パフォーマーとして「ホイト芸」などでも知られる黒田オサムさん80歳。
4月28日~29日と2日間にわたって「黒田オサム80歳8時間大学」がニパフによって企画され、武蔵野芸術劇場小ホールで行われました。
タイトルは「こんな時代だからこそ、このじいさんの話しを聞こう。このじいさんのパフォーマンスを観よう」。
私は29日の「黒田オサム80歳お祝いの夜」に参加しました。
休憩時間に「黒田さん、写真を一枚」とお願いすると、「はぁ、はぁ、どうぞ、どうぞ」と言いながら、一瞬にしてアーチストの顔に変身されました。
座っているだけでもさまになる黒田さん。そのしなやかな物腰はとても80歳には思えません。
同じパフォーマーの後輩の女性が、黒田さんにお祝いのキスをする場面も。
「はぁ、びっくりしましたねぇ!!」と黒田さん、うれしそう。
黒田さんのいつもの「労働者諸君!!」で始まる「大杉栄」のパフォーマンスでは「革命」の文字が掲げられるけれど、今回はもう一つ、[80歳を祝ってくれてありがとう!」が掲げられました。
それを観ていたら、私はいつしか涙があふれてきました。
黒田さんの元気な様子に感動したのです。
観ているのと演じるのとは天地の差があり、かがんだり、転んだり、すり足で歩いたりの細やかな演技にまったくぶれがなく自然体。動画でお見せできないのが残念です。
77歳のお祝いのときに伺ったのは、駅などの階段を2段ずつ上っているとか、特に練習はしないと言っていたけれど。あるとき駅で待っていたら、ほんとに2段ずつ上がって来る黒田さんにびっくりしました。
海外に毎年出られている黒田さん。
インド、バングラデシュから帰られて、7月にはミャンマーに行かれるとか。ますます冴えています。
お祝いの花束を持って踊られる黒田さん。
何度も黒田さんにお会いしていますが、今日の黒田さんはいつにも増して若々しくステキでした。
花束をかざしながら、「負けるが勝ち。私の人生、負けっぱなしです」と黒田さん。
勝ち負けではないけれど、負けてこそ辿りつける克ちの境地、というより、それらを越えて高いところに行かれた方だと勝手に思っています。
なにより、80歳のお祝い企画をこうやってやって下さる方がいて、若い学生さんや中高年のファンに囲まれて現役でパフォーマンスが出来る黒田さんはご自身でしあわせをかみしめていることでしょう。それもこれも黒田さんのお人柄の魅力も大きいと思います。
どうかどうか、黒田さんがいつも話している「100歳まで踊り続けたい」という言葉を実践してほしいと願っています。
1998年から海外公演をニパフの霜田さんに招かれて始めた黒田さん。当時黒田さん67歳。
そのときは、ヨーロッパだったらしいけれど、そのとき黒田さんは生まれて初めて飛行機に乗り、生まれて初めてベッドに寝たそうで、ホテルで同室した霜田さんからそのエピソードが語られました。
黒田さん、80歳おめでとうございます!!!
パフォーマンス、拝見出来てうれしかったです。
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●黒田オサムさんによる神様のお話 (ニパフ資料・他より)
神様はとってもヒョウキンなお方で、子供のように隠れん坊遊びを楽しんでおられるようです。
ですから、黄金に輝く天上を仰ぎ見ても神様はいらっしゃいません。神様はときおり居場所を変え、姿をも変えて隠れていらっしゃいます。そして私達の発見をお待ちになられていらっしゃるようです。
神様探しは容易ではありません。私達は社会的階層性に馴らされた従来の価値観で神様を探し求めるからです。私達はサカサマに馴らされてサカサマであることに気がつきません。(上)と(下)をサカサマにしてごらんなさい。この世で一番偉くない人が一番偉い人よりも偉いということだってありうる筈です。大将より二等兵の方が偉いのです。60円のかつ丼より10円のスイトンの方が偉いということだってありうるのです。社会的価値観を180度変えて神様をお探しになられてごらんなさい。黄金の光りに輝く崇敬なる天上に神様がいらっしゃらないとするなら、その反対の極、地上(ジベタ)に眼を向けてご覧なさい。神様がいらっしゃるのに相応しくないような汚いジベタの片隅の片隅の一枚の破れトタンの陰に、私達の足下に跪かされている、貧しい、弱い、醜い、蔑まれた者がいる筈です。そう、この人達こそ、私達が捜し求めていた神様であるかもしれません。いや神様でないとしても神様のもっとも親しいお友達であることに間違いはありません。
誰だ!浮浪者に石を投げつけるのは。彼らこそ神様か神様のお友達であるぞよ!
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ひょうひょうと生きる黒田オサムさんの言葉から、いつも学ばせていただくばかりです。
ありがとうございます☆。