ちあの散歩道

輝いてアラカンヌ☆ありがとうの言葉を添えて暮らしのドアをそっと開けると今日も豊かな感動と新しい気づきが待っています。

さりげなくいつもと同じ

2011年03月31日 | 生活・暮らし・家事など

 

バザールで買った福島県産のパプリカ。(写真右)
ベランダで干して、干し野菜にして冷凍保存します。

 

チェストの上などに置き、壁に立てかけて飾っていた小さな額のいくつかを元の場所に戻しました。
いつものように、草花を小さなグラスに挿し置いて楽しむ習慣も元に戻しました。
生活を楽しむってなんだろう……、それぞれの楽しみ方があると思うけれど、私の場合はこんなささやかでさりげないことかな。
そして、時計。壁に掛けていた時計が落ちたけれど、それも今まで掛っていた場所に掛けました。
ずっとその場所にあった時計、時間は何時?と思うとき、ついついその壁面を眺めてしまう習慣は消えませんでした。

時計や額が壁から落ち、草花を挿していたコップがひっくり返り水がこぼれました。
中には割れたコップもあったけれど、割れなかったコップもあります。
まるで生死を分けたかのようなドラマが我が家のモノたちにもあったけれど、割れなかったモノ、壊れなかったモノは何事もなかったように澄まして元通りの場所に並びました。

人はいろいろのものに囲まれて生かされています。
あってもなくてもいいような境界のないものたち、自然も含めふだんは意識にのぼらないことも多いですが。
しかし、その中に感動があったり、喜怒哀楽を見つけたりして、一喜一憂の人生。

3・11があったという粛然とした事実を受け入れ、ただ受け入れるだけで、あとはみんなそれぞれの生をまた紡ぎ始めました。原発がなかったら、復興も早いのにと思いながら。
でも、“もし”がゆるされないのが人生の道。
鳥が運んできたこぼれ種から寒中に芽を出し花を咲かせた一輪のさきがけの花。
そして、これからは百花咲き乱れる春が始まります。

どれもこれも身の周りの人やものが愛おしく感じられる今日この頃です。
今日、いまここに感謝を捧げ、ありがとうございます。


いまの現実

2011年03月30日 | 社会

4月からまた始めたいと思っていた「富士山麓一周ウオーキング・12回」。
旅行会社から連絡があり、中止になりました。
4月が今年の第1回なので、第1回が行われなければ今年の企画は無くなりますというお話しでした。
3・11後、キャンセルが続出して、ツアーの催行ができなくなったとのことでした。

サクラ便りが届き始めましたが、例年と違い、節電などから夜サクラライトアップやサクラ祭りなども中止のところが多いようです。
サクラの木のためには、ライトアップはない方がいいという思いでいましたが、祭りなしの波及による経済効果なども失われるわけで、ご商売の方々も影響が多いようです。

少し近所を歩けば、想わぬところに地震の被害が見られます。
家を失くし、家族や知り合いを亡くした東北の方々のことを思うと、家の土台が傾いた位では文句も言えないと、黙々と家の修理に励む人たちもいます。

 

(写真は、私の家の裏手の住宅地の一角・土台が割れて家が傾いていたり、レンガ道がめくれ上がったり)

被害には大きい被害、小さい被害と分けられがちだけれど、今は国民みんなが被災者です。
原発事故の問題などもあり、まだまだ復興には膨大な時間がかかりそうです。

私が今できることは、
①カンパをする (少ししましたが、これからも続けたい)
②節電する
③買い占めをしない、買い控えをしない。
④あとは、3・11以前と同じように、静かに淡々と暮らす
くらいかな……。

ありがとうございます。
できるだけ、震災関連の記事は書かないようにと思っていますが、日常の中に震災があふれています。


好きな場所

2011年03月30日 | 道・あるく など





白い水仙が咲き乱れる場所を見つけました。




古い市営住宅の一角です。
道を挟んで向かい側には、新しい戸建て住宅が並んでいます。
市営住宅には、花好きの方が多いのでしょう、いつも手入れの行き届いた花が咲いています。
懐かしくて、ファンタジックな、そこだけが開発から取り残されたような佇まいのこの場所は、
私のワンダーランドです。
訪れるたびに目を見張るジャンボサボテンも見事です。

小さな菜園を耕し、花や野菜を植え、少し不自由で不便で、しかしそこにはしっかりとした生活の匂いが漂っています。
様々な暮らし方の選択肢がここにもあります。


キャリーバックプラス

2011年03月29日 | モノ・雑貨・道具



旅の荷物は最小限にと思っていても、ちょっと小さすぎる私のキャリーバック。
家の中にモノを増やしたくないし……一回り大きいのを買おうかどうか迷っていました。
バックが大きくなると、モノを詰め込んだ分、持ち運びも重くなります。
最初、キャリーバック売り場に行ってみたけれど、結構なお値段。
あきらめかけていたところに見つけたのが、“キャリーバックプラス”。
(私の勝手なネーミングですが)。

軽くて、折り畳むと小さくなって、頑丈で、キャリーバックの上に置くことのできる専用セットアップ機能付きバック。
ふつうの袋と違ってしっかり固定できるのでもち運びにも難儀しません。
階段などでは、ショルダーにもなります。

こういうバック、売られているのを知りませんでした。
値段も2000円代で、超スグレモノ。


同じ

2011年03月29日 | 生活・暮らし・家事など

あちこちで講演会やイベントが中止になったり、変更になったり、
しかし、そのおかげでというか、新しくご縁をいただく催しなどもあるのですね。



いつもいつも、朝起きてから寝るまで、右か左かの選択を迫られている私たち。

きっと、長い目でみれば、右を選んでも、左を選んでも
同じところにたどり着くように最近は思えて来ました。
きっと、役割は決まっているのではないかしら?と。
ちょっと近道ができるか、遠回りをしてしまうかだけで。

どこに行っても、どこにいても、私は私でしかない。



サクラの開花

2011年03月28日 | 自然 花や風景など

今日、東京都内でサクラの開花が発表されました。
昨日までと同じように、冬のコートを着込み、マフラーを巻いて外出すると、思わずマフラーをとるほどの暖かさ。
お日さま、暖かさをありがとう!!

サクラは一気に日本を華やかな世界に包み込むことでしょう。
あと、少し、あと、1週間、あと、10日……すると、私の周りもきっときっと花盛り。

だれも止められない、自然からの贈り物。
ぜいたくはつつしんで!!!
いえいえ、普段通り楽しく暮らしましょう!!
いろいろの掛け声があるけれど、サクラはそんなことにおかまいなし。
いつものように、寒さに少し気をもませながらも、
咲くときは、パッと咲く、麗しく華やかに華麗に。
それがサクラだから。
被災地にも咲くでしょう。
サクラが多くの方々を慰めてくれますように。

ここのところ、震災ショックで不安感が増してきている人をたくさんみかけます。
いまを楽しみ、楽しむ自分をゆるすことが、きっと周りにもいい影響を与えることと思います。
ねぇ、それを信じましょうよ。

ありがとうございます~~:・。☆。・:~~


パリみたい

2011年03月28日 | 道・あるく など



表参道ヒルズのなかも節電の影響で薄暗かった。
ああ、これが安藤忠雄さん設計のビルなんだとかみしめながら“坂”を歩いていたら、
カップルの若者の声が聞こえて来ました。
「欲しいものないから、もう、出よう」。

パリには一度しか行ったことがないけれど、まるでパリみたいと思ったお上りさんの私。
この薄暗さは、パリのものだとカンガイにふけった私。
そして、そうだ、薄暗いとモノが売れないんだ!!と、六感が働きました。



天井に目を向けると、ライトコートの下には、灯されていないライトの羅列。

戸外に出て、燦々と照りそそぐ太陽を眺めながら、どうして太陽光発電を取り入れないんだろう?と思いました。
技術がまだ追いついていないのか、それとも、欲がらみの経済の策略でなのか。

それぞれが、各家庭でも太陽光発電を持ち使って行く時代が来るかしら?
電力も地産地消でと語っていた人もいましたっけ。
鎌仲ひとみ監督作品「ミツバチの羽音と地球の回転」では、上関原発の問題を扱いながら、ヨーロッパのある村では、電力エネルギーを自分たちが選択した電力会社から買うことができるシステムが生かされていることなどもありました、たしか。

日本も、きっと世界に先駆けて大きな舵がきれるかもしれない、
今の未曾有の甚大な痛みを伴った学びを生かしたときに。
それは、ひとりひとり、わたしたちにかかっていると思います。


いきのお話し

2011年03月27日 | 心・健康・癒し



出せば入る
まず、先に出しなさい
では、息をまず吐いてみましょう
はい、なが~く吐いて
では、今度は吸ってみましょう
ふか~く吸って

わかりましたか?
大きく吐けば吐いただけ、吸う息も長くなります
たくさん出したほど、入って来るものは多くなります
これ、原理原則ですね
吐きながら吸うことはできません
吸い続けることもできません
基本はひとつです
出しただけ入ってくる
考え方は2つです
吐くか、吸うか
プラスかマイナスか

以上は、今日聴いたお話しの一部です。
その通りだと思います。


新鮮野菜は神聖野菜

2011年03月27日 | おいしいもの



放射能による水や野菜の汚染状況が、日々報道されています。
真実を正しく伝えることと、被害を抑えることのほかに、報道により人々がパニックを起こさないようにという配慮が見てとれますが、私たちはそれぞれに考える力を備えています。
真実を歪曲することなく正しく知りたいという願いを持っています。

隔週日曜日に届く熱田さんの無農薬野菜。熱田さんも千葉県に住み地産地消です。
その熱田さんから金曜日に電話がありました。
「明日土曜日に出荷するのですが、私の隣りの市町村では放射線ヨウ素が検出されました。私の町ではデータがありませんが、どうしましょうか?」といった内容でした。
私は迷わず「送って下さい!」と伝えました。
水俣病被害者とのご縁から無農薬野菜に取り組んで38年の熱田家の苦渋。

熱田さんの「農民通信」には「消費者のみなさんへ」という文が添えられていました。
その中で、熱田さんは書いています。
「…………(原発による放射能汚染は)私の中では『水俣病がくりかえされてしまった、と思っています。』有機水銀の恐ろしさを正確に伝えられないという社会的状況、とても似ているように思えてならない。
私は今、ここにいる。当時多くの人たちが水俣病を許してしまったように、私も今、何か重大なことを許してしまっているのかも知れない。……」と、放射能汚染のことを語っています。
また、熱田さんは「野菜を送らせていただいていますが、放射能のことは自信が持てません。今のような状況の中では個々に守らなければなりません。もし不安で止めたいと思っている方は遠慮しないで言って下さい」とも。
(熱田さんの文は一部抜粋なので、皆さまに熱田さんの思いをすべて伝えることはできませんが、お許し下さい)。

放射能汚染は、水や野菜だけにとどまらず、農地をも汚染し、まるで水銀と同じです。
このまま被害が続けば、農地のことも心配です。
38年間、ひたすらに水俣から学んだことを農業という仕事を通して実践し続けて来た熱田さん。
それは家族をも巻き込んだ生活者としての安心、安全の思いと揺るがない信念のもとでの実践の重さであり、私はその熱田さんに共感しています。著名人たちが机上で語る水俣病とは違う実践者としての熱田さんに私淑しています。
こんな不安な状況の中、熱田さんは田の準備をし、夏野菜を蒔き始めたことも記されていました。

先日会った友人のおみやげの中に美味しいうどんが2袋。
友人は賞味期限が3月17日なんだけれど、ゴメンネ、食べてくれるかしら?うちでは箱でいただいて気にしなく食べているのだけれど」と申し訳なさそう。
私はよろこんでありがとうと伝えました。
そのうどんはとても美味しくいただき、病みつきになりそうなほど。

規則や安全基準は大切だけれど、それによっていつの間にか五感も失いつつある私たちの日常。
人の健康を考えてつくられた様々な基準。それはあくまで基準で、その中には運もふくまれているのかしら……。たまたま食して被害を受けるときもあれば、なんでもないときもあり、それを引き受けて生きる覚悟。その一方で蔓延する化学物質には無関心で人任せで被害も拡大しているのに、メディアが取り上げないので防衛もせずの状況。薬害などにもっと敏感になってもと思います。

私のことを決めるのは私です。
熱田さんが野菜を作り続けている限り、野菜は送ってほしいと思っています。
この数年間、私はどれだけ熱田家の野菜で美味しい思いをし、ありがたさを受け続けたか……。

熱田さんの新鮮野菜は私にとっては人の思いがこもった神聖野菜です。
今日は、熱田さんの野菜にありがとうございます。