富士田吉治―32「春調娘七種」
吉治が次に作ったのは「春調娘七種」
(はるのしらべむすめななくさ・1767年・中村座初春狂言)。
昔は正月狂言は、”曾我物”と決まっていた
(理由については、2月5・6日の記事を参照のこと)。
五郎・十郎に、五郎の恋人、化粧坂の少将(遊女の名)が絡んで七種を打つ、
という内容の狂言。
正月7日に、七種をまな板の上でトントンと打ち叩く”七種叩き”
(なずな打ちとも)という行事がある。
いわゆる”七種粥”だが、
曾我兄弟の、敵を”討つ”という意を、”なずな打ち”の意にかぶせた趣向。
この曲は杵屋六三郎(2世)作曲とされているが、
鼓唄の多い内容、また、それまでの曲作りからみても、その後の曲から判断しても、
吉治との合作ではないかと推量する。
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tea breaku・海中百景
photo by 和尚
吉治が次に作ったのは「春調娘七種」
(はるのしらべむすめななくさ・1767年・中村座初春狂言)。
昔は正月狂言は、”曾我物”と決まっていた
(理由については、2月5・6日の記事を参照のこと)。
五郎・十郎に、五郎の恋人、化粧坂の少将(遊女の名)が絡んで七種を打つ、
という内容の狂言。
正月7日に、七種をまな板の上でトントンと打ち叩く”七種叩き”
(なずな打ちとも)という行事がある。
いわゆる”七種粥”だが、
曾我兄弟の、敵を”討つ”という意を、”なずな打ち”の意にかぶせた趣向。
この曲は杵屋六三郎(2世)作曲とされているが、
鼓唄の多い内容、また、それまでの曲作りからみても、その後の曲から判断しても、
吉治との合作ではないかと推量する。
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tea breaku・海中百景
photo by 和尚