西園寺由利の長唄って何だ!

長唄を知識として楽しんでもらいたい。
軽いエッセイを綴ります。

三重霞嬉敷顔鳥

2010-03-12 | 長唄の歌詞を遊ぶ (c) y.saionji
12-「三重霞嬉敷顔鳥」その1


神代の昔、イザナギ、イザナミの夫婦は、天照・月読・日読・素戔鳴
など沢山の子供を生んだ。
その中の蛭子は三歳になっても足が立たなかったため、
「あまのいはくすぶね」に載せて、海に流してしまった。
(そいう子は、葦の舟に乗せて流すとよいという伝説があったとか)
摂津国西宮の浦に漂着した蛭子は、土地の人々に大切に育てられ、夷三郎と名づけけられた。 

後に西宮神社に祀られ、豊漁・豊作・商売繁盛の神として民衆に親しまれるようになる、恵比寿さまだ。

『いはくす舟に突出しの
 まだ花魁は若恵比須
 ごんすやんすも白幣(しらにぎて)
 間夫の男に青幣(あおにぎて)
 正月三日の揚屋入り』


●今日はめでたい、花魁の初デビュー。客あしらいも知らないような、うぶな素振りで、恋しい男に逢うために、正月三日に揚屋入りだと。

この曲の作詞は桜田治助。
治助は、助六の向こうを張って花川戸と号する粋人。
浅草に住み、毎晩仲の町の賑わいを見ない事には寝られない、というほのど吉原中毒。
その治助の筆だけに、恵比寿さまを引き合いに大胆な悪洒落。
もっとも、この所作が演じられたのは中村座の初春狂言(1803・享和3年)だから、
みんなが詣る、正月恵比寿を取り込んで遊んでみたのだろう。
若恵比寿とは、元旦の朝早くに売りに来る、縁起物のお札のこと。
若恵比寿を、花魁になぞらえたのは実にタイムリ-。

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tea breaku ・海中百景
photo by 和尚

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