ちあの散歩道

輝いてアラカンヌ☆ありがとうの言葉を添えて暮らしのドアをそっと開けると今日も豊かな感動と新しい気づきが待っています。

お知らせを少し

2008年09月30日 | Weblog

今日で9月も終わりです。
うんと秋めいてきましたね。ここ数日の一気の冷え込みに体がついていくのはちょっと骨が折れます。皆さまお大事に~。

本格的な秋を迎えて、イベントなどのご案内が届きます。
その中から、2件ご紹介。

●女性エネルギー・ラボ 
  ・10月26日(日) ・10時30~17:00 
  ・東京都庭園美術館大ホール ・参加費6000円
  ・お申し込みや詳しいお問い合わせは
        http://feminergy-labo.pef.jp/index.html

●瀬戸市新世紀工芸館企画展 FOR THE CHILDREN 
      イエルカ・ワイン 中島勝乃利 土・鉄・山羊の毛 EXPO
    ・10月4日(土)~11月30日(日) 
  ・瀬戸市新世紀工芸館展示棟

最近、「月」に関する新しい言葉を知りました。
「星月夜」という言葉です。季語辞典には秋の季語として載っています。
「朔で月はないが、星がとっても明るい。その月光のような星明かりの夜を『月星夜』という」(―毎日新聞・季節のたより―より)。すると、朔は、朔月で月明かりのない新月のことをいうのでしょうか。月のない闇夜に星のまたたきがいっそう際立って明かりをなすというそんな思いを知ると空を眺めるのも楽しいですね。そして「星月夜」の翌日は「二日月」。三日月は知っているのに二日月という言葉があったのかという驚きです。“ふつかづき”という響きも素敵です。しかし、昨日も今日も雨で、雨天の空には星も月もありませんが。
情緒豊かな秋を迎えると、月にまつわる言葉も新鮮なときめきを持って迫ってきます。

☆今日のうれしい☆
keikoさんからメールで近況報告があった。元気そうでよかった!!



  


映画「おくりびと」

2008年09月29日 | 映画・芝居・芸術など

映画「おくりびと」を観ました。
本木雅弘さん演じる納棺師の仕事を通して描かれた世界は、厳粛な中にも笑いやユーモアが随所に散りばめられ、泣いたり笑ったりのさわやかさが残るいい映画でした。
映画の中身はこれから観る人たちのために触れないでおこうと思いますが、丁寧に作られた素敵な映画でした。久石譲さんの音楽もよかった!!

映画を観ながら、父の葬儀のときのことを思い出しました。
こんなに悲しいのに、なぜ泣きながらもご飯時になるとご飯を食べる気持ちになるのだろうと、そんな自分の不思議さを見つめたのが、初めて肉親の死である父の死に遭遇したときでした。
焼き場に運び、待っている間、戸外の庭には並木として植えこまれたサクラの花が満開で、青い空に花びらが映え、煙が真っ直ぐに上がっていたのを静かに眺め続けたことも心に残っています。25年以上も前のことです。

2年半くらい前、青木新門さんの「納棺夫日記」を読みました。
新門さんの描かれた納棺夫の世界とも重ね合わせながらこの映画を観ました。また、ずっとブログランキングベスト上位に入るという「特殊清掃『戦う男たち』」をこのパソコンが壊れる前のパソコンでは「お気に入り」に入れて読んでいました。新しいパソコンになってからはアドレスの控えがなく、ずっと開かないままでしたが。人の生死の清と濁、そしてそこに働きそれらをみつめる人たちの荘厳さとやるせなさが描かれていて、「書く」ということは、もしかしたらこんなことを言うのではないかとひそかに思いながら読んでいました。

そして、今日観た「おくりびと」。
藤原新也さんのブログ「Shinya talk」にも「『メメント・モリ』から『おくりびと』へのメッセージ」として、「おくりびと」の“映画評”が書かれています。
「メメント・モリ(死を想え)」を、手元に置いていつも眺めている私にとっては「メメント・モリ」はバイブルのような本で、新門さんの「納棺夫日記」にも思いを馳せながら、「おくりびと」を観ることができたことは、よかったと思います。
よい映画ですので、ひとりでもたくさんの方がこの映画を観られるといいなと思います。「納棺夫日記」もとてもいい本ですのでこちらもおススメです。

☆今日のうれしい☆
バス停から家までの距離を傘をささずに歩いていたら、見知らぬ男性の住人が「濡れますよ」と、後ろから私に傘をさしかけてくれました。

☆もうひとつうれしい☆

 

ヤマチャンに「鎌倉みやげ」の可愛いジャムと「京都みやげ」の“イノダコーヒ”のこちらも可愛い布巾をいただきました。パッケージもオシャレ。



秋を感じる日 ●ふじたさんへのインタビュー記事

2008年09月28日 | Weblog



少し肌寒く、秋を感じる一日でした。これから季節は一気に秋へと加速するのでしょうか。四季のある国に住むことが出来て幸せだなと思います。
夏の暑さで洗濯の回数が増えクタクタになった夏物衣類は色あせたけれど、きっと再び来夏に出番がたくさんあることでしょう。肌に馴染んで着心地がよくなった木綿の服は捨てがたくまた仕舞うことになりそうです。

◆9月10日に行った「スピリチュアルカウンセラーふじたさん」へのインタビュー記事がふじたさんのホームページブログに「スピリチュアル・インタビュー(04)」として本日アップされました。
私の思いつきの質問にもかかわらず淡々と丁寧に語っていただき、予定の60分をオーバーし、インタビュー時間は90分にも及びましたが、ゆったりとした会話の中で疲れることなくワクワクととても楽しいものでした。お暇なときにご覧ください。

☆今日のうれしい☆
梨のジャムを作ったら美味しくできた。


しその実づけ と ホームパーティ

2008年09月27日 | おいしいもの

 

朝、久しぶりに近くのマーケットに行ったら、しその実が茎のまま束ねられて売られていました。ひと束100円で、農家の方が持ち込んだところに行き合わせました。
さっそくひと束買いました。
水洗いを丁寧に行い、茎から実をこそげ落とし、塩漬けにしました。
こんなひと手間をかけることのできるうれしさは格別です。
今日は、お昼に友人の家に招かれていたので、半分をびんに入れておみやげに持って行きました。



友人の家ではごちそうを作って待っていてくれました。
ローストビーフ、鮭のホイル焼き、秋野菜の炊いたの、浅漬け、それにケーキまで用意していてくれて感激です。
私は簡単なサラダをお持たせで持参しました。
おんな3人でおしゃべりに花が咲きました。

☆今日のうれしい☆
就活をしていたWakayoちゃんからメールが入り、仕事が見つかったとの報告。うれしい!!


ちょっと一息の日

2008年09月26日 | 生活・暮らし・家事など


ちょっと一息、そんな一日を過ごすことも大切ですね。
朝、五木寛之さんがテレビに出ていて「鬱の時代」について語っていました。五木玲子さんの画が私は大好きで、五木さんの本の装丁に使われているエピソードなども語られて、面白く観ました。
「鬱の時代」、小さなうれしいことやかなしいことを一行だけ記していくのもいいという話しがあり、私もこのブログに「今日のうれしい」「今日のかなしい」を最後に一行書くことにしようかなと、そんなことを考えました。
夕刊には、藤原智子監督作品の「シロタ家の20世紀」が27日から岩波ホールで公開されることが記事として載っていました。これは観たいな。
10月に入るとイベントなども目白押しで、たくさんの案内状が舞い込みます。
そんなイベントも、よほどのものでないとちょっと一息入れて一休みの心境です。

☆今日のうれしい☆
久しぶりにたっぷりとお昼寝をして睡眠調整ができた。それがうれしい。





捨てる神と拾う神

2008年09月25日 | Weblog


日々の暮らしの営みの中には「捨てる神」と「拾う神」の両方の神様が同じように存在しているように思います。
それぞれ半々ということは、それだけでニュートラルな状態が保たれているということでしょうか……。

キャンプのような数日間

2008年09月23日 | 

佐久平に友人を訪ね、キャンプ生活のような数日間を過ごしました。
別荘ではなく、小屋を建てた……と伝えてきた友人。
その小屋は木の香りも芳しい豪邸でした。
しかし、外観は完成したものの、内装はこれからで、断熱材を壁面に入れるところからすべて業者さんに頼まずに友人の手により完成させるとのこと。
現時点では、台所なし、お風呂なし、部屋なしのひとつの箱としての家が佇んでいました。
都内から移り住んできた方たちとの小さな村が育まれ、収穫物の物々交換が行われていました。





外に引いた水道の蛇口が1個と、プロパンガスコンロがひとつ。
それですべての台所仕事をしている様子は、まるでキャンプ地に来たような感じでした。
長靴をはき、畑に行き、収穫したものをシンプルに調理していただく暮らしは、この上なく贅沢に見えました。




青いトマトときゅうりをベースにハーブをたくさん使ったかなり本格的なピクルス作りをしたり、そこら辺に転がったいるりんごやプルーンやぶどうをミックスして煮込み、ジャムを作ったりと材料を無駄にしない手際の良さには感嘆しました。

調理器具が揃わなくても、台所が無くても暮らせるものなんだという妙な納得をしながらも、周りを広々とした自然に囲まれているからこそできる暮らしでもあるのですね。

むかし、作家の中山あいこさんの講演を聞いた時、当時アパートの管理人をしながら作家生活をしているという中山さんの話の内容にはインパクトがありました。
「あなたねぇ、別荘なんて自分で持つものではないわよ。お金がかかってしようがないし、別荘を持っている友人をたくさん作って、都合のいいときに渡り歩くのが最高よ!」と。
なるほど、なるほど、その当時は私もまだ若かったけれど、だんだん当時の中山さんの年齢に近づいてきて、私の周辺にも、“お別荘”を持つ人たちが増えてきました。
私もどうやら中山あいこ流処世術が実践に役に立つときが来たようですね。


襤褸にまみれて~

2008年09月19日 | 生活・暮らし・家事など

“襤褸(ボロ)にまみれて死にたい”
これは、3年前に初めて会った、いまでは親しくさせていただいている友人が放った言葉です。
この言葉を聞きながら、そういえばマザーテレサは亡くなったときに私物としては3枚のサリーと一個のバケツしか遺さなかったと何かで読んだことがありました。
襤褸にまみれて死ぬのも悪くないかなと思いました。
昔はお坊様の最高の衣は「糞僧衣」だったそうですし。

しかし、この言葉を放った友人は、今になって「えっ、そんなこと言いましたっけ?」と楚々と微笑んでいます。
自給自足のスタートラインに立ったその友人のところを新しく買った寝袋を持って訪ねようと思います。
私の訪問時のお役目は、“窓拭き掃除”だそうです。お掃除くらい、簡単、簡単といいながら、少し惧れをなしていますが、なんとかなるでしょう。一宿一飯のお礼として労働することは当たり前のことですから。

少しずつ物々交換の生活へシフトしています。
そして願わくは物欲を減らし、私も今ある持ちものを使いきって“襤褸にまみれて死にたい”