う踏み台のこと。
百日も通うのだから、どこかに印を付けておかないと分からなくなる。
だから到着した時点で、直ちにしじに懐刀などで刻印をつける。
何ともけなげではないか。


 〓 〓 〓


tea breaku・海中百景
photo by 和尚
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

25-百夜車

2009-08-17 | 時系列的長唄の見方(c)y.saionji
富士田吉治―24「百夜車」


『さればにや少将は
 百夜通えと夕月の(言われたと、夕月を掛け、夕方に出かける意を含む)
 傘に降る雪 積もる雪
 恋の重荷と打ちかたげ
 涙のつらら解けやらぬ
 君の心は浮き世川(君の気持ちが分からない)
 渡りかねたる砂川や
 こわだの里に馬はあれども
 君を思えばかちはだし』(君のためなら、ははだしも厭わず)


 〓 〓 〓

tea breaku・海中百景
photo by 和尚
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする