G00から、一年前の記事が送られてきて、この記事に感想を書くように提案をして下さったのです。
自分が一所懸命祈っているとき、祈りに聖書の記事を重ね合わせていたのでしょう。
ここに引用されている聖書箇所は、しばしば「長血の女の信仰」と呼ばれています。
何かの婦人病で財産も使い果たして困り果てた女がイエス様のうわさを聞いて、群衆の中へ入って行き、
その衣の裾でもと、イエスにすがる話です。
(ちなみに、一年前のこの時、さとうは婦人病の快癒を祈っていたのではありませんが。)
昨日の「ペテロの信仰」がイエスに叱られたのに比べて、この女性は、ひたむきな態度でイエスを求め、
結果的に、イエスから、その信仰を褒められ、癒しを得ることができたのです。
ペテロはイエスの一番弟子、それに対して、この女性は「無名の群衆(信者)」のひとりです。
これによって、神との関係は、この世の序列や地位や財力とは関係がないのだとわかります。
それは困る。勤続30年の自分と、通りすがりに入ってきたパート社員と同じなんて許せない。
献金なら、だれよりもたくさんするから、どうか祈りを聞いてください、と思う人もいるかもしれませんが、
神の支配と、世の支配の原理は違うようです。
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主(しゅ)を仰ぎ 主にひざまずき 主を賛美
衣の裾に あと一息と
※主(しゅ)、聖書の神、イエスのこと。英語では、Lord
ところで、十二年間長血をわずらっている女がいた。
この女は多くの医者からひどい目にあわされて、
自分の持ち物を使い果たしてしまったが、何のかいもなく、
かえって悪くなる一方であった。
彼女は、イエスのことを耳にして、群衆の中に紛れ込み、うしろから、
イエスの着物にさわった。
「お着物にでもさわることができれば、きっと直る」と考えていたからである。
すると、すぐに、血の源がかれて、ひどい痛みが直ったことを、体に感じた。
イエスも、すぐに自分のうちから力が外に出て行ったことに気づいて、群衆を振り向いて、
「だれがわたしの着物にさわったのですか」と言われた。
そこで、弟子たちはイエスに言った。「群衆があなたに押し迫っているのをご覧になっていて、
それでも『だれがわたしにさわったのか』とおっしゃるのですか。」
イエスは、それをした人を知ろうとして、見回しておられた。
女は、おそれおののき、自分の身に起こった事を知り、イエスの前に出てひれ伏し、
イエスに真実を余すところなく打ち明けた。
そこでイエスは、彼女にこう言われた。
「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。
病気にかからず、すこやかでいなさい。」
(新約聖書・マルコの福音書5章25節~34節)