「ちあ」51号が出来た。
この6月号から、創刊6年目に入る。
大海に漕ぎ出した笹舟のように小さな小さな存在の「ちあ」。たくさんの方たちに支えられて今がある。
50号から51号へと跳べたのは、本当にうれしい。
未来を見つめることなどとても出来なくて、いつもいつも次号をばかり見てきた。今もそれは同じ。
ただ、50号のときにはまったく見えなかった何かが、51号では鮮明になってきた。まるでゆでたまごの殻がぷるりとむけるように、ぴょんと跳べた。
跳べたから何かが変わるわけでもないけれど、着地した先に、「また1からスタート」、そんな決意が漲ってきた。
しあわせとは、瞬間瞬間が充実していて、内からも外からも侵されないもの……
こんなふうに考えると、今のわたしはしあわせだなあと思う。
「ちあ」に出て下さる方たちの一生懸命を思うと、ものぐさなわたしも、その仲間に入りたいと思う。
「ちあ」のことを、わが子をみつめるようにときどき呼ぶ。「ちあちゃん!」と。
「ちあ」が取り持ってくれたご縁は測り知れない。大切にしていきたい。
きのうの雨が、お昼過ぎには上がって、晴天になった。
ポスティングの傍ら、夕方は、築45年の長屋「ひびき荘」のなかにある「ひびきガーデン」を「視察」、カモミールの白い花が揺れるハーブが植えられたうなぎの寝床のような庭を縁側に座って眺めながら、隣家との塀の先に広がる青空を見上げて休息。街の一角に時代から置き去りにされたように残されたレトロなスポット。ここに、「ひびき」のボランティアのたくさんの方たちの手が入れられていて、わたしの大好きな場所のひとつである。
この6月号から、創刊6年目に入る。
大海に漕ぎ出した笹舟のように小さな小さな存在の「ちあ」。たくさんの方たちに支えられて今がある。
50号から51号へと跳べたのは、本当にうれしい。
未来を見つめることなどとても出来なくて、いつもいつも次号をばかり見てきた。今もそれは同じ。
ただ、50号のときにはまったく見えなかった何かが、51号では鮮明になってきた。まるでゆでたまごの殻がぷるりとむけるように、ぴょんと跳べた。
跳べたから何かが変わるわけでもないけれど、着地した先に、「また1からスタート」、そんな決意が漲ってきた。
しあわせとは、瞬間瞬間が充実していて、内からも外からも侵されないもの……
こんなふうに考えると、今のわたしはしあわせだなあと思う。
「ちあ」に出て下さる方たちの一生懸命を思うと、ものぐさなわたしも、その仲間に入りたいと思う。
「ちあ」のことを、わが子をみつめるようにときどき呼ぶ。「ちあちゃん!」と。
「ちあ」が取り持ってくれたご縁は測り知れない。大切にしていきたい。
きのうの雨が、お昼過ぎには上がって、晴天になった。
ポスティングの傍ら、夕方は、築45年の長屋「ひびき荘」のなかにある「ひびきガーデン」を「視察」、カモミールの白い花が揺れるハーブが植えられたうなぎの寝床のような庭を縁側に座って眺めながら、隣家との塀の先に広がる青空を見上げて休息。街の一角に時代から置き去りにされたように残されたレトロなスポット。ここに、「ひびき」のボランティアのたくさんの方たちの手が入れられていて、わたしの大好きな場所のひとつである。