ちあの散歩道

輝いてアラカンヌ☆ありがとうの言葉を添えて暮らしのドアをそっと開けると今日も豊かな感動と新しい気づきが待っています。

雨の中の蓮池

2008年06月29日 | 自然 花や風景など



「千葉公園」の蓮池は静けさに満ちていました。
蓮はまだ蕾が多く、観蓮には少し時期が早いようでしたが、それでも麗しい雨を受けて蓮の葉や花、蕾から放射するエネルギーをたくさん感じました。

 
 


蕾は気高く初々しく、終りの花は妖艶でこちらも捨てがたくきれいでした。
雨の日は人出も少なく、今日の雨は歩くのにはほどよい降りでした。
蓮池のそばの東屋のベンチに座り、ゆっくりと過ぎてゆく時を楽しみました。


神宮の花菖蒲

2008年06月28日 | 自然 花や風景など



久しぶりに明治神宮へ。
手入れの行き届いた菖蒲田の花菖蒲が見ごろを迎えていました。

 

明治神宮境内はその植生が杉やヒノキなどの針葉樹ではなく椎や樫や楠などの広葉樹が中心で、懐かしい自然林の趣きを湛えています。都心にありながら、御苑の小道を歩くと人工林とは思えない懐かしさに心が躍ります。他の公園にはない深い森の佇まいが大好きで、ときどきこの森にもぐりこみホッと一息つきます。


阿久津先生の施術のあとは

2008年06月27日 | 生活・暮らし・家事など



月に1回、阿久津先生の施術を受けています。全身の健康チェックと歪んだ身体を正常に戻すためです。

今回は、私の体は絶対OKだと確信していましたが、「良くなりましたねぇ~!どこも悪くありませんよ~!」と先生の穏やかな声。
私は黙っていることが出来なくてついつい「すい星逆行」のことを先生に話してしまいました。先生は一言「ほ~っ」と。
「すい星逆行」が終わったのが19日でそれを境に私の体はすっきりとみるみる回復したのです。前回の時はその渦中にあり、阿久津先生からも「かなり疲れていますねぇ。少し休んだ方がいいですよ~」と注意を受けていました。そして今回はもうばっちりで、先生に言われるまでもなく、私の身体はまったくの健康状態に。自分でもその変化がわかります。
「すい星逆行」がどんな現象なのか私は自分で説明がまったくできないのですが、ただ感覚的にわかる、明確にわかるというそんな変な確信に裏付けられていることだけは事実です。私、感覚人間ですからね。

阿久津先生の施療院「千葉リヘルス」を出た後、本を読むために近くのカフェに寄りました。そこで、手の平をしみじみと眺めると、想像した通り、手の平から金箔が出ていました。「おお、やっぱり!!」とこのことにも納得。何だか絶好調のようですね。
施療の合間合間に今回も阿久津先生と体と心の相関関係などについての面白い会話をたっぷりと。先生、いつも援けていただいて本当にありがとうございます!!


雨読の日

2008年06月26日 | 生活・暮らし・家事など


静かな雨が降る一日です。
陰影で家の中の気になるほこりも静まって、掃除はほどほどに済ませます。
一日家の中で気ままに過ごすことのできる幸せをかみしめています。
童謡をアレンジしたジャズピアノ曲を聴きながら、たまったアイロンがけに精出します。そしてそのあとは読書。


本 「ゴミにまみれて」

2008年06月25日 | 本など



6月8日に大分県中津市で行われた「第4回竜一忌」は、作家の故松下竜一氏を偲ぶ集いです。
松下さんが亡くなって4年になり、私は第1回から欠かさず参加しているひとりです。
今年の竜一忌に集った様々な個性あふれる人生を歩いている方たちと交流を持ちましたが、「ゴミにまみれて」の著者、坂本信一さんもその一人でした。

坂本さんは松下さんに勧められて松下さん主宰の「草の根通信」に1990年8月から93年2月までゴミ収集現場で働きながらゴミにまつわる様々なことを書き続けましたが、それが94年一冊の本にまとめられ、径書房から発刊されました(写真)。
その著者である坂本さんに会ったとき、坂本さんは私に一枚の私製の名刺を差し出され、「私はゴミ収集車に乗っているゴミ収集人です」と自己紹介されました。
「今は自分の手元にも『ゴミにまみれて』は1冊しか持ち合わせがありません」ということでしたので、私は帰るとさっそくネットで古書検索をし、この本を手に入れることができました。
今から14年前に書かれた本にも関わらず、書かれている内容は今も古さを全く感じさせない視点で内容が充実していてその素晴らしさに驚きました。それだけゴミ問題が深刻化しているということでもあるのでしょうが。
この本には「清掃作業員青春苦悩編」とサブタイトルが付けられていますが、大学を出て映画監督を目指していた坂本さんが、ゴミ収集車に乗ることになったいきさつなども赤裸々に記されています。そればかりか、使い捨て文化風土の蔓延する現代のゴミ事情などに真っ直ぐな筆致でストレートに斬り込んでいます。文章も素敵で、私は坂本さんに出会うことができ、この本を知ることが出来て本当に感動しました。
坂本さんは今もゴミ収集車に乗っていますが、モノを大切にしない棄てることに慣れきってしまっている現代人の暮らし方を本の中で憂いていますし、棄てる側のマナーの悪さなどにも批判の目を向けています。現場に携わっていないと見えない側面にも迫っています。
この本の中には私たちが気付かなければいけないいくつものメッセージが込められています。

坂本さんは著書の中でこのように述べています(当時)。
「自分の出したゴミがどうなっているのか。この国の多くの自治体は、自区内に処分場(ゴミ焼却灰の捨て場)を持っていないのが悲しい現実です。自分達のゴミを、よそ様の土地へ押しつけている現実を、皆知るべきです。叔父が誇りにしている土地、信州こと長野県には、山間部を中心に、他県の処分場や産業廃棄物処分場の建設が多く計画されています。訪れた中国には、世界各国の処理困難廃棄物(化学、核廃棄物等)が集まってきているのです。」

出版から15年を経ていますが、ゴミに関する問題は一向に解決していないようにも思えます。増え続けるゴミの問題を、ゴミを出す側の意識改革にまで及んでいるところにもこの本の素晴らしさが伺えます。
今も清掃作業員を続けている坂本さん。私はこの「ゴミにまみれて」の続編をぜひ読んでみたいと思いますし、坂本さんの最近の近況、心境なども訊いてみたいなと思いました。


梅雨の晴れ間 ユリの花

2008年06月24日 | 自然 花や風景など

 

梅雨の晴れ間が広がっています。
小さな緑の葉にも光が降り注ぎ、風に揺られてキラキラと輝いています。
街の中を通った時、民家の庭先に植えられた鉢植えのユリが満開に咲いていました。
ユリの季節になったのですね。



去年訪れた秋田県大仙市余目の里山で出会った大輪の山百合の美しさを忘れることができません。
余目の方のご好意でその山百合の球根がその後送られてきました。それを町の人数人と話し合って、西千葉ゆりのき通り添いの大学の管理する小さな土手の岸に植えていただきました。
ユリの花を街中で見かけるようになって、山百合がどうなっているのかと話題に上った昨日、その岸に数本の山百合が蕾を付けているのを知りました。
排気ガスが飛び交う大通りの、それでも大学の木々の葉が落ちて腐葉土がたっぷりの岸辺に植えられた山百合の花。もしかしたら余目の花のように大輪ではないかも知れないけれど、それでも健気に咲くユリの女王様とも言える山百合の花が咲いてくれる日を心待ちに待っています。

 


映画「西の魔女が死んだ」

2008年06月23日 | 映画・芝居・芸術など



(写真は、「西の魔女が死んだ」パンフレットと付録のスケッチブック)

22日から公開された映画「西の魔女が死んだ」を観ました。
お孫さんを連れたおばあちゃんや母子連れなども客席で見かけました。

魔女の血をひくおばあちゃん役には、シャーリマックレーンの娘であるサチ・バーカーが配役されていて、こんな仕掛けがあるのだなと驚きました。
中学生の孫、まいがおばあちゃんの死を知らされ、母親と駆けつけるところから映画が始まりますが、その前に、まいが学校に行けなくなったとき、まいのママが自分の母のことをそう呼ぶ森の中に暮らす“西の魔女”のもとに行き、魔女おばあちゃんと一緒に暮らしますが、そのときの様子が映画の主軸を成しています。
私はこの映画が日本人による原作で監督も日本人、おばあちゃん以外はみんな日本人だということを知らずに映画館に足を運びました。
魔女おばあちゃんの暮らす森の中の一軒家は、まるでターシャ・チューダの世界のようだなと思いながら、22日新聞にターシャが亡くなったという記事を見つけたことも偶然とは思えないほどでした。
瑞々しい木々の緑が広がるおばあちゃんの家を取り巻く自然や、ハーブガーデン、ワイルドストロベリーが実る広大な畑などを見ながら、ここはどこなんだろう?という思いが湧きましたが、パンフレットからこれは清里に作られた広大なオープンセットだということを知りました。この清里のオープンセットは2009年1月4日まで一般公開されているそうです。
おばあちゃんが暮らす家の中の家具や調度品などもイギリスと日本が融けあったようで素敵でした。私は、この映画に関してはストーリーよりも小道具も含むインテリアに最初関心がありましたのでねらいどおりでしたが、それらのものやイングリッシュガーデンを思わせる自然を背景に展開する物語も素敵でした。
学校にいけなくなったまいを受け入れ、“魔女修行”と称してまいにいろいろの日常を教えて行くおばあちゃん。花を摘んだり、大たらいでシーツを洗ったり、戸外で薪を焚きながらジャムを作ったり、そして近くに住む、まいの大の苦手な怖そうなおじさんのところへのお使いなどを通して、まいはたくましく成長していきます。まいのママが着ていた寝巻きを夜は肘掛椅子に座りながらおばあちゃんはまいのスモックドレスとエプロンにリフォームしていく姿など、ストーリーはシンプルでわかりやすく、夢があって若いお母さんやお子様たちにも受け入れられやすい映画だなと思いました。
それらの日常の中に散りばめられた魔女おばあちゃんのゆったりした笑顔と発する言葉も魅力的でした。そしてときどき潜ませる苦渋の表情。キャリアウーマンに育ててしまったまいのママとまいを取り巻く環境の中でまいと触れ合いながらおばあちゃん自身も生き直しをしているようにも見える展開の仕方。人は人の中でしか生きることができないけれど、生きるということを援けてくれる自然の表情や日々の小さな家事労働の中にある喜びに触れるとき、人は自らを再生していけるのかもしれませんね。

母・子・孫の三世代の中の母(おばあちゃん)世代になった私にも新鮮で豊かなものを見つけることのできる映画でした。
「西の魔女が死んだ」を観た時は、パンフレット(600円)を買うこともお勧めです。このパンフレットの中にはまいのための「魔女修行のーと」が付いていますよ。


“ありあわせ”の暮らしを生きる

2008年06月22日 | 生活・暮らし・家事など



早朝からパソコンの不具合が生じ、悪戦苦闘しましたが、何とか元通りになりました。
パソコンに依存しきっている私の生活を少し見直し、反省しました。
大地震の被災地では突然襲ってきた天災になすすべもなく、これまでの暮らしそのものを有無を言わさず根こそぎこそげとられた方たちもいらっしゃることは報じられている通りです。
そんな中、インタビューに応える被災者の方たちは一様に「ありがたいことです」「感謝しています」と生かされたことやその中で動いている小さな復活に向けてのにちにちの出来事、たとえば水が出るようになったことや、お風呂に入れるようになったことや、家に戻れるようになったことなどにも、生活を奪いとられたことへの不満ではなく感謝の言葉を述べていることに気付かされます。
当り前のことが突然当り前で無くなることなどが日常茶飯事に起きていますが、ややもするとその当たり前のことに感謝することを忘れがちになるものですね。心しなければと思いました。

最近、私は何でもありあわせで済ませる生き方をしているなあと思います。わざわざ何かをするのではなく、あるもので代用するとでもいうのでしょうか、そんな感じです。
無いものは無いままに、できるだけ足さない暮らしです。足すときはよく吟味して。台所周りも調味料やだしの素や食用油など、何種類も用意するのではなく、代用できるものは代用して使う暮らし、そんな暮らし方が少しずつ板についてきました。これは少しの知恵が要求されますが、その知恵の使い方も楽しいものですね。棚の上や収納庫などもひとつひとつあるものを丁寧に使い切り、徐々にすっきりとスペースが目立ってきたことのうれしさは格別です。足すときは慎重に、これが今の私の暮らしへの合言葉です。


宮迫千鶴さんの訃報記事に接して

2008年06月21日 | 社会

今朝の新聞で、宮迫千鶴さんの訃報記事に接し、驚きを隠せません。
宮迫さんは私と同世代。60歳での若き死に心よりお悔やみ申し上げます。

宮迫千鶴さんの訃報記事
宮迫さんについて語られている参考記事

私は何度か宮迫さんにお会いしたことがあります。友人のギャラリーで「宮迫千鶴展」や「谷川晃一展」などを行っていたとき、宮迫さんも会場にやってきて、そこでお茶を飲みながらたくさんのお話をしました。今から20年くらい前のことになりますが、その当時から人々がだんだん気付き始めた精神世界のことや、終末医療のことなども話題に上りました。彼女の書く本もそんな話題に裏付けられるようなものが多く出版されていたように思います。取材のために出かけた海外を含めスピリチュアルな場所や、出逢った人たちの話などもバンバン飛び出してほんとに長い時間話しました。
「川越市の病院」で亡くなられたことを知りましたが、その当時帯津先生のことを教えてくれたのも宮迫さんでした。西洋医学だけに依存しない考え方なども宮迫さんの話題の中からたくさん語られたように思います。

宮迫さんは大柄でオシャレな女性でした。ファッションなどにも独特のセンスが光っていました。ある日、女性史論や母性について話していた時、突然足のサイズの話題になりました。宮迫さんはたしか靴のサイズが24・5㌢位でご自分のことを「大足の女」と話しました。今はそれ位のサイズの女性は当たり前になりましたが、私たちの世代ではやはりかなり大きい方で、宮迫さんはその大足がゆえに、いいデザインの靴を探すのも大変で、それに大きいということに対する大足コンプレックスがあるというようなことを話しました。私はすかさず、自分の背丈に似合わない足の小ささ(私は22・5㌢)を嘆き、このサイズの靴も少なく、逆に足が小さいがゆえによく転び、バランスも悪く、小足コンプレックスがあることを伝えると宮迫さんは大きな眼をむきだすように驚きました。「足が小さいことになぜコンプレックスがあるのですか?」と、そんなことを。そこから中国の纏足が男どもに愛された歴史などを語り合い、私に「あなたの前世はもしかしたら中国の纏足の女性だったかも知れませんね」などと大いに話が盛り上がったものでした。
「伊豆高原アートフェステイバル」が始まった当初、宮迫さんが企画した「山川紘矢・亜希子」ご夫妻の講演会にも参加し、そこで聴いた話や買い求めた本との出会いは私の今後に大きな影響を与えました。確か伊豆高原の中にあるお寺の離れでその講演会は行われましたが、竹林に囲まれた戸外から五月の風が注ぎ込み、吹き抜けて行った風のもたらすさわやかさを今も忘れることができません。

昨日は、たまたま会った知人と「母にまつわる母性」について話し合ったとき、宮迫さんが書いた“母のこと”など、宮迫さんの話を上らせたばかりでしたので、ほんとうに驚きました。宮迫さんの魂がお別れにきたのかなと、偶然をそんなふうに思わずにはいられません。
宮迫さんの早過ぎる死を知り、言葉もありませんが、ご冥福をお祈りします。


十五夜お月さまとイベント

2008年06月19日 | 自然 花や風景など



満月の日にちなんだイベントが行われ参加しました。
イベント会場を出たのは深夜でしたが自宅までは一駅なので気分はのんびり。
家に帰って窓から空を眺めるときれいなお月さまがお出ましでした。
さわやかな風が心地良く吹いて梅雨空が抜け去り、一幅の清涼な空の景色にうっとり。月や星を眺める幸せな時間をかみしめました。
若者が多い会でしたが、よく飲み、よくしゃべり、よく食べました。
この会には「お料理名人」が数人いて、今日の絶品は山ちゃんの「ピータン豆腐」でした。このブログに彼はきっとそのレシピをコメント欄に書きこんでくれるでしょう。山ちゃん、お願いネ。楽しみにしています。

私は40歳の記念に、それまでまったく泳げなかったカナヅチ克服のために、スイミングスクールに通ったのですが、そのときのお仲間、美和子さんもご夫婦で参加でした。およそ20年ぶりの懐かしい当時の話に花が咲きました。
20年も経って、美和子さんは私のことを「変わらない、変わらない」と励ましてくれましたが、そんなはずはあるわけもなく。しかし、彼女はほんと、変わっていなくてびっくり!!他にも懐かしい人たちにも会いました。皆さん、変りなく素敵な人たちでした。