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ノアの小窓から

日々の思いを祈りとともに語りたい

台風一過

2014年10月06日 | 自然





        薄日差し さざなみは走る水溜り 嵐の饗宴 残像残し




          町田市の防災メールを受信する設定なので、
          昨夜からおよそ20回以上のメールを受信しました。

          一時は大雨・洪水警報や竜巻情報、土砂崩れの警報や注意報、避難勧告までありました。

          幸い、昼ごろには雲が切れて青空が見え、温度も急に上がってきました。
          台風の後の、日差しはきついですね。
          空気の中の不純物が、雨と風で吹き払われてしまうからでしょうか。

          それにしても、大きなかんしゃくを起こした子供のように、あちこちに
          木の葉や小枝やごみを散らかしていって、

          後はけろりと、ご機嫌の空模様でした。









黄色い彼岸花

2014年09月18日 | 自然




               近所を歩いていたら黄色い彼岸花が一輪咲いていました。

              ほんとう?!と近づいて、撮りました。

              背後のオシロイバナも黄色。

      


                  



       

              黄色い彼岸花は初めて見たのです。突然変異?

              それとも、

              オシロイバナの色が移ったのでしょうか。





      


どしゃぶり、2

2014年08月22日 | 自然


     ある夏の日曜日、朝からどんより曇って、断続的に雨が降っていた。
     午後は豪雨になる予報の日、

     それでも、私は出かけたのです。
     デイトというほどではないけれど、お茶を飲む約束があったからです。
     神戸の繁華街三宮の喫茶店に入って、一時間も経った頃、
     突然、店内放送。
     「雨で、交通機関が止まるかもしれないので、閉店致します。」

     「えーっ!!」
     当時はありふれた名曲喫茶。
     そこは、半日でも過ごせるはずの場所だったので、お客はみんなブーイング。
      ぞろぞろと外に出て、びっくり。

      すでに、歩道にまで水が流れていて、バスも止っている。
      車は水しぶきを蹴立てて走っています。
      タクシーが奪い合いであるのは、一目瞭然。

      
      「送っていくよ」と、その人はけなげにも申し出てくれた。
      三ノ宮から北野町方面に上り、諏訪山の裾を通って西に向かう道は単純で、
      ふだんなら歩いても40分くらい。
      しかし、ゆるやか上り道はすでにかなりの勢いで水が流れており、
      みるみる水かさが増しています。
      消防団や自治会の人たちが出ていて懸命に道にひもを張り、
      通行人を誘導しています。
      当時のどぶや下水は、ちゃんとふたが閉まらない箇所などがあったので、
      人が落ちないように対策を講じているのです。

      水はすねをひたひたと洗い、間もなく膝上に上ってきそうな勢い。
      スカートをたくし上げ、でも、靴は脱がず(けがをするといけないので)・・
      さずがに緊張して一歩一歩進んでいきます。

      友達以上恋人未満の人であっても、「連れ」のありがたさは身に染みました。
      なんと、ほっそりした彼が、私の二の腕をずっとつかみ続けていたような。おかげで、
      滑ったり転んだりもせず、
      ようやく自分の家に通じる交差点に来たとき、
      傘を差し、犬を連れた父の姿が見えた。

      避難命令が出て、家族は小学校に避難していて、父は私を待っていてくれたのです。

      振り返ると、彼は、「では、これで、失礼します」
      とそそくさと、帰って行くところ。
      大丈夫かなあと思ったけれど、父の後について小学校の講堂へ歩いたのです。

      その時の、(自分だけ)ほっとした気持ちは忘れることができません。

      ゲリラ豪雨、本当に怖いのです。



      
      


      

            

            

     

どしゃぶり

2014年08月21日 | 自然



       子どものころを思い出すと、
       いまよりずっと自然が残っていたと知るのです。
       山や川や海のたたずまいだけではない。

       町の暮らしであっても、まさに自然を思い知ることが多かった。
       蚊の多さは今の比ではなかった。

       蚊に食われるというのは、文字通り食われるのだった。
       夜店を冷やかしていても、立ち止ると蚊に食われる。団扇で蚊を払いながら歩いたもの。

       家の軒先には、すぐに大きな蜘蛛が巣を張った。
       家の中も油断はできない。
       おやつの残り物を置いていると、どこからか大量のアリが這い上がってくる。

       食べ物を商う市場はハエが飛び回り、ハエ取り紙に真っ黒にハエがくっついていると、
       ちょっと爽快だったりしたもの。


       梅雨時や台風時のどしゃぶりは、ほんとうに迫力があった。
       我が家は、背後が六甲山の裾野にあたっていたので、それこそ、
       全山に降り注ぐ雨の音がぶあつい轟音となって響いていた。
 
       屋根から落ちる雨は、樋(とい)を溢れ、軒先をカーテンのようになってさえぎり、
       庭に穴をうがつ音もすさまじかった。


       ずいぶん前に、その近くの家が洪水で流されたと聞かされていたから、
       「どうか洪水になりませんように」と、息を詰めていた夜。


       いざというときは、どの戸口から逃げようと言い聞かされ、親子で一室に集まったりしていた。

       後から考えると、
       災害とは、そんな分別が役立たない一瞬の出来事だったと思う。


       災害のニュースを聞くたびに、
       自然が、牙を剥いていた幾夜を思い出すのです。