美貌――容姿が美しいというのは、神さまの目からご覧になるとどんな意味があるのでしょう。
「天与の美貌」などと言う表現もあり、もとより、それは神がお与えになったのです。
自分は美しくない、または、外見が醜いと卑下して成長する人が、ときどきいます。
きれいでないから損をしていると考える女性は、昔から多かったかもしれません。
しかし、人間が思っているほど、美貌は幸運を運んでくるでしょうか。
もし、そうなら、神様は不公平な方だということになります。
サウル王は、当時のイスラエルで一番の美青年で、長身でした。
神は、新しい政治制度・王政に初めて用いる人物として、
民が憧れ、好感を抱くような青年を王にお選びになったのです。
その上、彼は家柄も人柄も良かったのです。
けれども、そのような美形ゆえに、サウルは王に選ばれ、
王になったゆえに、穏やかな生活を送ることもできず、
いつも周辺国の外敵との戦いに悩まされ、あげくに
息子たちとともに、悲惨な戦死を遂げるのです。(旧約聖書・Ⅰサムエル記)
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聖書の中で、サウルより美男子であったかもしれないと思えるのは、
創世記に登場するヤコブの息子ヨセフです。
彼はヤコブの11番目の息子でした。
ヤコブの4人の妻のうち、最もヤコブが愛したラケルが、長い不妊期間のあと生んだ待望の息子でした。
ラケルは美しい女で、ヤコブは最後までこの妻を一番愛していました。
ラケルに似て美貌だったヨセフを父ヤコブは、特別にかわいがります。
兄たち10人と比べても、目に余る依怙贔屓の扱いに、若い時のヨセフは多少いい気になり、
鼻持ちならない面もありました。
当然、ヨセフは兄弟たちから憎まれ、兄たちの奸計で、砂漠の隊商に売り飛ばされてしまうのです。
およそ金になるものなら、なんでも運んだ砂漠の商人たちは、
ヨセフをエジプトで、奴隷として売り飛ばしました。
ヨセフはエジプト王パロの側近ポティファルに買われ、その家の奴隷となりました。
彼は能力に恵まれ、雇い主から重宝がられ、やがて家の管理ぜんぶをまかされるようになりました。
しかし、その美貌ゆえ、ポティファルの妻から誘惑を受けます。ヨセフは
彼女の誘惑を退けるのですが、これを恨んだポテファルの妻に、濡れ衣を着せられ、
牢に入れられてしまいます。
美貌は、何度もヨセフを窮地に陥れるのです。
試練の中で、神はヨセフに知恵をお与えになります。
そうして、やがて、ヨセフは、イスラエル民族の形成のために
大変大きな働きをするようになるのです。(旧約聖書・創世記37章~50章)