ちあの散歩道

輝いてアラカンヌ☆ありがとうの言葉を添えて暮らしのドアをそっと開けると今日も豊かな感動と新しい気づきが待っています。

『ねじまき鳥クロニクル』(村上春樹著)

2010年11月30日 | 本など
村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』1、2巻をようやく読み終わりました。
あとは3巻を読むばかり。
付箋を貼らないで、純粋に読書を楽しむという決意をして、読んだ最初の本がこの本です。
良い本に巡り合えたことに喝采、感謝です。

順番に読み進み、どこを開いても小説でありながら珠玉の言葉の数々。それらを静かにやり過ごしながらただひたすら活字を追って行くことの歓びと楽しさと深さ。
いまだからこそ、この本が面白いと言えるかもしれないと、遅れて来た私の読書の世界の楽しみに浸っています。

本の内容や感想をだれに説明する必要もない解放感。
あえて言えば、自分が納得し、共感し、不思議がり、ときには物語りが錯綜し理解不能になることがあっても、それらすべてが著者が読者に仕掛けた出来ごとであり、著者の思いや計算をはるかに超えるものかもしれないと感覚で知って行くワクワク感。理屈でもなく言葉でもなく理論でもなく評論でもなく、右脳にストレートに働きかける快感。書き手と読み手の際限のないコラボレーションが書かれている言葉を通して、毛穴からジワジワと沁み込むように、です。
登場人物のある場面では主人公その人になったり、また別の場面では主人公をとりまく脇の人になったり、自分の生と自分の過去や今と重ね合わせることの幾重にも練り上げられた数々の場面をあるときはヒョイヒョイと潜り抜け、あるときはドキリとし立ち止まり、あるときは感傷に浸るよろこび。

本を読んでいるその時間をどれだけ楽しめるかが読書の醍醐味と言った方がいましたっけ。
本当にその通りです。
あらすじなんて説明できないし、あらすじの底に沈んだものの大きさに気づいた時、まるで説明できないけれど涙をこぼしてしまった音楽ホールでのコンサートのときのような思いだけが残ります。
『生(なま)』というキーワードが読書そのものにも在ると自覚した「ねじまき鳥クロニクル」の、3巻を今夜からまたゆっくりと読み始めることにいたしましょう。

「ねじまき鳥さん」、よろしくね!!

赤い実

2010年11月30日 | 道・あるく など


落ち葉を掃いている人に、道を尋ねました。
その人は答えました。
「ここからは、まだ5キロくらいありますね。この道をまっすぐです。
近くになったら、花ミズキの赤い実がいまきれいですよ」と。

その人の口から出た、一瞬のさりげない言葉。
言葉は人柄をあらわし、生活をあらわすものなのですね。

呼ばれなかった!!

2010年11月29日 | 道・あるく など






ときどきは、少し長距離を歩きたいと思っている私。
今日は、海から川へとつながる道を川沿いに上って歩きました。

家を出るときにする私ともうひとりの私との約束。
「今日は、どれくらい歩くの?」
「そうねぇ……、花島観音まで歩きたい」

川にはたくさんの橋がかかっています。





川べりはサイクリングロードが完備され、歩いている人や走っている人、自転車の人など
たくさんの方とすれ違いました。



海から離れるにつれて川幅は少しずつ狭くなり、川のそばの市有地に畑を作る人が増えていきます。
本来は葦が茂る川との境界。
ここを耕し、肥料を与え、農薬を散布することによって、生態系が変わっていると嘆く人に遇いました。周辺に民家がないことから、どこからか通ってくる“畑をつくる人”。
空き地に自給自足の野菜を作る……そこまでは、こんなご時世、許されるかも知れないけれど、無農薬、無肥料と言うわけにはいかないとすれば、問題も大きいです。川に流れ出る有害化学物質。
見る限り、丹精のたまもののような青々とした「立派な野菜」がたくさん生っていました。

平坦なサイクリングロードを川に添ってずっと上って行った先に「花島観音」があり、私の今日の目的地です。
ところが、あるところまで来たところで「行き止まり」の看板。
先日の大雨で道が崩れ、大きく迂回するしかないことを知らされました。
その時点で15000歩を歩いていたのと、日暮れが近くなったことから、目的地までを断念し、里山の広がる風景を眺めながら、川に背を向け、車道を目指しました。

 
 

まだ残っている里山風景。市街地の中の一角です。
里山を抜けると、よく知っている団地に出でびっくり。道はつながっているのですね。
そこからバスに乗り帰宅。

「今日は呼ばれなかったんだわ……花島観音さまに」、と思いつつ、目新しい風景が広がる川に沿った場所をたくさん歩き、私が私にしたかなり長距離を歩くことは守れたので、よかった!!!
途中で歩き疲れて歩くことを止めても、誰にも文句は言われないけれど、私は私との約束を出来る限り守りたい、これからも。

「花島観音」さまには、きっと近いうちに呼ばれることを信じて~~。



ばかものよ

2010年11月29日 | 本など



◆「自分の感受性くらい」 茨木のり子詩集より

…………………………………

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難かしくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
・………………………………・

「ばかものよ」と言う、私に投げかけられている直球のことば。




繊細なゼラニウム

2010年11月28日 | 自然 花や風景など


夏に買ったゼラニウムの1種が咲きました。
小さな小さな5弁の花びら、長さが1センチにも満たないほどの繊細さです。
赤紫のしっとりとした深い色合いが気に入っています。
すっかり花の気配を忘れていた今朝、ベランダでひっそりと咲いていました。

薔薇のような華やかな花と、今日のゼラニウムのようなはかなげで華奢な花と、
どちらもいいけれど、私はやっぱり繊細で華奢な花がいいかな。
人はいくつになっても、野太くなれないことってあるのですよね。


見える?

2010年11月28日 | 心・健康・癒し



抜けだした先には何が待っているのかしら……。
より私らしい私が……ね、きっと。
見える?

光が見えている。
もうすぐ。もう一息。こっちよ。こちらにいらっしゃい。
戻ってはいけない。前に進むだけ。
私のハイヤーセルフが手招きしている。


柿のお菓子

2010年11月27日 | おいしいもの



柿のお菓子をいただきました。
「源吉兆庵の干柿・粋甘粛」です。
いつの頃からか、お菓子やケーキは自分ではあまり買わなくなりました。
干柿1個をまるごとお砂糖でまぶし、中には白あんが入っているこの美味しさ。
品のよい甘さと干し柿の風味が絶妙で、口の中に福が広がります。
今度は私がどなたかへのプレゼントに用いたいと思います。
美味しいものもくるくる廻ります。


ツワブキ

2010年11月26日 | 自然 花や風景など


決まった場所に、決まった時期に咲く花、ワタシのツワブキ。
ツワブキが咲くと、思い出すことがあります。

可愛らしい花でありながら、どこか野生の強さを感じさせます。
昨夜から今朝にかけて降った雨に洗われ、新しい朝の日射しを浴びて、
初々しく光っていました。

還り来て1歳

2010年11月26日 | 心・健康・癒し



数日前、還暦+1歳の誕生日を迎えました。
病弱だった私が、この齢まで生かされたことへの感謝。

この数年間、どちらかというと閉じて生きることを旨として過ごしました。
そしてその暗闇の箱がぽっかりと割れて明るい光が急に射してきたようなこの数日。
私は暦が還って0歳から新たな1歳を迎えました。
閉じて来たがゆえに、誰にも誕生日を告げず、ゆえにその日も何事も無く過ぎて行くものだと信じていました。それもまたよしと……。

ところが、数日前からメールが届き始め、ずっとご無沙汰していた旧知の方からお祝いのメッセージをたくさんいただきました。中にはカードやメッセージの他にコンサートのチケットや宅配でお祝いを送って下さった方もいて、それを開封もせず、訝しげに眺めている醒めた私がいました。
何なんだろう?この現象は……なぜこの人たちは私の誕生日を知っているのかしら?と、静かに淡々とそれらを見つめ続けました。
究極は、高校時代の一番の仲好しだった故郷のキョウコちゃんから数年越しの突然の電話。「まあ!!!お元気だった?」と声を出すと、「今日、お誕生日でしょう!!おめでとう!!」と。
もうびっくり。宅配の受け取りやそれやこれやで、午前中をあわただしく過ごし、外出の予定が遅れてしまうほどでした。

その後もドラマチックなことが続き、私が興味を持っていた講演会のチケットのプレゼントを受けたりで、いよいよ私の覚醒のときが来たのかと……(ちょっと大げさ?)思うほど不思議なことが次々と起こり続けました。

まだお礼のお返事を書けていない方も数人。気持ちが落ち着くまでもう少しお待ちください。
皆さま、本当にありがとうございます!!

きっときっと、これからの私の進むべき役割が明確になったのだと思います。
何かが変わったわけではなく、変わったことがあるとしたら、私の思いや気持ちが、機が熟して勝手に動き始めたといった感じ。ひとつ脱皮した新しい自分がそこに立っています。
ス~ッと、まるで地上から円盤が垂直に浮上して飛び立つように、新しい世界が拓けてきました。
楽しみな日々が始まりました。

がんばらない、競わない、そして自然体で、その中からより私らしく生きていける術が授けられたような不思議な数日が過ぎました。
「泥中にあれば花咲く蓮華かな」……泥田の中を歩くことを避けたり恐れたりしないで、一歩前へ。


拍手鳴りやまず

2010年11月25日 | 映画・芝居・芸術など


神楽坂にある「まんじゅうカフェ麦丸2」の6周年オープン記念企画イベント
「麦丸」ファンの私はさっそく申し込み、当日の23日行ってきました。

「ザ・ピーナツ」ではなくて、今さら「こまどり姉妹」?と訝しく思いながら、「麦丸」の仕掛けには時代を感じる何かがあるはずと。流行歌にも歌謡ショウにも関心はなかったけれど、この時期の「こまどり姉妹」には興味がわいたということと、土着的演歌の世界に浸ってみるのも今の私にはいいかもと。



「シアターイワト」の会場は超満員。100人のところを130人くらい?もっと入っていたかも。
私は前から4番目の席に座ったけれど、一番前に座ればよかったと始まってから猛後悔。



前座が長かったけれど、いよいよ「こまどり姉妹」の登場となったときの拍手のすごさ。
楽団演奏のあとの前座を務めた男性はこの拍手をきいて同じ舞台人の悲哀をかみしめたのではと思われるほどの割れるような拍手。こういう部分は世の中リアリティがはっきりしています。

「メークに4時間半かかったんですよ。ぜ~んぶふたりでやっているもんですからねぇ……客席が近いときいていたんですけど、こんなに近くては厚塗りが目立つわねぇ」と、まるで砂かぶりのような前列を見て笑わせながらも、伸びた背筋に教えられるものが多かったです。きみまろさんといい線いくセリフまわしはさすがのキャリア。抜けていますねぇ!!
齢をとっても変わらない衣装と変わらないメーク、そして舞台人の根性、凄かったです。
舞台が終わってからの熱気と喝采はしばらく鳴りやまず、会場のみんなが苦労の多かった「こまどり姉妹」にエールを送っているようでした。

何事もその場まで自分の足で歩いて行かないとわからないことがいっぱい。だから人生面白いのかもしれません。

「麦丸」が6年経ったんだ~と、神楽坂界隈を歩いていてオープン間近の頃、飛び込んだ私にも感慨深いものがあります。麦丸ジャンクアートが大好きな私。当初は空いていた店内も今や混み合っています。
6周年、おめでとうございます!!!
こまどり姉妹への拍手と麦丸への拍手が重なって耳に届いた一日でした。