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ノアの小窓から

日々の思いを祈りとともに語りたい

神戸の町かど(1968年)

2017年12月07日 | 思い出

    当時、小さな詩の同人誌に集っていました。詩を書いて活字になるのがうれしかったのです。

    今のようにパソコンなどないので、同好の者が集まって作品を持ち寄り、印刷物を出版したのです。
    そのほとんどは散逸してしまいました。作品は、今読むと、とても初心(うぶ)で赤面ものです。


    主宰者のご厚意で、自分の簡単なスケッチを、表紙裏(とびら)に載せていただいていたのです。
    あらっぽい絵ですが、なぜか、とても懐かい。
    というのは、当時の、どこか、憂愁を帯びた神戸の街を思い出させてくれるのです。
    三宮から北野町、三宮から中山手通りなどを通って、自宅へ帰る道は、
    ふだんは、バスに乗っていたはずですが、歩いてもせいぜい3キロたらず、
    何百回も、歩いたものです。
    これらのスケッチには、観光地のしるしみたいなものが一切ないのですが、
    毎日そこで暮らしていた時には、何でもない曲がり角や家の屋根の方が親しかったんですね。
    今見て驚くのは、ほとんど鉄筋のビルが見えないこと。高層ビルなんか気配もなかった。
    中山手通りは、ビジネスオフィスがあったと思うのですが。


    
       
    

         三宮北


         石屋川


         北野町付近



         中山手通り


         神戸港







      

蕗谷虹児(ふきやこうじ)

2017年11月16日 | 思い出

                  


      所用があって、町田市民文学館に行ったところ、
      町田在住の作家として、蕗谷虹児の本や画集が、収蔵されているのに気が付きました。

      明治31年生まれ、昭和54年に亡くなっていますので、若い方にはなじみがないかもしれません。
      同時代の、竹久夢二の方が、今では人気がありそうです。

      私は、少女時代――自分に少女時代があったなんて、今では夢のようですが
      毎月買ってもらっていた少女クラブの挿絵を見て、蕗谷虹児の絵に、見とれてしまった思い出があります。
      手塚治虫さんがデビューしたばかりで、同時に、リボンの騎士の連載が開始されていました。

      手塚さんの絵も、当時の少女漫画のなかでは、素晴らしく美しかったのですが、
      残念なのは、蕗谷虹児さんの絵は、まもなく、載らなくなりました。
      その頃、すでに相当ご高齢だったのですね。


         

      
      昔あこがれた絵が、すぐ手の届く場所で見ることができるというのです。

      とりあえず、一冊だけお借りしてきました。今度は重いものを持ち帰る支度をしていきましょう。
      写真を撮りましたが、どうも下手で恐縮です。

      とくに、やわらかいけれど、しっかりした美しい線が持ち味の絵ですから、
      これでは、まったく良さがわかりませんね。


      


       
      
      
     



     蕗谷虹児で、検索していただくと、経歴や作品、生没年などが紹介されています。




    

悲しみは駆け足でやって来る 浜田 朱里

2017年11月08日 | 思い出





    悲しみは駆け足でやって来る 浜田 朱里
   




      若いとき特有の気持ちがうたわれている曲を、思い出しました。

            楽しいこともいっぱいあったのにね!
             と、不思議がっている、今のわたしです。










先生によるイジメ

2017年10月28日 | 思い出



     「先生によるイジメで子どもが死んだ」などと聞くと、胸が痛みます。
     先生にいじめられたことのない人でも、
     「そういえば」と、一つや二つ、先生との嫌なできごとを思い出すのではないでしょうか。

     先生も人間ですから、いつも「りっぱな保護者、教育者」の顔ではありえません。
     先生も人間ですから、
     ロボットのように、いつも同じパフォーマンスをするようにこころをセットすることもできません。
     
     何より、先生が「教える」相手は、やわらかい未熟な人間たちです。
     こちらも、いつも 機嫌よく、素直によく言うことを聞き、
     日々「すくすくと成長する」テレビドラマの中の子どものようにはいきません。
     自由に歩き回る足があるし、自由に飛翔するこころがあるのです。
     肉体は弱く、すぐにのどが渇いたり、お腹が空いたり、疲れたり、ドキドキしたり、
     胃が痛くなったりするのです。

     しかも、この両者を結びつけているのは、偶然の出会いに過ぎません。
     ある教師は、ある学校である時、偶然にAくんを教えることになるのです。
     ある子供は、ある時、ある学校に行き、偶然にB先生に、教えてもらうことになるのです。

     親と子どもも、ある意味偶然に「出会っている」のですが、
     親は、原則、赤ん坊の時からA君の面倒を見ています。
     ある意味、その関係は、「死が二人を分かつまで」続くのです。その関係は、
     もちろん、結婚より、宿命的です。
     たとえ、親に捨てられた子でも、「自分の親は、どんな人か。どこにいるのだろう」と思うでしょう。

     事実、子どものいない人はいても、親のいない子供はいないのです。

      ★★

     一生涯、関わり続ける、死んだあとでも関係性が残る親子関係に比べれば、
     学校における教師と子供の出会いは、ほんの短い期間です。
     よい思い出のある先生なら、末永く便りをやり取りしたり、年賀状を送ったりするでしょうが、
     卒業と同時に、「別れて、ヤレヤレ!!」の関係もあるはずです。

     その短い期間、その関係もある意味で、選べるのに、その間に、
     「死を選ぶ」ような出来事が起きてしまうのは、本当に、悲しいですね。


★ ★

     高校時代に亡くなったクラスメートについては、今でも、思い出すと自責の念にかられます、
     先生が、ホームルームの50分を全部使って、彼女を責めていた間、
     彼女が、激しく泣きじゃくっているのに、その非難と嘲笑とが混じった攻撃を緩めなかった間、

     すべての生徒が、なかばうつむいて、先生の「お説教」を聞いていたとき、
     どうして、手を上げて、「先生、もう十分ではないですか」と、言えなかったのだろう。

     その日、彼女は、選択科目の習字の時間後に、朱を入れられた半紙を丸めてゴミ箱に捨てていた、
     授業後、習字の先生がゴミ箱にそれを見つけて、私たちの担任に報告したというわけだった。
     「先生に手を入れてもらった物を捨てるとは、何事ですか。」と、言うのが説教の始まりだった。

     それから、延々と、私たちの「学びの姿勢」が咎められたのだった。
     時代が時代であったし、生徒は、先生の基準に達しなければいけないと、みんな思っていたし、
     達しないこともわかっていたので、
     さらに、その女性教師が、しばしば、だれかを標的に「つるし上げる」人だったので、
     その背後には、学校の権威や、
     その学校に在籍しているだけでも喜ばなければと思わせられる社会通念があって、
     まあ、なんとか無事、卒業しようと事なかれな気分が支配していた。
     先生の、基準に達しない自分が悪いんだ・・・!

      ★★

     それにしても、
     どうして、矛先が、自分でないことに安どするように、
     ただ、鉛筆でノートに小さな花を、描き続けていたのだろう。
     ほかの人はとにかく、
     私は、同じ中学校から行ったのだから、少しは彼女と親しく
     彼女が、中学時代とは別人のようにふさぎ込むようになっていて、
     何かの拍子に、「自分はダメだ。自分は価値がない」と書いていたのを知っていたのに。

     その次の日曜日の朝、彼女は、居住している町からはるかにはなれた、●●線の踏切で、
     電車にはねられて即死した。
     事故だと片づけられ、だれも、それに異を唱える人はいなかった。
     お葬式は、今日のような雨の日で、寒くなりはじめたころだった。
     ほとんど全校生徒と、すべての教職員が参列した。



          
     



落差

2017年10月10日 | 思い出


     なぜ、こんなことを思い出したのだろう。
     もう何十年も昔の浅丘ルリ子さんへのインタビューである。

     それも、その部分だけ。

     インタビュアーが、ルリ子さんに、「家にいる時は何をしていますか」と尋ねていた。
     ルリ子さんは、「家を片づけている。私は片づけ魔なの。いつも片づけている」と答えていた、


     ことばづかいの細かいところは、少し違うかもしれない。
     けれども、私はとても印象に残ったのに違いない。

     あでやかで、上品な「はっすぱさ」が魅力の女優さんだった。
     当時の日活の女優さんの、だれよりも華やかだった。
     片づけなんかと縁がない「妖精」に見えた。

     それで、印象に残ったんだね。

      

     先日、石坂浩二さんのインタビューをテレビで見ていた。

     インタビュアーが、彼の過去にかかわりのあった女性について尋ねていた。
     それは、はっきりと、浅丘ルリ子さんのことを指しているのではなかった。

     しかし、女優とのプライベートの時間を聞かれて、石坂さんが言った言葉で、
     一つだけ、印象に残った、

     「落差ですね」

     これも、私の中で意訳しているかもしれないので、ひょっとして違うかもしれない。


     女優さんでなくても、個人的な時間を共にするとき、当然、
     社会的な顔との間に落差があるのだけれど、

     私は、この言葉を聞いたときに、数十年前のルリ子さんの「片づけ魔」を思い出した、

     「家にいる時は、いつも片づけている」なんて、
     ある意味、素敵な女性だけれど、
     その落差が、彼女のイメージこわしたのでしょうか。

     「家のこと、なんにもしないんだよ。やはり、野に置け、レンゲソウだったよ」

     そんな風に言われる、美しい人がいたけれど、
     どちらがいいのでしょうか。
     とくに、男性にとっては。