西園寺由利の長唄って何だ!

長唄を知識として楽しんでもらいたい。
軽いエッセイを綴ります。

胡蝶

2010-05-19 | 長唄の歌詞を遊ぶ (c) y.saionji
79-「胡蝶」(1904・明治37年)


中国の戦国時代、宋国の思想家荘子が著した本の一編に
「胡蝶の夢」というのがある。

昔、私は胡蝶になった夢を見た。
ひらりひらりと空を舞い、まぎれもなく蝶だった。
ふと目覚めると、そこにいるのは私。
はたして私が胡蝶か、胡蝶が私なのか、
胡蝶と私の外見は明らかに違うが、己の本質に変わりはない。
これを物化という。(筆者意訳)

という実にナンカイなことを言わんとしているのだ。
つまりは、夢と現、いずれも真実で本質は一つ??

『夢にや人の遊びけん
 蝶や人とはなりにけん

 春風の 文読む窓に吹き入りて
 読み残す書の幾枚か
 ひらりひらり ひらひらと
 開きし中の押し花の
 桜は去年の枝折かや
 根に返らねど又春に
 仰ぐ光のうららかさ
 共に萎れし乾胡蝶
 風が命か 魂か
 花の塵かや 糸遊の
 翼も軽く飛び出でて』 
 
この曲の作詞は、坪内逍遥の知人でもある小説家、劇評家の饗庭篁村。
「胡蝶の夢」のさわりを引用して、イメージを膨らませたという内容。
ドライフリーズしていた蝶が、風に誘われ魂を吹き返して、かつてのように空に舞う。

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tea breaku・海中百景
photo by 和尚

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