自分が生きて来た道で、大きな贈り物を受けたことが何度もあるのですね。
でも、わがままで自己中心の私は、それに気がつかなかったなあと、ときどき振り返るのです。
ここにある二冊の聖書も、その時は何気なくいただいてしまった貴重な贈り物です。六年ほど前のことです。
家庭を開放して宣教師さんをお招きして、
「聖書の学び会」を主宰しておられた女性のご主人が下さった文語訳の新約聖書です。
大きい方でも、15×10.5㎝、
小さい方は、10.5×7・5㎝
これほど小さな書物で、蟻よりも小さなそれぞれの活字を
どのような大きさだと言えばよいのか、私にはわかりません。
驚くのは、小さな活字の漢字全部にも振り仮名がついていることです。
大きい方の聖書(Bとします)は、合衆国で印刷されています。
小さい方(Aとします)は、東京都文京区戸崎町94番地、株式会社 大熊整美堂で昭和23年10月1日付けで
初版が印刷されたと記されています。
小さい方の聖書には、新約聖書二十七巻とともに「旧約聖書の詩編」がついています。
聖書A
聖書B
どちらも学生服の胸ポケットに入る大きさです。小さい方はボロボロです。
戦後すぐ、東大の学生さんだったこの聖書の持ち主は、いつも持ち歩いていたのでしょうか。
文語訳聖書は、とても格調の高い日本語だと言われています。
たとえば、有名な「山上の垂訓」の一部――
イエス群衆を見て、山にのぼり、坐し給えば、弟子たち御許に来る。イエス口をひらき、教えて言いたまふ。
「幸福(さいわい)なるかな。心の貧しき者、天国はその人のものなり。
幸福(さいわい)なるかな。悲しむ者。その人は慰められん。
幸福(さいわい)なるかな。柔和なる者。その人は地を嗣(つ)がん。
幸福(さいわい)なるかな。義に飢え渇く者。その人は飽くことを得ん。
幸福(さいわい)なるかな。憐憫(あわれみ)ある者。その人は憐憫(あわれみ)を得ん。
幸福(さいわい)なるかな。心の清き者。その人は神を見ん。
幸福(さいわい)なるかな。平和ならしむる者。その人は神の子と称(とな)えられん。
幸福(さいわい)なるかな。義のために責められたる者。天国はその人のものなり。」
(新約聖書・マタイ傳第五章一節~十節)
この聖書の持ち主は、四年前にお亡くなりになりました。
亡くなる一週間ほど前に病床洗礼を受けられて、御国(みくに=天国)に旅立たれました。
それで今、私たちは兄弟姉妹と呼び合うことができます。
いつの日か天国でお会いしたら、お礼を申し上げなければなりません。
でも、わがままで自己中心の私は、それに気がつかなかったなあと、ときどき振り返るのです。
ここにある二冊の聖書も、その時は何気なくいただいてしまった貴重な贈り物です。六年ほど前のことです。
家庭を開放して宣教師さんをお招きして、
「聖書の学び会」を主宰しておられた女性のご主人が下さった文語訳の新約聖書です。
大きい方でも、15×10.5㎝、
小さい方は、10.5×7・5㎝
これほど小さな書物で、蟻よりも小さなそれぞれの活字を
どのような大きさだと言えばよいのか、私にはわかりません。
驚くのは、小さな活字の漢字全部にも振り仮名がついていることです。
大きい方の聖書(Bとします)は、合衆国で印刷されています。
小さい方(Aとします)は、東京都文京区戸崎町94番地、株式会社 大熊整美堂で昭和23年10月1日付けで
初版が印刷されたと記されています。
小さい方の聖書には、新約聖書二十七巻とともに「旧約聖書の詩編」がついています。
聖書A
聖書B
どちらも学生服の胸ポケットに入る大きさです。小さい方はボロボロです。
戦後すぐ、東大の学生さんだったこの聖書の持ち主は、いつも持ち歩いていたのでしょうか。
文語訳聖書は、とても格調の高い日本語だと言われています。
たとえば、有名な「山上の垂訓」の一部――
イエス群衆を見て、山にのぼり、坐し給えば、弟子たち御許に来る。イエス口をひらき、教えて言いたまふ。
「幸福(さいわい)なるかな。心の貧しき者、天国はその人のものなり。
幸福(さいわい)なるかな。悲しむ者。その人は慰められん。
幸福(さいわい)なるかな。柔和なる者。その人は地を嗣(つ)がん。
幸福(さいわい)なるかな。義に飢え渇く者。その人は飽くことを得ん。
幸福(さいわい)なるかな。憐憫(あわれみ)ある者。その人は憐憫(あわれみ)を得ん。
幸福(さいわい)なるかな。心の清き者。その人は神を見ん。
幸福(さいわい)なるかな。平和ならしむる者。その人は神の子と称(とな)えられん。
幸福(さいわい)なるかな。義のために責められたる者。天国はその人のものなり。」
(新約聖書・マタイ傳第五章一節~十節)
この聖書の持ち主は、四年前にお亡くなりになりました。
亡くなる一週間ほど前に病床洗礼を受けられて、御国(みくに=天国)に旅立たれました。
それで今、私たちは兄弟姉妹と呼び合うことができます。
いつの日か天国でお会いしたら、お礼を申し上げなければなりません。