ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

どこまでもつきまとう不幸

2020年09月21日 | 介護
どこまでも不幸が付きまとっている。
そもそも子供の頃にさかのぼる。
幼稚園にも保育園にも行かれなかった。
小中高と社会人になってもいじめと言うものは付きまとった。
友達は出来ても親友と言うものがいなかった。
そもそも友達とのつきあい方が分からなかったし、会話に気を遣っていた。
自分の友達に友達がいて、そのまた友達に友達がいることが基本、嫌だった。
自分だけの友達を望んだ。
やっと出来た友達に嫌われないように付き合い、会話をする。
それには自分の意見を封印する。
相手の意見に従う。
自分が楽しくなくても、相手が楽しければ私も楽しい素振りをした。
相手に対して気を遣う。
本音で話をしない。
家庭では母の支配下に置かれ、全てを管理され育った。
楽しくもない子供の時代を過ごし、家庭でも母の支配下は楽しくなく、社会人になっても楽しい思い出は皆無に近かった。
弟は22歳で結婚した。
私もあわてて結婚と言う逃げ道を探したが、上手くはいかなかった。
お見合いをいくつかしたが、帯に短し襷に長しだったのだ。
付き合った相手と勝手にデートの約束をしたら母に怒られた。
約束をする前にデードに行っても良いか?
母に聞き、行き先と帰る時間を告げ、帰ってきたらデードの内容を報告しなければならなかったのだ。
食べたものから話の内容まで母に聞かれ嫌な思いをしたのは言うまでもない。
やっと32歳で結婚したのもつかの間、2年後には不妊治療を4年間することになるのだ。
その後、不妊治療は諦めたが、2年後には母と同居することになるのだ。
それからと言うもの、私の自由は再び元の木阿弥になり、母の管理下で暮らすことになる。
数年前から母は認知症になり、
それ以前に左手首を粉砕骨折し、手術をし、今度は右手首を骨折した。
自分勝手でわがままな母は無理な要求もしてくるのだ。
被り物の服が着たいと言う。
下着も被り物がいいと言う。
骨折した右手首では被り物は無理だと言うのに!
なだめ透かして、前開きの下着とブラウスを着せる。
食事にも気を遣う。

今、呼ばれたかと思うと、すぐに呼ばれる。
その度に母の部屋に飛んで行く。
このところ私は金曜日からまともに寝てはいない。
呼ばれたらすぐに母の部屋に飛んで行けるようにしている。
2階の寝室では呼ばれても聞こえない。
すぐに飛んでいっても、私が階段で転んではもともこうもないのだ。
楽しいことは全て奪われ、出来なくなった。
予定は未定で、申し込んだチケットも行けるかどうかはわからない。
私は適当に家事をしながら母の介護と介助をしなければならないのだ。
私に本当に安らげる日々は来るのだろうか?

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