猿若座の「今様長歌三味線」が殊の外ヒットをしたもので、
勘五郎のもとには森田座から出演の依頼が来たり、
市村座に吉之丞を貸し出したりするようになりました。
そうこうするうちに勘五郎の門弟が増え、好んで杵屋の姓を名乗る者が現れたりして、
江戸の歌舞伎小屋はどこも三味線を入れるようになるのです。
かくして杵屋勘五郎は「江戸男歌舞伎今様長歌三味線始祖」といわれるようになりました。
やがて江戸の「今様長歌三味線」は
大阪の大和屋甚兵衛座に初上陸します(1683年)。
そして若衆方で売り出し中の水木辰之助が
初めて長歌の地(じ・伴奏)で踊ったのが「槍踊」です。
槍踊というだけあって今までよりリズミカルになった。
水木辰之助の槍踊
勘五郎のもとには森田座から出演の依頼が来たり、
市村座に吉之丞を貸し出したりするようになりました。
そうこうするうちに勘五郎の門弟が増え、好んで杵屋の姓を名乗る者が現れたりして、
江戸の歌舞伎小屋はどこも三味線を入れるようになるのです。
かくして杵屋勘五郎は「江戸男歌舞伎今様長歌三味線始祖」といわれるようになりました。
やがて江戸の「今様長歌三味線」は
大阪の大和屋甚兵衛座に初上陸します(1683年)。
そして若衆方で売り出し中の水木辰之助が
初めて長歌の地(じ・伴奏)で踊ったのが「槍踊」です。
槍踊というだけあって今までよりリズミカルになった。
水木辰之助の槍踊