その方は、私の年上の友人のご主人でした。アパレルの会社を興して成功しておられました。
何でも義務教育だけを終えて田舎から出てきて、大阪で働き始めたのですが、
さすがに「切れる」方だとお見受けしました。
普通ならお目にかかれない方でしたが、まあ、奥様の友人ということで、話し相手をしてくださったのですね。
若くて世間知らず、生意気な私は、お忙しいその方の寛大さがわかりません。
お茶をいただきながら、えらそうに「話し合った」ものです。
私、 「ところで、セーター一枚の原価はどれくらいですか」
ご主人 「タダです」
私 「でも、布を仕入れたり、毛糸を買ったりしなければいけないでしょう」
ご主人 「タダです。毛糸も布もタダです」
私 「でも、糸や羊の毛にお金を払わなければいけないでしょう」
ご主人 「木綿も麻も絹もひつじも、もとはタダです」
私 「でも、ひつじに餌をやらなければならないし、木綿も麻も栽培しないといけませんよ」
ご主人 「ぜんぶ、ただなんです。初めはタダです。
ひつじもひつじの食べる草も、木綿を育てる土も、太陽の光も、雨も、みーんなタダです」
私 「????」
ご主人 「いいですか。最初はみんな、タダなんです。ただ、製品になっていく間に、
人手間(ひとでま)がかかってくる。それが加算されてモノの値段になるんです」
これが一般的に、実業をしておられる方の目から見て正しいのか、私にはわかりません。
長い歳月、その場面も言葉も忘れていたのです。
思い出したのは、聖書を読み始めてからです。
神は仰せられた。「見よ。わたしは、全地の上にあって、種をもつすべての草と、
種をもって実を結ぶすべての木をあなたがたに与える。それがあなたがたの食物となる。
また、地のすべての獣、空のすべての鳥、地をはうすべてのもので、いのちの息のあるもののために、
食物として、すべての緑の草を与える。」そのようになった。
(旧約聖書・創世記1章29節30節)