ちあの散歩道

輝いてアラカンヌ☆ありがとうの言葉を添えて暮らしのドアをそっと開けると今日も豊かな感動と新しい気づきが待っています。

「博士の愛した数式」 (テレビで観賞)

2009年01月31日 | 映画・芝居・芸術など
映画「博士の愛した数式」がテレビ放映され、画面に釘付けになりました。
映画館で観そびれた私は、テレビでとはいえ、大満足しました。
登場人物も少なく、静かで情感にあふれた画面と、博士を中心にした淡々と織りなされる会話の優しさと豊かさは、心に真っ直ぐに沁み込みました。

観終わったあと、映画情報をネットで調べていたら、「博士の愛した数式」は、「阿弥陀堂だより」を撮った小泉堯史監督だとわかり、なるほどと一人納得しました。
「阿弥陀堂だより」もとてもよい映画でした。「雨あがる」も観ていないなあとちょっと残念な思いを抱いています。

一本の映画を映画館まで足を運び、観る努力を怠ってはいけないなあと、最近やや何事にも怠惰に流されがちな私は深く反省しました。
いい映画はたくさんの示唆に富み、勇気をもらい、ずっと心に残り、生きていく上でのヒントが物語やその中の背景や言葉の中に散りばめられているのですね。

1月も今日で終わり、駆け足で過ぎ去って行きました。
2月になると、寒さの中にも「春」を実感する日々が訪れます。
寒さに縮こまっていないで、そろそろ動き出さなければと思います。





日々

2009年01月30日 | 生活・暮らし・家事など


今日は一日雨でしたが、乾燥した日が続いていたのでよい湿度の補給になったようです。
出掛ける準備をしながら、雨に阻まれて結局は出掛けないまま家の中で過ごしました。
仕事をしていた時には、少々の暴風雨でも外出したことを思えば、雲泥の差があります。今日の雨はとても静かな雨にも拘わらず、です。少し怠慢ですね。
気ままに本を読んだり、ラジオを聴いたりしながら、のんびりと過ごすことのできる今の日々を感謝しています。


黒田オサムパフォーマンス

2009年01月29日 | 映画・芝居・芸術など
黒田オサムさんのパフォーマンスのご案内です。

●2009年2月11日(水・祝)
 開場15:30 開演16:00
 会場:中野テレプシコール
 前売り2000円、当日2300円です。

詳細はフィリア・プロジェクトホームページインフォメーションに詳しく紹介されています。チケットのお申し込みもこちらからできます。

昨年11月の横浜に続き、黒田さんの77歳の喜寿のお祝いのためのパフォーマンスイベントです。
今回は・ホイト(乞食)芸と・アナーキスト大杉栄と・トークと3部構成で盛りだくさんです。
とても77歳とは思えない柔らかな身のこなしなど、いつも淡々とそして飄々としている黒田さんの演者としての凄さに驚くことがいっぱいです。
私も友人たちを誘って楽しみに出かけたいと思います。


拾ったモノ

2009年01月27日 | モノ・雑貨・道具


歩いていると落ちているものを拾うことがあります。
写真の“モノ”も道に落ちていたものです。
一瞬通り過ぎ、そして後戻りして、深々と見つめ、拾い上たモノは、さあここからがオブジェとしての彩を放つから不思議です。
長さが5㌢くらいの小さなモノでおまけに薄汚れていますが、一体何に使われていたのか、壁に掛けるとしっかりとその美しいフォルムは存在感を発揮します。




埃を払う

2009年01月26日 | 生活・暮らし・家事など


埃や穢れを払うために、水で洗って、それを太陽に当てる……。
これらの行為を「浄化」というようですね。
日本には「水に流す」という便利な諺があります。食器を洗うとき、いつもこの言葉を意識します。汚れた器がみるみるきれいになる喜びは、まさに「水に流す」ですが、最近は環境にも配慮のある洗い方が求められています。
砂漠のある国を旅した知人は、かの地ではゴミをそこに放り投げておくと、次の日には風と砂塵できれいさっぱりさらって行ってくれるので、「水に流す」ではない違った表現があるのではないかと思うなどと話していましたっけ。
ずいぶん前、海外への旅に出たとき、搭乗機のファーストクラスの通路を通ったとき、アラブの人たちが席を占めていて、何と通路は読みかけの新聞紙などの山に埋もれていました。足の踏み場もないほど散らかっていて驚いた記憶があります。
その国にふさわしい「浄化」の仕方がきっとあるのでしょう。
埃を払い、洗えるものは洗ってさっぱりとする……何も難しく考えなくても気持ちがすっきりさわやかになるものですね。


今日は旧暦大晦日

2009年01月25日 | 自然 花や風景など


旧暦カレンダーによると、今日は旧暦の12月31日、大晦日です。
いよいよ明日から2009年が始まります。
1月は睦月ともいい、仲良く人々が睦みあう月とも解することができます。
旧暦は太陰太陽暦を示すことが多く、月の満ち欠けを基本に編まれていて、自然のあり様ともよくマッチしています。旧暦で「今日は何の日?」と確かめながら、自然を見つめ、昔人の季節感の中から汲み取り織りなした知恵などをより深く感じて暮らして行けたらいいなと思います。


2009年はどんな年?

2009年01月24日 | 社会
 

スピリチュアルカウンセラーふじた氏の開催するセミナー「2009年を展望する」(天体の動きから読み取る1年)に参加しました。(写真はふじた氏から配布された資料)
去年も参加し、今年で2回目ですが、グレゴリオ暦や太陰太陽暦など暦にまつわる解説や出来事からそれぞれの暦を読み解き、日蝕や月蝕、冬至や夏至などを旧暦とグレゴリオ暦に当てはめながら天体スケジュールを見つつ今年を予測していくお話は、とても参考になり聞いていて納得もし、ワクワクするもので、楽しい会でした。

さて、2009年はどんな年に?
セミナーの中でふじた氏が語ったことを参考にしながら、今年も五感をフルに使って自分の中から湧き出る感覚を大切にしながら過ごして行けたらいいなと、そんな思いを強くしました。


透徹の冬景色

2009年01月23日 | 自然 花や風景など


一歩自宅マンションを出ると、遊歩道が敷かれたスカイデッキを挟んで敷地内に広がる世界。
メタセコイアやとケヤキがすべての葉を落とし、樹形を見せて佇んでいます。
新緑の季節も黄葉の季節もそれはそれで素晴らしく、感嘆することが多いのですが、強いて言えば、余計なものをすべてそぎ落として裸木で勝負している今のこの時期のこの風景は潔くて大好きな景色のひとつです。

今日は、仕事でお世話になっている若いカップルと久しぶりの顔合わせ。
動いている人の話を聞くのは、ワクワクドキドキとして、あっという間に時間が過ぎて行きました。


手袋

2009年01月22日 | モノ・雑貨・道具
 

いくつもあった手袋が、いつのまにか落としたりダメにしたりで、一足しかなくなってしまいました。(右の緑色のミトンは恩師からのいただきもの。左が今回買ったもの)
手袋欲しいなあ……と去年も思いながら我慢していました。
いっときは、手袋好きな私はセールのこの時期になると手袋を探し歩いた時期もありました。
通勤していたころ、電車の吊り革につかまりながら、前に座っている人たちを眺めると、冬時分はときどきハッとするような手袋をしている女性を見かけたものです。上等な革で作られた華奢で存在感のある手袋、さらにそれが使い込まれて身に馴染んでいるような手袋、なかなか見かけないグローブのような頑丈でオレンジ色の革手袋、それぞれにその人らしさを表していました。そんな手袋をイメージしながら、あるときは質屋ショップの店先などでも購入したことがあります。
しかしいかんせん、どんなにお気に入りの手袋も何かの拍子に落としてしまうシロモノでもあるのですね。
そんな風にして集めた手袋も今では、片方がいくつか残っているだけで普段使いのものは無くなってしまいました。

今度は毛糸の手袋を買おうと決めていました。手袋集めはやめました。
厳寒地に暮らしているわけではないので、手袋は冬の必需品ではないけれど、自転車に乗る時には必要です。
近くのスーパーへお使いに行く時に使える手袋、そんな手袋を探していたところ、気に入ったものを見つけました。若い人のお店にあったので、価格も超手頃で暖かさも抜群。よかった!
いくらおばさんと言っても軍手をして自転車に乗るのはちょっとカッコ悪いですものね。



孤高の花たち

2009年01月21日 | 自然 花や風景など


厳寒の季節と言われながら、散歩をしてみるとたくさんの花が咲いていました。
菜の花が藪の中に一枝、まるで孤高の花のような気高さを持って咲いています。









ユキヤナギやアセビ、白梅も早いものは咲いていました。
住まいのすぐ近くなのに、少し歩くと野水仙ややぶ椿なども自生していました。
鉢に植えられた白いバラは、冷気に花びらを焼かれながらも必死に咲こうとしているようです。
寒い冬、戸外に置かれた花たちは健気でたくましくそして愛らしく、自らの生の息吹の中からそれぞれのあり様を映し出していました。