曼珠沙華 枯れて野草(のぐさ)に 吸い込まれ
まだ青い どんぐり散りし 木陰かな
猫じゃらし やさしく首振る 川風に
空高く ボール蹴る子の 影長し
祈ろうと ふと立ち止まる 秋の路地
人の日は、草のよう。
野の花のように咲く。
風がそこを過ぎると、それは、もはやない。
その場所すら、それを、知らない。
しかし、主の恵みは、とこしえから、どこしえまで。
主を恐れるものの上にある。
主の義はその子らに及び、
主の契約を守る者、
その戒めを心に留めて、行うものに及ぶ。
主は天にその王座を固く立て、
その王国はすべてを統べ治める。
主をほめたたえよ。御使いたちよ。
みことばの声に聞き従い、
みことばを行う力ある勇士たちよ。
主をほめたたえよ。
主のすべての軍勢よ。
みこころを行い、主に仕える者たちよ。
主をほめたたえよ。
すべて造られたものたちよ。
主の治められるすべての所で。
わがたましいよ。主をほめたたえよ。
(詩編103・15節~22節)
※「主(しゅ)」聖書の神
7年以上にわたって連載し続けている聖書通読エッセイCoffee Breakの記事から
転載させてください。今は、春なのでこの俳句たちは時期外れかもしれませんが、
「あえて」です。
聖書は素晴らしい書物です。私たち今日のクリスチャンが
一番の権威としていつも座右に置いている旧新約聖書には、66巻の書物が治められています。
(新約聖書27巻、旧約聖書39巻)
BC1500年ごろからAD90年ごろまでの間に書かれました。
著者は何百人、その資料段階まで入れると何千人もの人がかかわったものです。
形式も、
歴史書、伝記、物語(逸話)あり、箴言や詩、預言書、手紙類、など多岐に及んでいます。
時代を越え、地域や人種を異にする人たちが、一度も一堂に会することもなく――
つまり、編集会議をし、人の知恵で意図したわけではないのに、
一本の摂理で結ばれた書物
同じ「神」について、一貫して同じテーマ――、
その「人類の救いの歴史」が織物のように組み込まれたようすは、
不思議としかいいようがありません。
聖書を、ひとりでも多くの方が手に取って読んでいただければと、思っています。
春ののどかな空を支えておられるのも、さくらの花芽が日ごとに膨らんでいるのを
見守って実現されているのも、はげしい嘆きや失望の道でさえ、
そこに大きな真理を見、慰められ、
明日の希望をごらんいただける書物だと信じます。
※聖書通読エッセイCoffee Breakは、左のリンクをクリックしてごらんください。
現在、通読箇所は旧約聖書の26番目の書物・エゼキエル書です。