ちあの散歩道

輝いてアラカンヌ☆ありがとうの言葉を添えて暮らしのドアをそっと開けると今日も豊かな感動と新しい気づきが待っています。

メガネ

2008年04月30日 | 生活・暮らし・家事など
この1か月の間にメガネを3個も駄目にしてしまいました。
以前、映画「めがね」を観たとき、出演者があまりによく似合うメガネをそれぞれかけていて、そろそろメガネを新調したいなあと思っていたのに、3個も一度に駄目にするとそんな願いとは裏腹に実用オンリーのメガネを選びそうになってその気持ちを静めています。
1個は無くし、1個はレンズを割り、1個はフレームのネジが外れてしまい柄の部分を落としてしまったという有様です。いずれも作って8年以上経っているので、役目を終えたメガネたちがそれぞれに引いて行ったとそういう風に思うので、執着はありませんが、実際一度に今までのメガネが機能しなくなると不自由さは否めません。
レンズが割れたメガネは修理に出していますが、あと1~2個は必要ですね。よく考えてゆっくり選びたいと思います。
柄を落としたメガネは部品を探し修理を試みましたがその部品がなくてあきらめました。やはり新調するしかないのでしょうか。

尻尾につかまって……

2008年04月29日 | 社会

29日に有楽町の「朝日ホール」で「第9回水俣病記念講演会」(目を開き、耳をすませて/主催水俣フォーラム・朝日新聞社)が行われ、聴衆のひとりとして参加しました。

司会はピーター・バラカンさん、講演は生駒秀夫さん(奇病患者と呼ばれて)、大石芳野さん(水俣・ベトナム、今なお)、井上ひさしさん(これからの日本ー水俣の意味)、富樫貞夫さん(水俣病事件を通して見えるもの)でした。

私が10代から20代にかけて恩師をはじめ周辺の人たちが公害病である水俣病に向けて様々な学習をしていたにも関わらず、青春真っ盛りの私はそれらを聞きかじり、聞き逃し学ぶチャンスがあったにも関わらず深い関心を寄せることなく今日まで過ごしてきたことをおおいに恥じ、反省もしています。
そんなこともあり、これから少しでもその取り返しが出来ればと「水俣」について遅ればせながら学びのスタートラインに立ちました。

今日の講演は、それぞれの方の置かれた観点から水俣病が語られ、またひとつ水俣病を知ることが出来ました。
患者の生駒秀夫さんは「体中虫が入っているようなかゆみやしびれがあり、当時珍しかったスイカを食べさせてもらったときもスイカの種が口の中でわからなかったほどで、今もしゃべりながら舌を噛んでしまう症状です。視野は10度くらいしかない」と話しました。
カメラマンの大石芳野さんは、水俣病は近代化を急いだがゆえの公害病ともいえ、水俣の水銀被害とベトナムの枯葉剤被害を相対しながら化学物質の後遺症が世代を超えて長く続いていることをスライド写真を通しながら説明しました。
作家の井上ひさしさんは、過去に報道された新聞記事を示しながら、水俣病発症の時の人々の混乱にも触れ、「原因がわからないときはかんぐったり邪推したりしがちだけれど、よく考えたり話し合ったりしながら物事をきちんと自分で情報を集めて自分の考えを決め、立ち位置を決めることが大切で、弱者(私たちひとりひとり)は、必ず弱者の立場に立って物事を考えなければならない」と話しました。
大学教授の富樫さんは、最後に故杉本栄子さんのことにも触れ、栄子さんの言葉として「知らないことは罪であります。恥ずべきことであります。知ったかぶりは人を殺してしまいます」を教訓として、今地球上に広がる大気汚染による水銀汚染の深刻さも語り添えました。



会場で熱田農園の熱田さんご夫妻(左)と「子供たちに『水俣』を伝えるネット」の田嶋さん(右上)にもお会いして会が終了したときに一緒に写真を写しました。
水俣に出会ったことで30年に及ぶ完全無農薬で農業を営む熱田さんは、私がもっとも信頼し尊敬できる方のひとりで、その熱田ご夫妻に驚異とも言える知力と行動力と情熱を持つ田嶋さんをお引き合わせ出来たことも今日の喜びのひとつでした。
私はというと無知無学ゆえ、熱田さんや田嶋さんの尻尾につかまっているだけの状況で何の役にも立ちそうにありませんが、亀のような歩みながら一歩一歩といった感じです。

「朝日ホール」を出た後、熱田さんと別れ、田嶋さんと一緒に田嶋さんのゆかりの方たちと5名で近くの居酒屋でおさらいや意見交換をしました。ここでも私はただただ皆さんの意見に聞き入るばかりでしたが、田嶋さんが、「子供たちへの出前授業をした後は、杉本栄子さんの言われていた『知ったかぶりをしてはいけません』という言葉の重さにいつもいつもこれでよかったのかと反省するばかりですが、そのことを生前の杉本さんに話すと、『その気持ちを持っている以上大丈夫ですよ』」と励まされたエピソードなども披露してくれました。
それぞれに深く「水俣」と関わって来られた方の中に紛れ込んで、まさに尻尾につかまりながら、つかまってさえいればという思いにも感慨を持ちました。


懐かしい「ヤサラ」

2008年04月28日 | おいしいもの

28日付「毎日新聞」の生活面に「ヤサラ」のことが大きく取り上げられていました。



千葉に住むようになって「ナガラミ」を知り、ナガラミが魚屋さんの店先に出ていると迷わず買いますが、ナガラミはヤサラより数倍大きい貝です。ヤサラは1㌢位の小さくて丸い形をした巻貝です。
周りの方たちに「ナガラミはヤサラが大きくなったものでしょうか?」と事あるごとに尋ねましたが、肝心のヤサラを知らなくて首をかしげるばかりでした。
ヤサラのことを誰に訊いても知らなくて、これは私の記憶違いか、もしくは育った土地の方言による名称なのかとあきらめ忘れていた時に今朝の記事です。
食べた感じはナガラミもヤサラも同じ味がしますが、記事では、ヤサラは内海にすみ、ナガラミは外洋に面した砂浜にすみ、生息範囲は北海道から九州までと広いそうです。

小さい頃、僻村に育った私の楽しみはたくさんありましたが、ヤサラ売りのおばさんが来て、それを1升マスに山盛り祖母が買ってくれたことをよく覚えています。そのヤサラをゆでてもらい、おやつによく食べました。小さな1円玉位のヤサラを食べるにはコツがいって、針でその身を取り出します。早く食べたい私は1個1個取り出すごとに口に運び、のんびり屋の妹は10個位ヤサラを針につないで一度に食べていました。姉妹の性格の違いを思うときこのヤサラを食べるシーンを今でも思い出すほどです。
その頃は近くにスーパーなどは無く、時期になるとみかん売りのおじさんやイモ飴売りのおばさんなどもよく来ていて、遠くからその引き売りの声が聞こえると遊んでいても家に大急ぎで帰り、母や祖母に知らせたものです。いりこ売りのおじさんも毎年来ていて、今でいう生産者直の加工食品ですね。鮎のシーズンには鮎売りのおじさんが自分の釣った鮎を持って来て、鮎だけは普段台所仕事をしない祖父が役割を引き受け、鮎のうるか作りを庭先でしていました。私はお酒が飲めませんが、のん兵衛の酒の肴が大好きなのはこんな食習慣によるのかもしれませんね。
昭和32~3年位までの出来事で、それからは小さな村にも列島改造の波が押し寄せてきて、近代化と共に自然も大きく失われていきました。

今、「後期高齢者医療制度」という名のもとに医療制度の見直しが行われ、27日の新聞記事1面トップには「厚労省通知・生活保護患者は安価薬」の大見出しの付いた記事が載っていましたが、私が子供の頃、時の総理池田勇人氏が「貧乏人は麦を食え」と言ったのを思い出します。時代状況も大きく変わり、経済が拡張していく時代と、経済が収束せざるを得ない状況の中ではその捉え方も大きく違いますが、権力や富を持った人の庶民に向かっていう言葉の感覚は同じですね。

失いゆく田畑や汚れてしまった豊穣な海や川。
子供のころに食べた味覚だけはしっかりと刻まれています。ヤサラやナガラミをいつまでも食べることのできる健康な海を残し、労働する人たちがその代価をきちんと手にすることのできる平等で公平な価値観を持ち続けることのできる世の中を真剣に考えて行かなければなりませんね。
懐かしんでいるだけではなく、と、思います。



小川がそばにある家へ

2008年04月26日 | 自然 花や風景など



蛇行した小川のある風景は大好きな景色のひとつです。
今日はその小川が家のそばを流れているお家の方の竹林にみんなで筍掘りに行きました。



大きな昔ながらの長屋門のあるその家の離れには藤の花が満開でした。
藤の花のほかにあけびの花やもくれんなども咲き、また竹山まで行く川沿いの小道も花にあふれていました。














筍掘りは、竹林の山の斜面を這い登りながら、顔を出している筍を見つけ出すには慣れるまで骨が折れましたが、目が慣れて来るとたくさんの筍を見つけることが出来、掘り起こすにも力が入りました。

竹山に入る直前でデジカメの電池が切れてしまい、その可愛い筍を写せなかったのは残念ですが、大人6人でかなりの筍を掘ることができました。

 

広い屋敷に戻り、筍の皮をはぎ、ドラム缶仕立ての大鍋に薪を燃やし、何度かに分けて収穫した筍をゆでました。採り立てをこのように素早くゆでるためあく抜きをしなくても美味しい筍を味わうことができました。
楽しい楽しい筍掘りに参加することができて感謝しています。

まだ湯気の残る筍をおみやげにいただき、この量は我が家には多いなあと思いながら我が家のマンションに帰り着き、エレベーターを乗ろうとしたらご近所の方に会いましたので「筍いりませんか?」と訊くと「いただけるんですか?」と返事が来て、そこで半分差し上げました。その方は「では、私がわかめをあげましょう」と、持っていたわかめを分けてくれました。私は「物々交換、いいですね!!」と言いながら軽くなった筍入り荷物を家へ運び込みました。

いただきものを分けたいなと思ったとき、私はひとつのルールを自分の中に作っています。それはそのものを手にした後、最初に会う人に差し上げるというルールです。この場合は親しい、親しくないはほとんど関係なく、持っている荷物を出来るだけ早く軽くしたいという考えに尽き、差し上げる私ももらってくれる相手様も喜ぶ関係であれば他は何も問わないためとても楽です。
到来物のおすそわけも、いただいたその後に最初にアポイントのある方に分けるようにしています。そうすると新鮮なうちに味わうことができて合理的です。

皆様の親切のおかげで自分で掘った筍を夕食のテーブルにに載せることができました。ありがとうございます!!!




安吾の本 他

2008年04月25日 | 本など

最近、何をしてもどこに行ってもだれと会っても思うことは、私自身がほんとにものを知らないということです。これはかなり深刻です。
周りの方がみなさん立派に見えて、実際立派なのですからどうしようもありません。

そんな私の悩みや葛藤はさておき、友人を訪ねました。

本好きな友人から教わることもいっぱいあって、楽しい時間が過ぎました。
本好きなだけあって、私にとっては希少な本や珍しい本もいっぱいあって、今日は「絵本 桜の森の満開の下」(坂口安吾 絵福田庄助/審美社版)を借りて帰りました。墨絵の美しい絵と安吾の文が楽しみです。



友人は、本当は恋愛小説が大好きだとかで、それは自分が恋愛が出来ないのでせめて本の中で恋愛を楽しみたいということからだそうです。「今は『小池真理子』を読んでいるけれど、今読んでいるものはつまらなくて読むのを止めようかと思う」と話していました。
私がいま読んでいる文庫本は「佐高信の筆刀直評」(徳間文庫)ですが、この中にも佐高さん自身が「ジャンクブック」と挙げている本がたくさん出てきます。ジャンクブックと思えるものがベストセラーのように売れたりする事実もあることからほんとに世の中は理不尽ですね。

友人は恋愛小説が好きだと言いながら、ネットの古本屋で買ったという「山田風太郎人生臨終図鑑」が国内外の著名人の臨終を迎えた年代別に3冊あり、それが揃っていて面白そうでした。いわく「平凡な人生だから人様の人生を覗いてみたい」そうで、だから本を読む楽しみも倍加されるのですね!!

共通の話題であり悩みは、「読んでもすぐ忘れるし、なかなか新しいことを覚えられない」でした。それでも読む楽しみがあり、読み続ける喜びがある読書は欠くことのできない趣味のひとつです。



お互い様と思いつつ。

2008年04月24日 | 社会

最近、何も考えないで緊張感もなく生きているなあと思います。
ちょっと改まった席にも冠婚葬祭にも着れるシンプルな黒のジャケットを羽織り、少し緊張する場所に出掛けましたが、“行きはよいよい帰りはこわい”で、出かけて行くときの新鮮な緊張感とは裏腹に、帰りにはドドドッとかなり疲れている私自身がいます。
こうやって何かあるごとに「年齢」や「老化」と向き合うことにも慣れていかなければならないのでしょうか……。

新宿のとあるビルの中で行われたグループミーティング。
自分のことはさておき、そこに集まった同世代の方たちの“老い姿”に、我が姿を忘れて、また時には重ね合いながら、いずれにしてもショックですねぇ……。まあ、お互い様ですが。
「還暦目前では仕方ないな…」「いえいえ、まだまだ…」、そんな葛藤が疲れとともに押し寄せてきました。

 


ベルト完成

2008年04月23日 | お洒落



久しぶりに「JIRO」さんの革教室へ行きました。
以前から仕懸かっていた「革ベルト」が完成しました。
本当は夫のウエストに合わせて作り始めたものですが、出来上がってみるとなかなかいい雰囲気で、今は女性はローウエストでパンツをはくことが多く、私がジーンズに合わせてみるとぴったりでした。
しばらくは兼用で使いたいなと思います。


名付けのいろいろ・勘違い

2008年04月22日 | 生活・暮らし・家事など



私がときどき行くパン屋さん。メインのレジ横の小さな丸テーブルの上に5~6個を袋に入れた“袋入りのパン”が置いてあります。アン入りやクリーム入りなどのやや上質で値段の高めなものは1個ずつ買えるようにショーケースの中に入っています。
レジでお金を払うとき、何度か私はそのお徳用袋入りの価格の安目なパンを横目で眺めながら、「どうしてこんな美味しそうなパンを犬に食べさせるのかしら?ペットブームと言えども世の中は人間様を差し置いて『お犬様』の時代になったのかしら?」と思いつつ長い間そのパンに手が出せず、ショーケースの中のパンを買っていました。

そして何か月も経ったある日、あるとき、ふっと気づいたのです。
「ドッグパン」と表示されているこのパンは、“犬用”なのではなく“ホットドッグ用”なのだと!!もちろん気づいたそのときから私は迷うことなくそのパンを買うようになりました。安くて美味しいパンでした。小麦粉の値上げニュースも何のその、1個60円位に当たり安価です。
それにしても、「ドッグ用」ではなく「ホットドッグ用パン」と省略しないで表示してほしいなあと思いました。きっと私のように勘違いしている中高年のおばさま族はきっといるはずと信じていますが。
ちなみに犬は「dog」、しかしホットドックは「hot dog」ということが書きながら調べながらわかりました。。
「hot dog」は“細長いパンの中にからし、バターを塗り、ウインナーソーセージやサラダ菜などを挟んで熱くしてたべるもの”と辞書にはあります。

昔、田舎にバスがようやく通り始めた子供時分のとき、およそこれからの生涯バスに乗ることもなく縁側でひなたぼっこをいつもしていた近所のおばあさんが、「バス(bus)」のことを「パス(pass)」と言いながらバスの話題をおしゃべりしていたことを思い出しました。
私の勘違いも「ドック」と「ドッグ」と似たりよったり。齢をとった証しでもありそうですね。

 


苦手な季節

2008年04月21日 | 自然 花や風景など


春から初夏へと移っていくこの季節は、私にとってはとっても苦手な季節です。
“木の芽どき”とか“木の芽の立ち”とか呼ばれる今の時期は突然にしてやや集中力が落ちてきて、片づけなければいけないいくつかのことに取り組む気力が沸いてきません。そんなときは、無理をせずしばらく静かに身の回りを整えるのがいいのかも知れませんね。

今日の毎日新聞の文化欄コラムで五木寛之さんは「躁から鬱の時代へ」と書き、バブル期が弾けた今は総理にしても福田さんも安倍さんも鬱の時代の総理であり、では躁の時代はというと池田勇人さんや田中角栄さんだと書いていました。
“いけいけどんどん”の時代は終わったのですね。物事を静かに見つめゆっくりと振り返る時代になったのだと語り、質のいい文化を作り環境の保護が大切になるとも書かれていました。

私の場合は、先延ばしにしてきたいくつかのやらなければいけないことの期日が目の前に迫っていてそれは単なる憂鬱な怠け病への罹患に過ぎないのですが。

撮ることと撮り方の関係性

2008年04月20日 | モノ・雑貨・道具


プロのカメラマンの方が開いた「初心者向きカメラ教室」に参加しました。
最近はカメラの性能がとても良くなり、おまけにデジカメの場合は撮るとすぐにその場で写真を見ることができるため、取材の場合などは本当に助かることが多くなりました。
撮りはぐれが無くなり、アングルなどの確認もできるし、人を写した場合などその表情もつぶさにその場で確認できるため効率も数段アップし、日常使いには何ら問題も無くなりました。
私もかなり写真を写してきましたが、では、カメラに内蔵されている諸々の機能を理解して撮っているかというとこれが全くというほど理解しないままにカメラのシャッターをやみくもに押していることにも気付きました。しかし、知らなくても普通の写真は普通に撮れているのでさして不自由も感じないままに日常使いには何ら不便もないままに今日まで来てしまいました。
教室に参加したからといって、ではそれらの機能を使って写真を撮るようになるかといえばどうやらそうでもなさそうです。それは今までに特別不便や不自由を感じていなかったからですが、次に新しくカメラを買うということになると、学んだことが少しは役に立ちそうです。
一眼レフのカメラが欲しいと思いながら、その大きさと重さがネックになってなかなか踏み切れず、今のカメラが壊れても、きっとまた私は普通のデジカメを買うことはわかっているのですが。

奥は深いですね!!!