ノアの小窓から

日々の思いを祈りとともに語りたい

イースター

2014年04月20日 | 日記



    イースターのパトラック食事会(一品持ち寄りパーティ)のために、鶏手羽元のレモン煮をつくりました、。
    じっさいは、レモンと日本酒を使いました。水も少しは入れましたが、お酒をたっぷり使いました。
    それ以外のいっさいの調味料は使いませんでした。塩も、スープの素も、砂糖も、胡椒も唐辛子もニンニクも、
    ちょっと足してみたい誘惑に駆られましたが、入れませんでした。
    見栄えを良くするためにみじん切りのパセリでもと買っておきましたが、
    出来上がりを見て、何もないほうがおいしそうでしたから、やはり加えませんでした。

    とても好評でした。ちょっと苦みがありますが、大人の味です。
    ある男性は、
    「ビールが飲みたくなりますね」
    「夕方、お宅でどうぞ、時間差で味わってください」とさとう。
    レシピのヒントはネットからでしたが、自分のレパートリーに入れたいと思います。みなさまにもおすすめです。
     



                            


                             



             教会では、たくさんのイースターエッグを用意していました。だれかが作ってくださったのですね。
           ブログに載せたいからと、一人で五個ももらってきました。
           持って帰る途中にひび割れができてしまいましたが、でも、自分で割ることはできません。
           賞味期限のうちに食べなければと思いますが・・・。

  


                              


                               感謝!!!










「最後の晩餐」後――剣を納めなさい。

2014年04月19日 | 日記



   「最後の晩餐」から、イエスが十字架に付けられ、死に至るまで二十四時間も経っていません。
   それは実に、事態の急変であるように見えます。

   弟子たちにとっては、驚きと悲しみと失意の時間です。

   ゲツセマネで血のような汗を流して祈っているイエスをとらえるために、おおぜいのユダヤの群衆がやってきたのです。
   イエスの弟子のひとりが剣(つるぎ)を抜き、イエスをとらえようとした大祭司のしもべに切りかかりました。



   イエスは言われたのです。
   「剣(つるぎ)をもとに納めなさい。剣(つるぎ)を取るものはみな剣で滅びます。
   それとも、わたしが父にお願いして、十二軍団よりも多くの御使いを、今わたしの配下に置いていただくことが
   できないとでも思うのですか。
   だが、そのようなことをすれば、こうならなければならないと書いてある聖書が、どうして実現されましょう。」 
                                      (マタイの福音書26章52節~54節)                                                             



   イエスが何の抵抗もなさらず捕縛されたので、イエスの弟子たちはみな、このときイエスを見捨てて逃げてしまうのです。


               ◎   ◎   ◎


    イエスは、祭司長たちとユダヤの議会により有罪とされます。

    唾を吐きかけられ、殴られ、あざけられ、裸にされ、荊で編んだ冠を頭に被せられ、また、
    殴られ、鞭うたれ、からかわれ、十字架を負わされ、刑場に引かれていくのです。

   


         

    最後の晩餐――イエスの十字架刑――イエスの埋葬――復活については、
     聖書の四つの福音書・マタイの福音書、マルコの福音書、ルカの福音書、ヨハネの福音書のすべてに、
     記事があります。ぜひ、お読みになって見てください。
    


   

   


       

       

ほんとうの「最後の晩餐」

2014年04月18日 | 日記


   ダ・ヴィンチの絵画「最後の晩餐」を、私が知ったのは中学校の美術の教科書でした。
   小さな写真になっておさまっている「最後の晩餐」を、美術の先生が解説して下さいました。
   それは、おおむね、今、一般的に解説されている内容と異なっていませんでした。

   絵は、キリストと十二人の弟子たちの最後の食事の場面であること。
   キリストから、十二人の中に裏切りる弟子がいると聞いて、弟子たちが騒然としている場面であること。
   中央にキリストを配した構図は遠近法で描かれていて、とても美しいものであること。
   ダ・ヴィンチは、万能の天才と呼ばれた画家であること。ついでに、先生は同じページに載っていた
   「モナ・リサ」の説明にも言及されました。



   
                    ◎  ◎  ◎



      また、彼らが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、弟子たちに与えて言われた。
      「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」

      また、杯(さかずき)を取り、感謝をささげて後、こう言って彼らにお与えになった。
      「みな、この杯から飲みなさい。

      これは、わたしの契約の血です。罪を赦(ゆる)すために多くの人のために流されるのです。

      ただ、言っておきます。わたしの父の御国(みくに)で、あなたがたと新しく飲むその日までは、わたしはもはや、
      ぶどうの実で造った物を飲むことはありません。

      そして、賛美の歌を歌ってから、みなオリーブ山へ出かけて行った。
                                   (マタイの福音書・26章26節~30節)




                     ◎  ◎  ◎


   イエス・キリストは、食事の後、弟子たちとオリーブ山に出かけるのです。
   オリーブ山のゲツセマネというところまで来て、一人はなれて祈り、悲しみもだえ始められるのです。
   その夜のうちに、イエスは、捕縛され、当時のユダヤの宗主国だったローマの官憲に引き渡され、
   十字架に付けられるのです。

                  

   「最後の晩餐」はイエスと弟子たちとの「過ぎ越しの食事」ですが、
   このとき、これを、弟子たちとの地上での最後の食事だと知っていたのはイエスだけです。
   イエスは、弟子たちにパンと葡萄酒を与えて、「わたしのからだであり、契約の血である」と言われたのち、
   わたしの父の御国(みくに)で、あなたがたと新しく飲むその日までは、わたしはもはや、ぶどうの実で造った物を
   飲むことはありません」
と、十字架と復活を知らせておられるのです。
   しかし、弟子たちが、真実を知るのは、もう少し先のことでした。
   じつに厳粛で、悲痛な場面です。
                                              (つづく)     




              






  
   

最後の晩餐

2014年04月17日 | 日記


                      ★  ★  ★  ★

    さて、夕方になって、イエスは十二弟子といっしょに食卓に着かれた。

    みなが食事をしているとき、イエスは言われた。
    「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちひとりが、わたしを裏切ります。」
  
    すると、弟子たちは非常に悲しんで、「主よ。まさか私のことではないでしょう」とかわるがわるイエスに言った。

    イエスは答えて言われた。
    「わたしといっしょに鉢に手を浸した者が、わたしを裏切るのです。」

                              (新約聖書・マタイの福音書26章20節~23節)





     レオナルド・ダ・ヴィンチの名画「最後の晩餐」の核心の部分の聖書箇所です。
     「過ぎ越しの食事」は、このあとの聖書箇所に、主要なテーマがあると思いますが、
     ダ・ヴィンチは、ドラマチックな人間の絡み合いのある、この場面――十二弟子の驚きと疑心暗鬼を描くことで、
     絵画にアクションを盛り込んだのでしょう。

     聖書を全体を通して読むと、イエス様自身にとっては、
     ユダの裏切りは、すでに、織り込み済みであったと解釈できます。

     

     

    すると、イエスを裏切ろうとしていたユダが答えて言った。
    「先生。まさか私のことではないでしょう。」 イエスは彼に、「いや、そうだ」と言われた。
                                          (同25節)




     「最後の晩餐」の本当の核心は、この後の聖書箇所にこそ、あるのですが。
     続きは明日。









    




        
   

若緑

2014年04月15日 | 日記


                      



              朝陽浴び みどり賛美を 競い合い



       好きな季節は人により違うのでしょうが、私は
       さまざまな緑色が出揃う季節。五月が好きです。

       自然のブッシュや山は、この季節、散歩によく、ただ眺めるだけでも
       飽きることがありません。

       残念なのは、現代の「緑地」では、緑も管理されていることです。


       雑草が少々乱雑に緑を競い合う光景に、かすかな郷愁を覚えるのですが。