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ノアの小窓から

日々の思いを祈りとともに語りたい

タイの洞窟から救出された少年

2018年07月29日 | 聖書


 タイ北部の洞くつで行方不明になっていたサッカーチームの少年たちとコーチが、無事発見され、救出されたことは、明るいニュースでした。

 タイ海軍の方たちとともに、ボランティアで参加した大勢のダイバーの献身的な働きにも感動しました。
 同時に、一人のダイバーが救出活動の中で亡くなり、世界中の涙を誘いました。

 その後の報道では、仏教徒であった少年たちとコーチは、お寺に短期出家して、ダイバーの供養をした様子をみることができました。

 「キリスト教徒の少年一人を除く」12人ということで、キリスト教徒の少年のその後は分かりませんでしたが、フェイスブックに、少年と教会と聖職者と両親が、感謝のために特別な礼拝会をもち、祈りをささげているニュースがアップされていました。
  アダン君(とお呼びするのでしょうか)は、ラオスから越境してきた一家の14歳の息子さん。
  洞くつで、イギリスのダイバーが最初に少年たちを見つけた時に英語で会話できた唯一の子供でした。
  
  将来は、サッカー選手か、医者になりたいというアダン君。
  奇蹟的に助けられたのですから、亡くなったダイバーの犠牲に報いるためにも、まっすぐ大きく成長していただきたいと、祈らずにはいられません。
 



       


アダン君のあかし(証し)(冒頭)

“By the tenth night, we were losing patience, hope, physical energy and courage. We could not do anything to help. The only thing that I could do was pray.”


 十日目の夜になるころ、僕たちは、忍耐も希望も体力も、勇気も失いかけていました。もう、祈る以外何一つできなかったのです。



     画像をクリックして記事をご覧ください。記事とともに、ほかの写真――少年の両親の写真などをごらんになれます。





相模原殺傷事件から二年

2018年07月27日 | 聖書


    二年前に、四回連続で、投稿した記事の再録です。


      (1)



    重度障害者のお世話をしていたころです。
    
    ある時、保育士志望という若い男性がアルバイトで入ってきました。
    どこかで資格を取っていて、養護職員になる抱負をもっているようでした。

    その男性は、重度知的障害の男の子の担当になりました。
    小学生だけれど、排泄がわからない、言葉もない、歩行も思うに任せない子どもです。

    紙パンツをつけていて、排泄があったとわかるときにトイレに連れて行って
    パンツを取り替えてあげるのです。
    担当の子をトイレに連れて行って戻ってきたとき、彼の顔は真っ青でした。

    気分が悪いので、少し休みたいと、担当を女性職員と代わりました。
    パンツの中いっぱいの排せつ物を見て、気分が悪くなったのです。

    一時間ほどして休憩室から出てきた彼は、怒りに震えて言いました。

    「あんなに重度の子は、もっと別の施設に入れるべきですよ」
     彼は、一時間も残して早退し、翌日から、来ませんでした。


    「もっと別の施設」・・・できれば、自分がかかわらなくてよいところへ、やってほしいと平気でいう
     そのエゴイズムに、彼は、全然気がついていないのです。

     その後、彼がどのような施設で仕事をしているのか知りません。
     重度の障害者のお世話は、生半可な覚悟ではできないのだと知ってくれたでしょうか。

     替わる必要があるなら、介護者が仕事場を替わるしかないのです。

     重度の障害者は、自分を変えることはできないのです。ほかの人と替わることもできません。

     
         ★★


         またイエスは道の途中で、生まれつきの盲人を見られた。
         弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。
        「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。
         この人ですか。その両親ですか。」        (ヨハネの福音書9章1~2節)

         イエスは答えられた。
        「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。
         神のわざがこの人に現われるためです。
         わたしたちは、わたしを遣わした方のわざを、昼の間に行なわなければなりません。
         だれも働くことのできない夜が来ます。わたしが世にいる間、わたしは世の光です。」
                                 (同3~5節)



      ある人が障害を持って生まれるのは、彼の親の責任でもなければ本人の責任でもないと、
      キリストは断言しています。

      それは、健常者として生まれたのもまた、親や本人が誇るべきことではないのを意味しています。

      そのことに気がつくとき、私たちの慈善や善い業が生きてくるのではないでしょうか。

      汚物を人に取り換えてもらわなければならない障害を持って生れた人は、
      どこか遠くの星の人ではありません。

      「もっとほかの施設へやれ」と思う心と、
      「安楽死させろ」といってはばからない心は、まさに隣り合わせです。





        (2)



     重複障害者という言葉を初めて耳にする方も多いと思います。
     重度の障害を持っている人の多くが、障害を二つ以上もっているのです。

     体が不自由なのに、心臓にも病気があるとか、てんかんがある。
     脳のどこかに障害がある。目や耳も不自由。

     私たちは、ちょっと風邪をひいて熱があっても、ほかの人と対等には行動できません。
     指一本傷ついても数時間から、何日も気分が悪くなることがあります。

     体が思うように動かず、目が不自由で、耳も不自由で、慢性的な病気をかかえていたら、
     ほとんど自立して生活することは困難です。
     生まれたときから、薬を飲まないでは生命を維持できず、
     大きな手術で体を作り直さなければいけないとしたら、
     あらゆる面で、健常者と差がでてきてしまいます。
     まして、すべての司令塔である脳に障害をもっていると、環境に適応すること自体難しいのです。

     様々な障害がなぜ起こるのかは、ほんとうにはわかっていないでしょう。
     仮に、その原因を特定できるようになっても、それがなぜ、Aの身の上に起き、なぜ、Bではなかったのか、
     答えることができるでしょうか。

     「本人が悪いのですか。それとも両親が悪いのですか」
     (新約聖書・ヨハネの福音書9章2節)と問うことは簡単ですが、

     そんな問いをする「私」や「あなた」が、
     重い障害者として生まれなかったという理由はないのです。

               

     私たちが障害者を援助をしなければならない理由は、
     障害を持って生まれる可能性は、だれにもあったからでしょう。

     私たちが生きている世は、神の恵みが、ある意味遮断されている「罪の世」ですから、
     すばらしいめぐみに満ち溢れていると同時に、望ましくない物も存在するのです。

     旧約聖書に登場する「東の国の長者ヨブ」は、ある日突然、
     全財産と10人の子どもを同時に失うという不幸に見舞われました。

     信仰の優等生であり、いかなるときも神に従う姿勢を貫こうとするヨブは、

     「主は与え、主は取られる。主のみ名はほむべきかな。」(旧約聖書・ヨブ記1章21節)と言いました。

     さらに、彼自身が悪性の腫物に打たれて、見るも無残な状態になり、
     それでも、神に愚痴をこぼさないヨブを、彼の妻はあざけりました。しかし、
     ヨブは言ったのです。

     「私たちは神から幸いを受けるのだから、わざわいをも受けなければならないのではないか。」(同2章10節)

              

     「あいつら頭が悪い」と言えるような人は、その口を、誰からもらったのかを忘れています。
     自由に話すことができない人は、自分であったかもしれないという想像力に欠けています。
     障害者のために「たいへんな税金が使われている」と計算できるのに、
     自分が生きているコスト。生まれたときから26歳までのコストがどれほどになるのか、
     計算ができないのです。

     生まれ落ちた一人の赤ん坊を養うためにお金を使うのは、親だけではありません。
     保育園も幼稚園も小学校も中学校も、公立の学校だけでなく私立の学校も、
     たいへんなコストをかけて、ひとりの子どもを大人にするために、養育するのです。

     コストは大人になってもかかっています。
     会社も事業所も、地域社会も、
     それ以上に、この世界のお造りになった神様が、

     ひとりひとりの人のために、莫大なコストを払っているのです。


     私が、やっと成人した頃、親世代が言うのを聞きました。
     「まったく、ひとりで大きくなったと思っているのだから」
     
     大人になっても、人はひとりでは生きてけません。
     自分で働き、給料を取り、自分や家族の必要を賄えるとしても、
     決して全部を、自分で賄えていないのです。


     かくいう私も、このようなことに、もう少し早く気付いていたらよかったのにと、
     ほぞを噛むのです。

     
          
          


      (3)



     殺傷事件を起こした犯人を弁護するつもりはありませんが、
     介護のしくみについては、たしかに、残酷な現実があるような気がします。

     それは、介護のスキルも知識も経験も十分でないものが、
     一番熟練の必要な介護の場面の、最前線に置かれているということです。

     たとえば、排せつの世話、例えば、食事の世話、
     うまく自己主張できない人が暴れたりわめいたりするのをなだめること。

     どんなに冷静でも、愛があっても、体力があっても、これらの場面を上手に処理するためには、
     相当の熟練と、人間的成熟が必要だと思います。
     だれでも、はじめは、動てんし、途方に暮れるような場面がたくさんあるのです。

     そのような熟練の人が対処すべき場面に
     何故か、福祉の現場では、
     いわば、アルバイト、臨時職員のような人が当てられるのです。
                     

     いったい、医師が看護師より楽な仕事をしている医療現場などあるでしょうか。
     仕事の量の問題ではありません。責任の重さです。
     医師は看護師よりはるかに長く学び、多くの訓練を経て、患者の治療の最終的な責任を負って
     治療をしています。
     難しい手術現場で、沢山の医師がかかわる手術でさえ、
     一番急所でメスを振るうのは、スペシャリストの医師です。

     シェフが、見習いコックより責任のない仕事をしているでしょうか。最後の味つけをし、盛り付けをし、
     もし、客からクレームが来たらその責任を持つのは、シェフでしょう。

     同じようにろくろを回していても、高価な器をつくることができるのは熟練の陶工です。
             
               
     福祉の現場では、「上の人」は、ただの管理者だったり、
     事務処理者だったりすることが多いのです。
     汚物に触れることも、噛みつかれることもなく、
     暴れたという報告だけ聞き、記録し、
     さも、自分たちの働きのように、どこかさらに「上の機関」に報告します。
     あるいは、握りつぶします。

     一番重度の障害者には、一番ベテランの介護者がつくべきでしょう。
     一番ベテランの介護者は、なんらの等級づけをして、
     したがって報酬も高く、栄誉も与えられなければならないでしょう。

     そのような熟練者へのチェックシステムと報酬制度がなく、安い賃金で、
     使う側の都合だけの待遇で雇った臨時職員とかパートと言われる人に、
     一番過酷な仕事をおしつけていたら、
     介護者は育たず、少なくとも、生涯の仕事になるはずもなく、
     それでは、福祉を受ける障害者のためにも、
     障害者も幸せに暮らしてほしいと願う国民の期待にも
     答えられないと思います。

     たんに、介護要員の時給を上げるかどうかの問題ではないと思います。

     生涯、介護を仕事にできるような待遇はもちろんですが、彼らのうちに日々、
     蓄えられていくスキルを評価し、ほかの人にそれを伝えるシステムを整え、
     プライドと連帯感を持てる仕事にすることが必要だと思います。

     被介護者を見下したり、虐待したりする人が出てくるその理由の一端に、
     少なくとも、
     努力と労力に見合う「尊敬」がはらわれていないことが、挙げられるのではないでしょうか。





         (4)

      そういえば、昨今、ほとんど聞かれない言葉に、「ひきょう」があります。
     「ずるい」は、生きているようですが、「ひきょう者」って言いませんよね。

     やまゆり園で大量殺人を行った男に対して、一番ピッタリな言葉、
     それが、ひきょう者だと思います。
     彼が逮捕されたとき、悪びれる様子もなく薄笑いを浮かべていたことを
     「不敵な笑い」と形容する向きもありましたが、それは買いかぶりすぎというものです。
     一番弱い、一番傷つけやすい者を傷つけるなんて、「ひきょう」そのものです。

     行きずり殺人などを見ていても、切り付けやすい女子供を狙っている。
     いかにも強そうな「おにいさん」なら、腰をかがめて避けて通るのに、
     ちゃんと相手の強さや大きさを測れる。
     そのような者に心神喪失なんてあてはまらない!
     と思うのは、私だけでしょうか。

     
            

     「ひきょう者は弱虫だ!」

          そんな言葉が、広がればと思います。
          たとえ、全身に入れ墨があっても、
          銃や刃物で武装していても、
          おおぜいで群がっていても、

           「ひきょう者は弱虫だ!」

      しかし、逆は真ならずです。
     「弱虫は、ひきょう者」では、ありません。

      パウロも言っています。

      「私は、弱い時にこそ、私は強いのです!」(新約聖書・Ⅱコリントへの手紙12章10節)

      これはもちろん、弱さをみとめて神の前にひざまずくとき、神が味方になって下さるからです。

      「ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、
       むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。(同9節)






      
      
     
  


ペテロ、水の上を歩く――佐々木正明牧師の説教

2018年06月19日 | 聖書






  これは、先日、香港の教会に招かれた佐々木正明牧師の説教です。
  すべて英語ですが、日本語訳もつけました。







2018年6月10日 香港の教会での礼拝会説教

題  「主よ。お助けください。」
聖書箇所   マタイの福音書14章22節~33節

導入  イエス様の弟子の中でも、いちばん愚かだった弟子



 なぜイエス様はペテロをお選びになったのか
イエス様の弟子たちの多くは、学問もなく、粗野で、愚かで、馬鹿と呼ばれアホと言われても、しょうがないような人たちでした。そのような中で、ペテロは代表格だったのです。彼は弟子たちのリーダーであったのに、イエス様からは、しばしば叱られ、忠告され、正されていました。彼は考える前に走り出すタイプだったようです。
 ペテロが弟子に選ばれたこと自体が不思議なのに、ましてやリーダーです。いったい彼には、どのような資質があったのでしょう。



Ⅰ イエス様のようになりたいという、強い願い  

        
真似てみたかったペテロ

 たとえどんなことであっても、イエス様がなさったことであるかぎり、ペテロはそれを真似てみたかったのです。この時イエスがなさったのは、並みの事でも、尋常な事でもありません。それはあり得ない、考えられない、不可能で、常識に反することでした。自然の法則にも、私たちの経験にも反していました。それは決して起こり得ないことであり、だれも見たことのないおかしな事でした。嵐の暗闇を散策するだけでなく、水の上を歩かれたのです。それも、波立ち、逆巻き、激しく打ち返す嵐の湖の上です。まさにあってはならないことでした。


常識をはずれたイエス様の教え

 イエスがお教えになったことの多くは、通常では考えられない、まったく常識はずれのものでした。イエス様の教えの一部に耳を傾けてみましょう。
 こう仰せになっています。「悪い者に手向かってはなりません。もし誰かが、右の頬を打つなら、左も向けなさい。あなたを告訴して、服を取ろうとする者には、コートもやりなさい。あなたに強いて、一マイル行けというなら、いっしょに2マイル行きなさい。願う者には与えなさい。あなたから借りようと頼む者を、断らないようにしなさい。」
 このように、イエス様の教えはこの世の教えとはまったく異なっています。皆さんの両親の教えとも、隣人の忠告とも、地域社会の戒めとも、国の法律とも異なっています。イエス様の教えとご命令は、どんな人から聞くこととも異なっているのです。


常識をはずれたイエス様の行為

 イエス様の教えだけではなく、イエス様の行為もまた、私たちの周囲で見られるものとはまったく異なって、常識はずれのものでした。人は、富や財産、権力や権威、地位や既得権、名声や栄光を追い求めますが、イエス様はそれらすべてを拒絶し、放棄なさったのです。天地の創造者であり、すべての力に勝る力をお持ちになり、あらゆる権威を超えた無限の権威を行使でき、すべての栄光の上に座しておられた方なのに、イエス様はそれらすべてを放棄して、この貧しく汚れた世界に来て下さったのです。
無力な赤ん坊として、忘れ去られたような寒村に生まれ、飼い葉桶に寝かせられ、貧しい大工の息子として成長されたのです。


イエス様の生活の様子

イエス様は天と地を創造された、栄光に富む方でした。しかし、この世界に来てくださり、父のヨセフが若くして亡くなった後には、自ら大工となって暮らしておられました。ヨセフは、年期の入った大工として、結構、良い金を稼ぐことが出来たと思われます。しかし、イエス様が一家の大黒柱となられたのは、まだティーンエイジャーのころでした。彼の稼ぎは4人の弟たちと、少なくても二人の妹たちを養うには、とても充分とは言えなかったでしょう。イエス様も母マリヤも、一所懸命に働いたに違いありません。でも彼らは貧乏でした。十分な食べ物もなく、着る物も、寝具も、何一つ、十分ではなかったことでしょう。
隣近所の人たちは、その様子を見て可哀そうに思い、ある時は食べ残した食料を、持ってきてくれたかもしれません。使い古しのブランケットを手渡してくれたことも、色あせた着物を届けてくれたことも、半分すり切れたサンダルを、置いて行ってくれたこともあったのではと思われます。


イエス様は神としての力をお用いにならなかった

 すべてのものを無からお造りになった創造主、全知全能のお方が、片田舎のみすぼらしい大工として、ほこりと泥にまみれて働かれたのです。ご自分の私生活のためには、けっして、神としての栄光の力をお用いになりませんでした。イエス様は汗と涙を流されたのです。かつて、「光あれ」と言われて、光をお造りになったお方なのに、地上の生活では、その力をご自分のためにお使いになることは、絶対になかったのです。彼は「家よ。建て!」とも机よ。現れよ!」ともお命じになりませんでした。私たちと同じように、人間として、手と足を使って糧を得ておられたのです。ですから、イエス様の手はきれいではありませんでした。柔らかくも滑らかでもなかったのです。ひどく汚れて、切り傷やひっかき傷、打ち傷や擦り傷と、たくさんの傷跡があり、指はゴツゴツと節くれだっていたに違いありません。衣服にはおが屑がまとわり付き、髪の毛には木くずが乗っていたことでしょう。


 イエス様は赦しを実行なさいました

 イエス様は十字架の上で死んでくださいました。何一つ罪は犯されませんでしたが、木に架けられて、お死にになったのです。栄光の主は、私たち罪びとを救うために、呪われた者とされ、拒絶されたのです。イエス様は完全な従順を最後まで保ち、十字架をご自分の肩に負われたのです。イエス様は十字架の上で叫ばれました。「父なる神よ。彼らをお許し下さい。彼らは、自分が何をしているのか、分からずにいるのです。」
 イエス様の教えと行動は、不可解なものです。とても並みの事ではありません。私たちの常識に反するものです。ここでも、嵐の湖の波立つ水面をお歩きになっています。かつて誰もしたことがないことを行い、ほかの誰もしようと思わないことをなされたのです。



2. イエス様のようになれるという強い信仰

 ペテロは強い願いと信仰をもっていた

 ところがペテロは、イエス様に倣いたいと願いました。イエス様が行われたことはみな、何がなんでも真似てみたかったのです。それが、ペテロの熱い願いであり、本当にそうできるという、強い信仰さえ持っていました。
ペテロはイエス様を見つめて、頼みました。「主よ。あなたでしたら、私に水の上を歩いてここへ来いとお命じ下さい。」 イエス様は答えて言われました。「来なさい。」 ペテロはイエスの言われたことを聞きました。イエス様はたしかに「来なさい」と言われたのです。そしてペテロはそのお言葉に従ったのです。愚かで馬鹿げたことではありますが、ペテロは舟から足を踏み出したのです。

ペテロは成功した
ペテロは、自分が水の上に立っているのに気づきました。そこでさらに、勇気を持って歩きはじめました。波の上を歩いたのです。嵐で波立つ水面を歩いたのです。彼は、イエス様と同じようにできたのです。イエスのようになったのです。まさに「ヤッター!」というところです。ペテロはイエス様に倣うことができたのです。イエス様をしっかりと見、イエス様のみ声を確実に聞いていたとき、ペテロは、誰もが不可能だと思うことをすることができたのです。それは、ペテロの信仰の勝利でした。


私たちの体験

これはまた、私たちの体験でもあるのです。イエスを救い主として信じた直後には、しばしば、びっくりするほどに生活が変えられます。牧師として私は、同じようなことをいく度も見てきました。それは、まだ若く経験不足の牧師だったころの私には、ほんとうに大きな励ましとなりました。

本当にあったお話し

じっさいに私が体験した、奇跡のような出来事をお話ししましょう。1969年のことです。私は沖縄の小さな村で、教会を始めたばかりでした。ちょうどベトナム戦争が最も激しかった頃です。村は米軍用機の離陸ルートの直下にありました。毎日、何十機ものさまざまな軍用機が、私たちの真上を飛び抜けて行きました。目一杯の積載量で急上昇ができないため、わずか200メートルほどの上空を、耳をつんざくような音で、あらゆるものを震わせながら飛んでいくのです。広場には何百何千もの軍用車両の残骸が、赤く錆びてうずたかく積み上げられていました。

 私が教会を始めようとしていのは、3000人ほどの住民が暮らす小さな村でした。しかしベトナム戦争のせいで、この小さな村には、1000人を超えるアメリカ兵士目当ての売春婦が住んでいたのです。村は、アメリカ軍基地のふたつの門に挟まれていました。基地の門の前には、たくさんの質屋、酒場、キャバレー、ダンスホール、売春宿がありました。

 この海兵隊基地は、大きな検疫所を備えた特別なものでした。これからベトナムへ行って、地獄を見なければならない兵士たちも、ベトナムで地獄を見て来た兵士たちも、すべて、つまり海軍だろうと、空軍だろうと、海兵隊だろうと、陸軍だろうとみな検疫のために、三日三晩この基地に留まらなければならなかったのです。ここがどんな場所であったか、想像に難くないと思います。もしもここで、まだ見た目が若い女性に出会ったら、そのほとんどは売春婦だったのです。

 ある日曜の夜の伝道集会に、ひとりの女性が入ってきました。すぐに、売春婦だとわかりました。その頃、私はその手の女性にうんざりしていました。彼女たちの多くが、集会にやってきました。次から次へと、彼女たちは悲しい身の上話を聞かせてくれました。もちろん、私は何とかして彼女たちを助けようとしました。相談に乗り、いろいろ教え、イエスに頼るよう励ましました。

 彼女たちも、涙を流して泣き、むき出しのコンクリートの床に、身を投げ出しさえしました。自分たちの罪を悔い改めて、告白もしました。しかし何一つ、まったく変わらなかったのです。私の胸は、このような女性たちに対する、苦いものであふれてしまいました。いつも、裏切られた思いになったものです。

 説教を終えた私は、牧師としての責任感だけで、女性のところへ行きました。「何かお話があれば、どうぞ」と言いますと、その女性は、堰を切ったように自分の抱える問題を話し始めました。今の境遇を変えたいと、どれほど願っているか・・・・。
またも同じような話です。もう聞くのさえ「うんざり」でした。貧しさゆえに両親は、彼女をたった200ドルで、ヤクザに売ってしまったのです。13年もの間、売春婦として働かされたのに、借金はどんどん膨らんで5000ドルになっていました。それは当時、立派な家が一軒建つほどの金額でした。私の月給が30ドルだった頃です。

 五年ほど前、彼女は小さな漁船を雇って、ひそかに日本へ逃げ出しました。小さな島伝いに逃げて、とうとう日本本土に上陸できました。その頃、沖縄は、まだアメリカの施政権の下にあり、日本に渡るにはパスポートが必要でした。彼女は、パスポートもビザももっていませんでしたから、密出入国をしたのです。それでも、なんとか上陸して、小さな食料品店で働き始めました。
しかし、彼女は自分について知らなかったのです。彼女は、奴隷のように働かされていた売春婦だっただけでなく、罪の奴隷でもあったのです。ヤクザに売られて支配されていただけでなく、長いあいだ売春婦として働いているうちに、自分自身の性欲に支配されるようになっていたのです。

 せっかく日本で自由になったのに、性の欲望がすでに彼女を奴隷にしていたのです。彼女は新しい自由な生活に、満足できませんでした。男なしには生きていくことができずに、日本でも売春をするようになってしまいました。そうするうちに、彼女はヤクザに見つけられ、沖縄に連れ戻されたのです。罰を受けた彼女の借金は、またまた膨れ上がりました。

 話を聞きながら、私はひどく疲れてしまいました。また同じ物語です。私は彼女のためにお祈りをしました。心なんてこもっていない、おざなりな祈りです。「主よ。この気の毒な女性をお助け下さい。罪とヤクザから解き放ってください。」 それから言いました。「主イエス様に頼り、お祈りを続けてごらんなさい。主はその問題からあなたを解き放ってくださいます。イエス様に不可能なことはありません。」 彼女に言ったことは、神学的には正しいものです。私は真実を語ったのです。でも心はこもっていませんでした。私自身が、自分の祈ったことを信じていなかったのです。

 しかし、主の御名は褒められるべきかな! 次の日曜日の夜、彼女は集会に現れました。すぐに「あの女性」だと、気づいたことは気づいたのですが、驚いたことに、彼女はまったく別人のように見えたのです。前の週に来たのと同じ人であるとは、到底思えませんでした。服装は同じでしたが、何かが完全に変わっていたのです。理屈で分かったのではなく、強く感じたのです。
 
 説教の後、急いで彼女に近寄り、尋ねました。「何があったのですか。あなたは、まるで別人のように見えます。」「ええ。私はいま、まったく別人です。」 彼女は答えてくれました。「信じられないことが起こったんです。イエス様は、祈りにお応えくださいました。先週の日曜日の夜、私は仕事に戻りましたが、あれほど私を駆り立てていた性欲が、なくなっているのに気が付いたのです。ほんとに消えてしまったんです。私の本当の問題は大きな借金でも、ヤクザでもなかったんです。私の性欲こそが問題だったんです。長い間、売春婦として働いているうちに、私はセックス中毒に陥っていたんです。でも、主は祈りにこたえてくださいました。もう、そんなものに駆り立てられることはありません。もちろん借金を抱えていますから、まだ売春婦として働かないわけにはいきませんが、私はもう別人です。イエス様は、私の一番大きな問題を取り除いてくださったのですから、きっと、ほかの小さな問題も、取り除いてくださるに違いありません。」


私は彼女の話を信じられませんでした。でも、せっかくの証を質問攻めにしてはいけないと思い、ただ、「そうです。その通りです。イエス様は、あなたが信仰をもってお願いする限り、どんな問題でも解決できるし、またしてくださいます」と、相槌を打つだけにしておきました。その日から、彼女は私たちの小さな開拓教会の中で、一番素晴らしい熱心な信徒になりました。
数か月後のある日、彼女は笑顔を輝かせてやってきて、言いました。「とうとう、ヤクザからも大きな借金からも、完全に自由になりました。」何があったのかは知りません。どのようにして、なぜ、そうなったのかも知りません。私は、主が働いてくださったのだと信じました。彼女は、その日から、売春婦をやめ新しい人生を踏み出したのです。
イエス様が、祈りに応えてくださる方なのですから、どんなことも可能なのです。イエス様は、彼女の切なる願いに応えてくださったのです。今頃、彼女は幸せなおばあちゃんとして生きていることでしょう。


ペテロの失敗

ペテロは水の上に立ちました。波の上を歩きはじめました。まさに「ヤッター!」です。ところが、突然、彼は波立つ水面を見てしまったのです。吹きすさぶ風の音を聞いてしまったのです。彼は、イエスから波に目を移してしまいました。イエス様に聞く代わりに、風の音を聞いてしまいました。するとどうなったでしょう。彼は恐怖に襲われました。彼の心は恐れに囚われてしまいました。疑いが彼の心に忍び込んできたのです。その瞬間、ペテロは沈み始めました。水の上に立ってはおれなくなって、逆巻く波に飲み込まれてしまいました。


私たちの体験

私たちもまた同じことを経験します。イエス様を信じて新しい生活を始めた直後は、素晴らしい経験をします。大酒をやめ、タバコをやめ、ギャンブルや喧嘩をやめて、親切な良い人になり、他人の世話をするようになります。ところが、多くの人はそこに長く留まることができません。彼らは元の生活に戻ってしまうのです。


共通の理由

なぜ、そんなことになってしまうのでしょう。なぜ多くの人は、イエス様に信頼した結果の体験に、留まることができないのでしょう。そこには一つの、共通の理由があります。彼らは、ほかの誰かを見はじめたのです。ほかの誰かに聞くようになったのです。誰も、この世に生きている限り、完全に目や耳をふさぐことはできません。それで、世のいろいろなことを聞き、いろいろなものを見ることになります。人の言うことは、イエスの言われることやなさったことと、違っていることでしょう。それを避けることはできません。しかし、それらに心を留めてはいけません。あまり気にかけすぎてはいけません。それらに目を凝らしてはなりません。イエス様おひとりだけを見るのです。イエス様おひとりだけに聴くのです。

3.  諦めないでイエス様に倣おうとする
   
 ペテロは、イエス様に倣おうとして失敗したとき、何をしたでしょう。そうです。イエス様に助けを求めました。イエス様に助けを求めたのです。でも、なぜ彼はイエスの助けを必要としたのでしょう。彼は年季の入った漁師でした。そればかりか、泳ぎも上手だったのです。彼は、自分の力と技量だけで、たやすく舟に戻れたはずです。イエス様の助けなど必要ではなかったのです。
彼は自問することができたはずです。「ああ、なんてバカなやつだ。おれは。イエス様のようになれると思ったけれど、そんなこと初めから不可能だったんだ。自然の法則に逆らうなんて。みんなの経験を無視するなんて。ああ、まったくばかなことをしたものだ。馬鹿だ、馬鹿だ! 俺はイエス様だけを見ていて、ほかの弟子たちを見ていなかった。仲間の声も聞こうとしないで、イエス様の声だけを聞いていた。愚かにも程がある。おれは愚かだ。よし。舟に戻ろう。そんなに遠くないし、俺は泳げる。自分の力と技量で助かることができる。おれは、まだまだ泳ぎはうまいんだから。

ペテロはイエス様に助けを求めた
 でも実際のところ、ペテロはイエス様に助けを求めたのです。ただし、ここでイエス様に求めたのは、自分の命を助けてくださることではなく、もう一度、水の上に立たせてくださることであり、水の上を歩き続けさせてくださることだったのです。ペテロは失敗しました。ペテロは確かに愚かでした。しかし、イエス様にたいするペテロの信仰は、消え失せてはいませんでした。イエス様に倣いたいというひたすらな願いは、彼から離れ去ってはいなかったのです。たとえどんなことであろうと、それがイエス様がなされたことであるならば、ペテロはそれに倣おうとしたのです。ペテロの心の叫びはこうでした。「イエス様。もう一度水の上に立てるように、助けてください。もう一度水の上を歩けるように助けてください。あなたのなさることができるように助けてください。あなたに倣う者になれるよう助けてください。あなたは、私のお手本です。私の先生です。」ペテロはけっして諦めず、信仰のもがきをしていたのです。

 ペテロは、自分の夢を諦めませんでした。自分の願いを捨てませんでした。自分の目標を忘れませんでした。自分の夢を追い求めたのです。イエス様の姿を追い続けたのです。



イエス様は助けてくださった

 イエス様に助けを求めたとき、イエスはペテロに手を伸ばし、水から引っ張り上げ、波の上に立たせてくださいました。ペテロは、ふたたび水の上を歩くことができたのです。イエス様に伴われて、彼は水の上を歩いて、船に戻ったのです。

まとめの言葉

 兄弟姉妹のみなさん。今朝、私たちが学ぶべきことはこれです。イエスの教えと行動は、しばしば理窟に合わない、偉大な人たちの忠告に反し、常識に反し、すべてに反したものです。しかし私たちは、これらが世界で一番賢く、偉大で、気高く、神聖なお方の、言葉と戒めと行為だと知らなければなりません、この方こそ、私たちが疑うことなく、聞き従うべきただ一人の方です。この方が、唯一絶対のお方だからです。

 イエス様を信頼してお従いすると、たいてい、良いスタートを切ることが出来ます。とても素敵な始まりになります。ところが、すぐに失敗してしまうのです。この失敗で、多くの人たちは失望して、以前の生活に戻ってしまいます。もしも、あなたがそのような人のひとりならば、ペテロから学んでください。もしもあなたが、失敗に落胆している人を見たならば、「ペテロを見てごらん」と言って教え、励ましてあげてください。大切なのは、イエス様を信頼して新しい人生を始めることだけではなく、失敗したときどうするかなのです。

けっして諦めないで、イエス様に従い続けましょう。何度も何度もつまずくことと思いますが、決して、イエス様に倣おうとするのをやめないでください。失敗するたびに、イエス様の助けをお願いするのです。もちろん、イエス様は助けてくださいます。「なぜ疑うのか。信仰の薄い者よ」と、優しくお叱りになりながら。




   

伝道者・高原剛一郎さんの話

2018年05月24日 | 聖書



久しぶりにラジオ伝道者高原剛一郎さんのお話です。



おはようございます。高原剛一郎です。

先日私はある方のツイッターを読んで心にとまりました。
運転中に気を失うほどの痛みが全身に走るのを感じたAさんは、車を路肩に止めてすぐに119番通報したのです。
しかし、あまりの激痛で居場所を伝えることが出来なかったと言うのです。
しかしオペレーターはこう言ったんですね。「車の窓と鍵を開けて窓から片手を出しておいてください。必ず見つけますから。」
そしてオペレーターの言葉通り、約10分後には救急車が到着し、無事に病院に搬送されたと言うのです。
これは恐らく携帯に搭載されているGPSを利用して発信元も突き止めたのでしょう。まさにハイテクの勝利ですね。
と同時に「必ず見つけます」のひと言葉がAさんに生きる希望を与えたのです。



聖書から見る神のご性質


聖書の神様はあなたを探し求めている方です。
あなたを永遠の絶望から永遠の命へと連れ戻すために、あなたを呼び求めておられる救急救命の神なのです。
今日はこの神のご性質について聖書から学んでみましょう。聖書にこのように書いてあります。

わたしはあなたと永遠の契りを結ぶ。正義と公正と、恵みとあわれみをもって、契りを結ぶ。

ここには神のご性質が三つ紹介されています。



エッセイ『リンゴとミカン』


第一に、神は永遠の存在です。

永遠に生きている方なので神の約束は永遠に有効な約束なのです。
私は先日『リンゴとミカン』というエッセイを読みました。78才の古垣内さんという方のエッセイです。
少年時代彼は人口500人という村で生まれ育ったのです。
お父さんは小学校の先生でしたが、あるとき2歳年下の元田という青年教師が赴任して来たのです。
年齢も近く2人は実の兄弟のように親しくなり、元田先生は古垣内さんの家にホームステイします。家族の一員のように仲良くなっていったのです。


ミカンとリンゴを送りかわす約束

ところが5年後、元田先生のお父さんが突然亡くなられ実家のリンゴ園を継ぐために長野に帰って行かれたのです。
張り合いをなくしたのか、お父さんも2年後に教師をやめ、先祖代々続くミカン作りを始めたのでした。
お父さんは自分が育てたミカンを元田先生に送りました。そして箱の中に「これから毎年、生きている限りみかんを送る」と手紙を入れたのです。
すると元田先生からも木箱に入ったリンゴが届き、「僕も一生涯先輩にリンゴを送ります」と書いてきたのです。
それから毎年、和歌山と長野の間をミカンとリンゴが行きかったのです。
あるときお父さんがお母さんに言いました。「俺が死んでもミカンを送り続けてやってくれ。彼は気が弱いからショック死するかもしれんからなあ。」
お母さんは「必ず守ります」と約束したのです。


お父さんとの約束を守ったお母さん

何事もなく20年が過ぎたとき、お父さんは突然倒れて帰らぬ人になりました。しかし、お母さんはこの事実を伏せてミカンを送り続けたのです。
何も知らない長野からはリンゴが届きます。そうして7年たったときお母さんが言いました。「最近林檎に手紙が入ってないわねえ。」
そこで彼は元田先生宛に事情を打ち明けた手紙を送るのです。
奥様から届いた返事には、実は、主人も7年前に亡くなっていたのです。
でも死の直前「俺が死んだのを兄貴に知らせるな。あの優しい人のことが心配なんだ。」それで言われた通りにしてきたのです。
それからお母さんと奥さんとの間でミカンとリンゴの往来が始まったのです。


永遠に有効な約束

しかし、やがて奥さんからもリンゴが届かなくなりました。奥さんも亡くなられたからです。
人が誰かにした約束を果たすことが出来るのはその人が生きている間だけです。
どんな約束も人間がする約束は永遠の約束にはなりません。
なぜなら永遠に生きている人は誰もいないからです。永遠に存在し続けている方だけが永遠を保障することが出来るのです。
そして、あなたをお造りになった創造主なる神は永遠に存在する方なのです。
神の契約、神のした約束は、神の永遠性の故に永遠に有効なのです。



北村弁護士の正義


第二に、神は正義と公正なる神です。
正しいことを正しいとし、悪を悪として断罪するのが正義です。それは神様のご性質を現しているのです。
数多くの法律番組に出演する方に北村弁護士がいます。
彼は小学生の時から自分が得心できないことには絶対に「はい」と言えなかったそうです。
それで将来就職しても上司がブラックだったらすぐケンカして辞めてしまうだろう、そんな自分の性格がコンプレックスで悩んでいたんですね。
ですから自分には弁護士の道しかないと腹をくくり、7年間も浪人して、とうとう弁護士になったのだそうです。
ある番組の中で司会者が北村弁護士にちょっと意地悪な質問をしました。「明らかに黒なのに白にしてくれと頼まれたことはありますか。」
彼は何度かうなづいて「いくらでもありますよ。」と言いました。
しかし、続けてこう言ったんです。「そういうときは100%全部断ります。絶対に断わります。どんなに札束を積まれても断固拒否します。なぜならそれをやったらものすごいストレスになるからです。そもそもこの仕事に就いたのは納得できないことには従えない性格の所以です。だからそれをやったら自分の人格が崩壊してしまうでしょう。」



神は正義と公正の方

いや、気持ちがいいですね。しかし、神はそれ以上に正義と公義の神なのです。
人間ですら、正義感の強い人は歪んだことを呑み込むことが生理的にダメです。
ましてや正義そのものである神はなおさらのこと、黒を白と言いくるめることなどできないのです。
しかし、神が全く妥協のない正義の審判者であるということだけであるならば人間は誰ひとり救われません。
なぜなら全ての人は罪人であるからです。
しかし、感謝すべきことに神はもう一つのご性質をお持ちなのです。



同僚たちの犠牲

それが第三のポイント。この方は恵みと憐れみの神だということなのです。
恵みとは受ける資格のない者に注がれる神の愛のことです。憐みとは自力で立てなくなった者への神からの一方的な親切のことです。
ドイツのヘッセン州フロンハウゼンというところに暮らすアンドレアス・グラフさんは、デザイン会社で組み立て作業員として働いていました。
しかし、2017年の1月、3才の息子が白血病になり、またほどなくして奥様も病で倒れ亡くなってしまうのです。
彼は有給休暇の全部を息子の付き添いの為に当てました。
しかし、不安を抱えていたのです。このままだと首になるのではないかと考えたのです。
事情を知った人事マネージャーはアンドレアスの同僚たちに持っている有給休暇をまわしてやってほしいと呼びかけたのです。
2週間でなんと650人が応じ、アンドレアさんには合計3264.5時間、1年半以上の有給休暇がプレゼントされたのです。
ところで彼が良きものを受け取るために他の人は自分が持ってる良きものを手放さなければなりませんでした。
一人平均5時間の残業をプレゼントしたのです。



キリストの命という罪の代償


しかし、キリストはあなたのためにご自分の命を提供してくださったのです。
神の正義を満足させ、しかも神の憐みを満たすには、罪無きキリストが十字架に架かって身代わりの償いを受けるということ以外になかったからです。
そしてこの方は墓に葬られ、その後3日目に復活なさいました。
どんな罪人も永遠に救われる救いの契約がここに実現したのです。
どうぞあなたもこの約束の契約を信じてイエス・キリストをご自分のものとして受け入れてください。心からお勧めします。




今日のみことば

「わたしはあなたと永遠の契りを結ぶ。正義と公正と、恵みとあわれみをもって、契りを結ぶ。」
(ホセア2:19)









ウェルカム礼拝のご案内

2018年05月12日 | 聖書



        


        教会では、6月にウェルカム礼拝を計画しています。

        その案内はがきを作るために、数日奮闘しました。

        いつもデザインを担当してくださる若い姉妹の都合がつかなくて、

        さとうが引き受けることになってしまったのです。

        多くの方をお招きできればと、祈りながら作りました。

        よろしくお願いします