富士田吉治―28「関寺小町」
長唄に転向してから7年、吉治は51才になった。
「百夜車」ですっかり自信をつけた吉治は、堰を切ったように
曲を作り、その咽で客を魅了する。
木戸芸者(役者の声色をまねて芝居の宣伝をする、呼び込み)が、
「今は楓江(吉治の俳号)じゃー」と呼び込めば、
客が、吉治の長唄を目当てに木戸口に殺到押するほど。
こうなると江戸一番の大芝居、中村座が放っておかない。
「百夜車」を終えると、吉治は中村座に移った(1765年)。
それを期にか、吉治は、吉次から吉治へと改めた。
中村座の顔見世は『神楽歌雨乞小町』。
一番目の所作「姿の鏡関寺小町」を、吉治はタテ三味線の
杵屋六三郎(2世)と合作。
小野小町の哀れな晩年を描いたもので、
【誰にも相手にされなくなった、年老いた小町は、
近江の関寺に侘び住居。物乞いをして日々を送る】
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tea breaku・海中百景
photo by 和尚
長唄に転向してから7年、吉治は51才になった。
「百夜車」ですっかり自信をつけた吉治は、堰を切ったように
曲を作り、その咽で客を魅了する。
木戸芸者(役者の声色をまねて芝居の宣伝をする、呼び込み)が、
「今は楓江(吉治の俳号)じゃー」と呼び込めば、
客が、吉治の長唄を目当てに木戸口に殺到押するほど。
こうなると江戸一番の大芝居、中村座が放っておかない。
「百夜車」を終えると、吉治は中村座に移った(1765年)。
それを期にか、吉治は、吉次から吉治へと改めた。
中村座の顔見世は『神楽歌雨乞小町』。
一番目の所作「姿の鏡関寺小町」を、吉治はタテ三味線の
杵屋六三郎(2世)と合作。
小野小町の哀れな晩年を描いたもので、
【誰にも相手にされなくなった、年老いた小町は、
近江の関寺に侘び住居。物乞いをして日々を送る】
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tea breaku・海中百景
photo by 和尚