goo blog サービス終了のお知らせ 

ちあの散歩道

輝いてアラカンヌ☆ありがとうの言葉を添えて暮らしのドアをそっと開けると今日も豊かな感動と新しい気づきが待っています。

昔の人たちの節度

2012年05月09日 | 思い出すことなど




いま、私の日々の暮らしの中で、改まった儀礼的なことは皆無といってもいいでしょう。

青く実った麦の穂を散歩の途中見つけたとき、ふっと思い出す子供のころのこと。
たとえば、昔の辺鄙で古臭い集落に暮らしていた子供の頃、何かがあるとそれこそ一大事です。
どこそこさんの家で子供が生まれた、だれだれさんが入院したことなどを含む、小さな集落の一大事は「生き死に」を含む一大行事です。
隣保班の人たちがこぞって集まり、全員で一大事のあった家を訪ねます。

隣保班ということは、田舎のことでもあり、朝に夕に顔を合わせる親しき仲です。
方言丸出しのあけっぴろげな日々の会話を子供心に、何とかならないかしら?と心痛めたものでした。
ところが、この挨拶が豹変するのが、この一大事のときなのです。

訪ねて来られた方は、何となく事前にそれを察知して待ち受けます。
ゾロゾロと集まった集落の人たちと、雑談をしたり、お茶を出したり、大人たちはちょっとバタバタ。
ところが、それも落ち着き、一瞬の静寂を待って、長老とおぼしき人が正座すると、以下の人たちもそれに倣い、身を正します。
やおら、挨拶が始まります。そのときの始まりの言葉が今も私の耳に残っています。

「えー、一言、おもの、申し上げます。この度は、○○さんのご長男ご誕生、心よりお喜び申し上げます……」と、こんな風に続くのです。
一通りの口上が終わり、お祝いの包みを渡すと、一件落着となり、場は瞬く間にくだけます。
この口上のあいさつ言葉、「一言、おもの、申し上げます」は、そばで見ている子供の私にも、とても荘厳な響きを持って迫ってきたものです。
暦でふさわしい日を選び、律儀で礼儀正しいふるまいと言葉遣い。

それらの風習も、田舎に都市化の波が押し寄せて、私が大人になるにつれて、失われて行ったように思います。

「一言、おもの、申し上げます」と、改まったときの、見慣れた近所のおじさんやおばさんの、居ずまいを正した畏まった顔を通して、ハレとケのけじめの大切さを教わったように思います。
東日本大震災以来、絆があちこちで言われているけれど、これらの小さな一大事への対処は、助けあって暮らす昔の人たちの知恵の集積でもあったのかしらとも考えます。


エミさんのこと

2011年11月20日 | 思い出すことなど

この季節になると、エミさんのことを思い出します。
エミさんの家を訪ねたのも、ちょうど今ごろのことでした。
エミさん、いま、どうしていらっしゃるだろう……。

たった一度、友人に誘われたコンサートでお会いしたエミさん。
さらにその友人とともに一度だけ訪ねたエミさんの家。
もう7~8年も前のことです。

私は、エミさんの暮らしぶりを観て、自分の暮らし方を確認し、何かを決めたような気がしています。

エミさんは、質素な戸建ての都営住宅に住んでいました。
外見は、よくある長屋風の住宅です。
庭にはオールドローズと、クリスマスローズが植えられていました。
一歩中に入ると、手作りのあとが残るステキなドアがありました。その色使いの温かさが印象に残っています。

特にお手洗いのドアと、中の雰囲気に驚きました。中には手拭き用の小さなサイズの白い布がていねいに畳まれて置かれてました。一目見て漂白剤が使われていないことがわかりました。
私は、この日から、まったくといっていいほど漂白剤の使用をやめました。
下には、ヨーロッパのアンティークのホーローの壺があり、これもうっとりするほど使い込まれた美しいものでした。
「替えられるところは替えたけれど、ここは自分の家ではないので、ふすまなどはそのまま使っています」と言っていました。

私たちは、ビニールを囲って作られたテラスでエミさん手作りのランチをいただきました。
食材を吟味した手料理は、とても豊かな気分にさせてくれました。
エミさんが厳選したこだわりのチーズなども出していただいたことを覚えています。

ふだんづかいの器のさりげない美しさ、お菓子を入れて出して下さった漆芸の小さなお重箱の美しさなどにみとれました。

私が、その中の一つを指して、「これ、ステキですね!」と伝えると、エミさんはいいました。
「どうぞ、お持ちになって!ここにあるものは、すべて売り物です」と。
エミさんは、家族とそこに暮らしていたけれど、事情があって、持ち物を少しずつ現金に換えて暮らしているということでした。

住宅の狭い台所、ここでどんな風に工夫すればこんなにステキなおもてなし料理がつくられるのかしらと台所をみせていただいたことも思い出します。
エミさんは帰りに手作りのパンまで私たちに持たせてくれたのです。

エミさんがそのとき召していたのは、「これ、中学生のときに着ていたブラウスなのよ」と言われたことから、古いものをエミさん流に手を加えて大切にしていることからもうかがえました。

与えられた空間の中でさまざまな工夫をしながらつましく暮らしていたエミさんはとてもチャーミングな女性でした。
陽が陰り、夕方になってテラスが寒くなったとき、エミさんはボロボロの石油ストーブに火を点け、さらに私に、
「そこらへんにあるものをお羽織りになって~」と言いました。
古いソファーの上には、半纏やひざかけが置いてありました。

ドイツに留学していたとき、徹底した始末をホームステイ先で仕込まれたと言っていました。
エミさんの暮らしと、エミさんの知性、言葉遣いの美しさを、ときどき思い出しています。
エミさんのところで分けていただいたヨーロッパアンティークのキャンディー入れは、いまも大切に使っています。