「四季の花里」「紅葉詣」
杵屋三郎助が、真田信濃守の新橋上屋敷で披露した曲に
「四季の花里」(1859・安政6年5月)、「紅葉詣」(同年12月)がある。
「四季の花里」は三郎助の住む根岸の里の四季を詠み込んだもの。
「紅葉詣」にはちょっとした謂れがある。
三郎助は秋のある日、滝野川に紅葉狩りに出かけた。
偶然見つけた亀を藁で結わえて持ち帰り、真田公の屋敷に届けたら、
真田公は、
「幸いも哥女(かめ)の齢にたぐえつつ 幾万代と祝う寿」
という歌を詠み、「めりやす紅葉詣」という題をつけ、
三郎助に与え、曲を所望したのだ。
三郎助は、「かくかくしかじかでこの歌を賜った」という、
いきさつを歌詞で補い、
滝野川への紀行文に仕立てて作曲した。
〓 〓 〓
tea break・海中百景
photo by 和尚
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/2e/6211eea1af321b25c1961fcbfbe72d27.jpg)
杵屋三郎助が、真田信濃守の新橋上屋敷で披露した曲に
「四季の花里」(1859・安政6年5月)、「紅葉詣」(同年12月)がある。
「四季の花里」は三郎助の住む根岸の里の四季を詠み込んだもの。
「紅葉詣」にはちょっとした謂れがある。
三郎助は秋のある日、滝野川に紅葉狩りに出かけた。
偶然見つけた亀を藁で結わえて持ち帰り、真田公の屋敷に届けたら、
真田公は、
「幸いも哥女(かめ)の齢にたぐえつつ 幾万代と祝う寿」
という歌を詠み、「めりやす紅葉詣」という題をつけ、
三郎助に与え、曲を所望したのだ。
三郎助は、「かくかくしかじかでこの歌を賜った」という、
いきさつを歌詞で補い、
滝野川への紀行文に仕立てて作曲した。
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tea break・海中百景
photo by 和尚
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