ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

日々のこと

2022年04月03日 | 介護
64歳の私はいまだに母に管理された生活を余儀なくされています。
数年前から認知症になった母に管理されて生きています。
やりたいことは隠れてするようなりました。
そのために更年期になったら病気になり、心療内科にかかっています。
外出は心配だと言われ、自転車は危ないと言われ、電車も寝てしまうから危ないと言われます。
おまけにかかっている心療内科の薬が良くないと言われ、病院を変えるように言われました。
買い物に行けば帰ってくる時間を聞かれ、一番ひどいのは5分と言われたことです。
ましてや買ってきたものを聞かれ、文句を言われ、帰りが少しでも遅くても文句を言われます。
散歩に行ったらすぐにスマホに電話があり、具合が悪いから帰ってくるように言われました。
毎日着る服装に文句を言われ、ファッションチェックをされます。
一人で出掛けても夫婦で出掛けても心配されます。
「どこに行くの?」
「何しに行くの?」
「何時に帰るの?」
これは定番です。
帰ってくれば「何を食べたか?」まで聞いてきます。
そういえば主人と付き合っている時にデートから帰ってくるとデートの内容を事細かに聞かれました。
行った場所、食事の内容、会話の内容まで聞かれました。
疲れて公園のベンチに座っただけなのに「何かあったか?」と、疑われる始末です。
習い事はすべて反対され、やっとパソコン教室と公民館の歌声サークルと地元の高齢者大学に通っています。
カルチャースクールなどはもってのほかです。
私がお使いにも行かず、家に居たら我が家はどうなるのでしょう?
食料品や日用品は誰が買いに行くのでしょう?
母の病院に付き添いは誰がするのでしょう?
役所の手続き、銀行に郵便局にクリーニング等はどうするのでしょう?
電車は危ない。
自転車は危ない。
外出は危ない。
そうなれば私の病院は誰が行くのでしょう?
不整脈の薬は誰がもらいに行くのでしょう?
家から出てはいけないとなれば母も困るのです。
食べるものも無くなり、生活用品も無くなり母も困るのです。
そもそも64年間母に管理された生活を余儀なくされ、高校を卒業したら行きたかった和裁の専門学校にも行けずに、泣く泣く就職し、その後も作詞家の教室に行くのもダメだと言われ、お見合いして付き合った男性と勝手にデートの約束をしたことを怒られる始末です。
寝る時間を決められ、一日の行動を監視され、ストーカーのような母の下で育ちました。
今年の9月で92歳になる母です。
後何年生きるのでしょう?
ペースメーカーも埋め込んだので長生きしそうですね。
お金があるなら施設に無理やり入れたいな。

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急に思い立って花見に行く

2022年04月03日 | 介護
急に思い立って故郷に花見に行く。
生まれ故郷に花見に行く。
駅から歩き田川を渡ったお寺で知り合いのおばあさんのお墓参りをする。
このお墓、毎回場所がわからない。
今回はお寺の他人に聞く。
何分墓石に名前が刻んでない。
書かれているには「南無阿弥陀仏」である。
墓石の横の方にいろいろ書かれているが、おばあちゃんの名前を探すのも大変だった。
このお寺の正式名称は宝蔵寺です。
成田不動尊です。
北関東三十六番不動尊霊場第十九番札所だそうです。
母ならすぐにわかるのに、私は何度行っても覚えません。
お花もお線香も持たずに行ったので、手を合わせて、その後御朱印を買い求めて別の場所に…。
そのまま歩いて二荒山神社に行きました。
この辺りは勝手知ったるところです。
二荒山神社をお参りし、御朱印をもらい、おみくじとお守りも買い、桜も眺めて八幡山公園に…。
あっ!二荒山神社には珍しい餃子のおみくじがあるのですが、別のおみくじを買いました。
この二荒山神社の裏手にあるのが八幡山公園です。
展望タワーもあり、桜の名所です。
コロナ禍でなければかなりの人出でにぎわっていたと思われます。
少しばかりの露天と静かな花見客がいましたよ。
展望タワーは地平線が見えると言います。
出羽三山やら遠くの山々まで見えました。
故郷はつくづくいいなと思いつつ、11時過ぎに家を出たので帰ることにしました。
本来ならもっと行きたいところもあったのに、自宅に帰って来たのは6時過ぎでした。
あっ!宇都宮に着いてすぐ、餃子を食べたら不味かったです。
宇都宮は行くたびに違う店で餃子を食べるのですが、一度も美味しい店に当たった試しがありません。
どうしても自分で作る餃子と比べてしまうのです。
もう、相当な店に行きました。
城址公園で行われた餃子フェスも行きました。
その時は夫婦で7軒食べてどこも不味かったです。
と、言うわけで昨日はお墓参りも兼ねてお花見に行ったと言うわけです。
故郷があるのはいいですね。
前出のおばあちゃんですが、若い頃に母が下宿していた先のおばあちゃんです。
母を娘のように、私も弟も孫のようにかわいがってくれました。
旦那さんが軍人で満州で戦死しておばあちゃんは満州から引き上げてきました。
引き上げてきたおばあちゃんは盲人になりました。
母はおばあちゃんから多くのことを学びました。
元々和裁の先生だったようで、和裁もおばあちゃんから習ったんですよ。
もっとも浴衣とウールの単衣の着物ぐらいしか縫えません。
半纏と作務衣は縫えます。
布団屋の仕事もしていたことがあるので、布団も作れます。
掻い巻きや丹前なども作れます。
洋裁学校も少し行ったことがあるので、昔は私のワンピース作ってくれたこともありました。
本当に故郷があると言うのはいいですね。
因みに主人は故郷がありません。

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