ちあの散歩道

輝いてアラカンヌ☆ありがとうの言葉を添えて暮らしのドアをそっと開けると今日も豊かな感動と新しい気づきが待っています。

「ちあ」51号

2005年05月31日 | Weblog
「ちあ」51号が出来た。
この6月号から、創刊6年目に入る。
大海に漕ぎ出した笹舟のように小さな小さな存在の「ちあ」。たくさんの方たちに支えられて今がある。
50号から51号へと跳べたのは、本当にうれしい。
未来を見つめることなどとても出来なくて、いつもいつも次号をばかり見てきた。今もそれは同じ。
ただ、50号のときにはまったく見えなかった何かが、51号では鮮明になってきた。まるでゆでたまごの殻がぷるりとむけるように、ぴょんと跳べた。
跳べたから何かが変わるわけでもないけれど、着地した先に、「また1からスタート」、そんな決意が漲ってきた。

しあわせとは、瞬間瞬間が充実していて、内からも外からも侵されないもの……
こんなふうに考えると、今のわたしはしあわせだなあと思う。
「ちあ」に出て下さる方たちの一生懸命を思うと、ものぐさなわたしも、その仲間に入りたいと思う。

「ちあ」のことを、わが子をみつめるようにときどき呼ぶ。「ちあちゃん!」と。
「ちあ」が取り持ってくれたご縁は測り知れない。大切にしていきたい。

きのうの雨が、お昼過ぎには上がって、晴天になった。
ポスティングの傍ら、夕方は、築45年の長屋「ひびき荘」のなかにある「ひびきガーデン」を「視察」、カモミールの白い花が揺れるハーブが植えられたうなぎの寝床のような庭を縁側に座って眺めながら、隣家との塀の先に広がる青空を見上げて休息。街の一角に時代から置き去りにされたように残されたレトロなスポット。ここに、「ひびき」のボランティアのたくさんの方たちの手が入れられていて、わたしの大好きな場所のひとつである。

晴れオンナの念力、届くか!

2005年05月30日 | Weblog
いよいよ5月も明日で終わり……
ほとんどお天気は気にしないで通常は動いているが、月末の一日だけは、どうか晴れてくださいと念力をかける。
月末の「ちあ」が届く日は、たいていは晴れる、と信じてあまり外れたことはないけれど、こればかりは天の神様にお任せするしかない。明日から2~3日は、ポステイングオバサンへと変身する。体脂肪が減るのが楽しみである。そして、配りながら、住宅地の道筋に植えられた花を眺めるのも楽しみのひとつ。
健康に歩けることにも深く感謝、歩きながら、配りながら、様々なことが不思議と頭をよぎるのはなぜだろう……。「ちあ」を配ることは、わたしの仕事の原点。毎月毎月、自分の持分を配ることで、原点に立ち帰れるのは本当に有り難い。

花、そして絵画と人と……

2005年05月29日 | Weblog

今日は、午前中、月に一回行われる「華飾人よしむら」の吉村さんが行っている「レストランレッスン」に参加した。レストランで花のお稽古をしたあと、お食事を共にするというスタイルで、もう100回以上つづいているらしく、月一回のプログラムなので10年以上になるとか。
わたしも、参加させていただくようになって、まだ日が浅いが万難を排して参加している、と言ったら少し大袈裟かな。でも、そんな気持ちで楽しみにしている。
都賀にお店を開いて3年になるそうで、『今日のレッスンは、ぼくの好きな花材で組み立てました』と、言われる通り、吉村さんのこだわりが随所に見えるお花の取り合わせに本当に満足。花の名前が覚えられなくて、花材となった素敵なひまわりや可愛く個性のある花たちをお知らせできないのがザンネンです。
月に一回のこのレッスンが楽しみで待ち遠しいし、玄関に花を飾ると、外出先から帰ったときなど、花の気を家中に感じてうれしくなります。

午後は、西千葉の「山口画廊」に友人ご夫妻をご案内。
今、「牧野宗則木版画展」をやっていて、「木版画が大好きなのでぜひ観たい!」と、メールが入り、同行することになった。
「久遠」「祈り」など、大らかで深く眼差しのやさしさを感じる版画に引き寄せられた。
 (写真は、牧野宗則版画「夢明かり」(1986))


「華飾人よしむら」の吉村さんと、「山口画廊」の山口さん、お二人とも仕事上、ご縁をいただいた方であるが、ご自分の仕事に対する選択眼とこだわりは、花と絵と扱うものは違っても、いつもいつもいいなあと感動してしまう。

「山口画廊」で今行われている牧野宗則氏にも、昨年画廊でお会いしたことがあるが、本当に誠実で謙虚な方で、お話の端々に、制作に向かう真摯な姿と生き方を感じ、あらためて尊敬の眼差しでお目にかかったのを思い出す。
同行の友人は、北斎、広重、写楽と、造詣が深く、山口さんとも話が弾んだ。木版画家牧野氏から観た写楽論なども山口さんを通して語られ、奥深く、直接牧野氏からきいてみたいと、興味がつきなかったよう。お連れできてよかった!!!

趣味いろいろ

2005年05月28日 | Weblog

友人に、「趣味は?」と訊ねたら、「映画を見ること、美術館めぐりをすること、公園に行くこと」と応えてくれたことがあった。
本のことや映画のこと、果ては今咲いている花のことなど、ほんとに詳しくて、無学なわたしはいつもいろいろと教えてもらうことが多い。
友人のライフスタイルは、まさにスローライフを地で行っているなと感じることが多い。
季節の変化を知りたくて、お茶とおにぎりを持ち、小石川植物園などにもよくひとりで行くらしい。この「ひとりで」というのがなんともかっこいい。

そんな友人の案内で、泉自然公園に行った。
千葉駅からバスで行った。片道520円也。東京までの電車賃とあまり差がなくて、ついつい、東京の方に出てしまうことが多い、などおしゃべりをしながらも、近場でこんな豊かな緑に出逢えることは何ともうれしくて、心が弾んだ。

5月も後半を迎えたというのに、少し肌寒い。しかし、木々の中を吹き抜けてくる風の香りがさわやか。
公園の入口で、馥郁とした香りの洗礼を受け、あたりをキョロキョロしていると、「あっ、オガタマの花が咲いてる!」と友人が叫んだ。花に顔を近づけて見ると、バニラのような何とも甘い香りにうっとり。
調べてみると、「オガタマは招霊(おきたま)が訛ったもので、この木は古くから神事に使用され、主に神社に植えられる。」とある。
公園の入口に植えられていたのには、招霊の由縁に因んだのかしらと考えると、ちょっとうれしい。

公園の緑の中を歩くと、少し時期が遅いかなあとも思いながらもいくつかの花木を見つけることができ、それにも気持ちがときめいた。
大きな木の柔らかい葉っぱの先に、ひっそりと目立たない若緑色の花をつけている木に幾本も出会った。
「若い頃には、木の先にまるで葉っぱと同化しているように、主張することなくひっそりと咲いている同系色の花には気付かずに過ごしてしまったわね」と、友人と語り合いながら、愛しくしみじみと眺めた。

桜の季節が終わって一段落すると白い花の競演が始まり、この白い花が何とも清々しい。
おおでまりの花は終わりに近く、かすかにその面影を残していたけれど、ほうの木、ガマズミ、ウツギ、エゴの木、イヌシデなどが緑に包まれるように咲いていた。ノイバラも満開(写真)。

野草では、なるこゆり、一人静などを見つけることができた。

日常の中に、意識してこんな贅沢な時間を作るようにしよう。
どんなときも、自然は様々なことを教えてくれる。
公園内に廻らされた土の道を歩く快さ。それだけでもかなりリフレッシュできるのがうれしい。

今度は、思いついたときにひとりで来ようかなと考えたりする。
数年前、人に連れられて、巨樹めぐりをしたことがあった。そんなときも、ひとりで、ゆっくりと時を堪能している女性によく会った。
自然の中だけでなく、カフェでもランチでも、連れ立つことなく一人で歩いている女性は総じてかっこいいなと思う。
泉自然公園を案内してくれた友人も、マイペースの一人歩きが多いらしく、自分のリズムで動いているその暮らしぶりも含めて、かっこいいなと思う。
たくさんの時間もお金もないけれど、好きなことに時間を使い、生活を楽しむことをモットモットやって行きたいな……。



バラが咲いた~

2005年05月26日 | Weblog

ベランダで育てているバラが咲いた。
昨年から始めたベランダガーデン、小さな庭ながら、今年の花たちは、なかなか優秀。写真のバラは、オールドローズに憧れて去年の3月街の花屋さんで買い求めたもの。去年は咲いてくれなかったので、どんな花なのか定かではなかったけれど、今朝ベランダに出てみたら、忽然と咲いていた。花の色といい、大きさといい花びらの雰囲気といい、わたしの好みにぴったりでうれしくなった。
「ようこそ!お花ちゃん!」と、バラの花に語りかけた。

他に2センチ位の小さくてしべが黄色の野生に近い一重の真っ赤なバラと、淡い紫のこれは八重の花びらを持った可愛いバラと、一気に花が咲いていた。
どうやら、我が家には華やかな大輪のバラは不似合いで、素朴で初々しい花たちが育ってくれたらいいなと願っているが、願いどおりのベランダへと近づいていくのがうれしい。

種を蒔き、水をやり、慈しんで育てたモノたちが、思いに応えてくれ、花を咲かせて行くのは、どんなシーンでもうれしい。
いまを見つめることも大切だけれど、花の咲くときや実のなるときを想定して、物事を考えていくことも大切なことである。
「それでも、わたしは、りんごの木を植える」、わたしの好きな言葉である。
柳田邦男さんの書かれた本の、末期がんに侵された人たちの、取材記事の中にあった言葉だと記憶しているが。

76歳になるわたしの師は、現役を退き、過疎の村に戻って、農業に勤しむ生活を送っているが、今年しょうがの苗を5000本植えたと便りが届いた。しょうがを育てるのははじめてだけれど、イノシシ対策として、イノシシの嫌いなものを植えてみようと思いついたそうな。
もうとっくに“ご隠居さん”になってもいいのに、まだまだいろいろのことに頭を使い、身体を使っている師のことを思うと、負けられないなと思う。



パソコンのこと、あれこれ……

2005年05月26日 | Weblog
きょうは、「トライワープ」の虎岩さんに会った。

トライワープは千葉大生が中心となったパソコンサポーターズであり、パソコンのことなら何でも気軽に相談できる頼もしき助っ人集団である。わたしたちおばさん、おじさんは、その存在そのものを感動の眼差しで見つめている。
もちろん、パソコンに関する事業団体であり、教えを請うたり、パソコントラブル発生でその解決をお願いしたときなどには、当然その代価を支払うことによって、彼らの事業を支えることになる。

よほどの人でない限り、パソコンは使いこなせても、トラブルが発生したときには、その対応に戸惑い、瞬時に途方にくれてしまう。
「車の運転はスイスイ出来ても、エンジントラブルには対応できない」のと同じで、そのときは、専門の方を呼ぶしかない。
町の中に、車の修理やさんはたくさんあるけれど、さてさて、パソコントラブルが起きたときには、だれにどのようにSOSを出していいのかわからない……と、こんな不安を抱えながら、パソコンと向かい合っているわたしたち。
その不安を見事に払拭してくれる「トライワープ」の存在を、きょうは皆さんにお知らせします。
トライワープに電話をすると、音声案内なんてことはなく、必ず話のわかる大学生が電話に出てくれるだけでも、ホッ、ですね。すぐに駆けつけられるよう、いま原付バイクを譲ってくれる人も探しているみたい。

一口株主ならぬ、一回オーダーで、彼らと仲良くなる方法もありますよ。
自分のために、家庭教師を雇う感覚もいいかもネ。
パソコンで行き詰まっているおじさん、おばさん、いませんかぁ~~~

きょうは、オモシロイ人にも会いました。
「いまどき、パソコンを活用しないなんて、クルマ社会の現在の道を、馬車で走っているようなものですよ~」と。う~ん、なるほど、言いえて妙ですねぇ!

パソコンは、世界に窓が開いている道具です。使い方は千人千用……。上手に使いこなせば、かなりの力になってくれますよ。

一路伊那へ

2005年05月25日 | Weblog

「今日しか休みがとれない」という知人を案内して、一路伊那へ……
昨日は、朝6時に家を出て、帰り着いたのは深夜11時を回っていた。片道4時間に及ぶドライブである。運転の出来ないわたしは、助手席に収まるしかない。
全国でも有数のパワースポットのある長谷村をめざしてのドライブ紀行である。

いつもは、高速バスを使っているが、今回は日帰りで、やや強行軍であったが、なんとか無事に家に帰りついた。
そんな思いまでして、なぜそこに身を委ねたいのか……、それは自分でもよくわからないけれど、なんだか、その場に馳せ参じて、美味しい空気をいっぱい吸いたくなってしまう。わたしの唯一の贅沢な時間である。

車窓から眺める景色は、ちょうど1ヶ月遅れのようで、道中、八重の遅咲きの桜もまだ咲いていた。
芽吹いてほどない緑の木々の初々しさに山が染め上げられ、冬に訪れたときは、杖突峠の落葉松の木々が、敷き詰められた雪の中に整然と枯葉色の幹を並べていたけれど、今は、やわらかく豊かな緑の下草に囲まれて、木々もまたいっぱいの葉を湛えていた。

静かに耳を澄ますと、鳥の声がかすかに聞こえた。大らかな自然の中で、生命が躍動している。




作家・松下竜一さんのこと

2005年05月23日 | Weblog
作家・松下竜一さんが亡くなって6月で1年になる。
6月に行われる「第一回竜一忌」の案内が、「草の根の会」梶原さんより届いた。

昨年8月に行われた「松下竜一を偲ぶ会」には、松下先生の死が受け入れがたく、欠席した。
「松下竜一追悼文集」にも、文を寄せることが出来なかった。松下さんの死という不条理に抗っていたのだと思う。

今年行われる「第一回竜一忌」には、参加しようと思う。
松下先生が生涯を過ごした大分県中津市で行われる。

作家・松下竜一のことを知る人は多くないが、わたしは、昭和を代表するノンフィクション作家のひとりだと思っている。
第一、生前に河出書房新社より「松下竜一 その仕事」全30巻が出るなんて、松下先生は作家冥利に尽きる人である。

松下さんが脳出血で一昨年6月に倒れられるまでの3年間、わたしは、3回松下さんに会った。
3年間の間に届いたはがきは5通、手紙は43通になった。
「気をつけないとお通夜のような会になりますよ。松下先生は無口な人ですから……」と、事前に先生の親しい人から注意を受けていたにもかかわらず、わたしが50歳の記念に来ていただいた会では上機嫌で声を上げて大笑いをされ、あとで参加者から、「何を話して、先生はあんなに笑われたのですか?」と、たずねられたほどである。

「ちあ」を創刊したときにも、真っ先に誰よりも早く、松下さんからはがきが届いて感激したのを思い出す。
この1年間、松下さんが生きていて下さったらと、何度思ったことだろう。
大切な人を喪って、茫然自失の日々を送った。「きっと先生ならわかって下さる……」「きっと先生なら喜んで下さる……」「きっと先生なら励まして下さる……」、と、そんな日々を1年間送ってきた。
不出来な一読者ながら、わたしは、作家松下竜一にラブレターを送り続けた。

そして送り主を喪ってしまったこの一年間の思いを、松下先生の近しき人たちと語り合いたいと思う。

あ・れ・れ……

2005年05月23日 | Weblog
 
トラブルが発生して、アップされなかったと思って、気を取り直して書き直したら、何故かアップされていた……削除の仕方がわからなくて、……こんなコメントを書くはめに。

年齢を明かさない女性(ひと)

2005年05月22日 | Weblog
不用意に、他人さまの年を訊いたりはしないけれど、会話が弾んで、同世代感を感じたときなどついつい「おいくつですか?」と訊ねるときがある。そんなとき、すかさず「いくつに見えますか?」と逆に訊いてくるひとがいる。
こんなときは、あ~あ、と内心ため息をつく。興ざめである。「いくつに見えますか?」とたずねられて、感じたそのままを申し述べるなんてもってのほか……。同性と言えども用心が必要である。
今日まで生きてきた年輪をたずねられて、なぜ即答できないのだろうかと、いつも訝しんでしまう。
何より、今まで弾んだ会話の腰を折られているようで、思わず、先様の顔をまじまじと眺めてしまう。
自分の年を言うということは、今日までの日々を慈しんで生きた証しでもあると思うのに……。

自分の年齢を、きちんとした会話の中で訊ねられて、即答できない女性を、わたしは基本的には信用しないことにしている。

今日の朝日新聞に「信濃デッサン館 資金難で閉鎖へ」「『夭折の画家』作品収集 館主の窪島さん『分館の無言館に集中』の記事が大見出しで出ていた。

「信濃デッサン館」と「無言館」を二度ほど訪ねたことがある。
信濃デッサン館の外庭で、前方にそびえる山々と広がる塩田平の景色をコーヒーを飲みながら堪能したが、絵画に疎いわたしは、入館料を払って収蔵されている絵に触れる事をしなかったのが悔やまれる。心地よい風が通るツタの緑に囲まれた小さな美術館は、まるで喫茶店を見つけたような感覚でカフェ代わりに利用し、無言館へと急いだのを思い出す。

「無言館」は、戦没画学生の絵を収集し、展示している。
まるで、教会の十字架を置いたように設計されている無言館は、中に入ると、ライトダウンがなされ、目を凝らして鑑賞しないと展示の絵が見えないほどであった。絵の痛みが激しく強いライトを当てられないのと同時に、志し半ばで戦争のため、絵筆を折った画学生の鎮魂の祈りを演出しているようでもあり、あちこち鑑賞者の中からすすり泣きの声が聞こえてくる中での鑑賞は忘れがたく心に刻まれている。
「無言館」を知り、作家水上勉氏と無言館館主、窪島誠一郎氏がおたがいに捜し求めながら30数年間、父子である事を知らなかったいきさつなど、まさに「事実は小説より奇なり」を地で行くようなドラマチックな水上氏と窪島氏の人生の展開も、無言館からたぐり寄せることが出来て、それにまつわる読書の楽しみを満喫したものである。。

最近、テレビに出た窪島氏は、番組の中でこう語っているのが印象的であった。
「戦没画学生の絵は、生きていたら大成したであろうことを彷彿とさせるものもあるが、果たして生きていても画家としては生きられなかっただろうと思われる未熟な絵も多いが、未完のまま、筆を置いて戦場に駆り立てられた画学生たちの、一枚一枚の残された絵は、無言館というひとつの美術館に収蔵することによって、共鳴しあい、光を放ってくる」と、こういう意味合いの言葉を述べられて、深く心に染み込んだ。

上田駅からバスで25分、そこから徒歩20分くらいの美術館は、小さな旅のオススメコースです。
無言館は、入館料や、カンパで運営されていますので、ぜひ一度お訪ね下さい!