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ちあの散歩道

輝いてアラカンヌ☆ありがとうの言葉を添えて暮らしのドアをそっと開けると今日も豊かな感動と新しい気づきが待っています。

ああ、石鹸!!!

2009年07月12日 | Weblog
 

~「ふたりで行った横丁のふろや……小さな石鹸 カタカタ鳴った」~
これは、団塊世代の私たちにはなつかしい「神田川」の歌詞の一節です。

以前にも夫の「石鹸騒動」を書いたように記憶していますが、敵もさるもの、直らないのですねぇ……。
まだ、充分使えるだけの量が残っている石鹸。それを大切に大切に使い切ろうと私は涙ぐましい努力をしているのに……、気が付いてみると、しっかり新しい石鹸が下されているのです。写真は今朝の出来事。
お風呂の中の緑色の石鹸は、それに乗っかって同化している白い石鹸がまだじゅうぶんに大きい時に夫が下したものなのです。
そして、今朝……、まだ緑色の石鹸がじゅうぶん使えるのに、白い石鹸が下され、使われた形跡発見!!
さらに念の入ったことに、洗面台のそばにいつもは忍ばせて置いてある石鹸ケースに、今度は真新しい黒砂糖色の石鹸が!!その下に見え隠れしているのは、まだ使えるちびた石鹸のカズカズ。

ああ!!と、溜息をつくものの、敵は出かけてモヌケノカラ。
「せめて、石鹸くらいいいじゃない」と、声が聞こえてきそうですが、「その石鹸さえ侮れない。最後まで大切に」と言うのが私の気持ち。それに、「残った小さな石鹸をシコシコ最後まで使うのは誰ですか?」と訊いてみたい気持ち。

家に帰ると、「クーラーがんがん!テレビは時計代わりにつけっぱなし!」とは、巷の奥様方の亭主評ですが、「イケイケドンドン!!オオキイコトハイイコトダ!」の時代を駆け抜けた、若かりし頃じゅうぶんに貧乏だった男性軍にとっては、それもこれも「ソレクライイイジャナイ」ということになるのでしょうか……。

意識を変えてもらわないといけませんね。

チャンスの神様

2009年03月30日 | Weblog


家事日和の今日は、冬ものの厚手セーターやコートを洗いました。
たっぷりと乾かして、次の冬まで出番はお預け。寒い日々を暖かく包んでくれてありがとう☆

ハイベック」洗剤を友人に教えてもらって何年になるかしら?以来、夫のビジネススーツやコートなど紳士物のしかもアイロンかけが難しいもの以外は、ドライクリーニング表示のものも家庭で洗濯しています。
カシミアセーターからダウンのコートまで、「ハイベック」でホームクリーニングが出来るのはほんとに有難いことです。

今日はふと「チャンスの神様」のことを思いました。
チャンスの神様は前髪に3本の毛しかなく、それをつかめるかどうか……などよく話題になりますね。
私は誰にでも平等にチャンスの神様はお出ましで、神様のさし示す3本の毛が「見えるかどうか」が肝心のような気がしています。見えればつかむことができるものも見えなければつかむことが出来ません。つかむ速さで勝負ではなく、自分の目をいかにクリアーにしているかが勝負、と、そんな考えを持つようになりました。
目を曇らせることなくクリアーにしておくには、人の意見に謙虚に耳を傾けたり、探究心や好奇心を失わない瑞々しい心を持ち続けることのようにも思います。

私自身もよく悩み、周りに悩む人々もたくさんいますが、「自分で自分を救うことしかできないなあ。自分以外の他人はだれも自分を救ってくれないのだ」と思います。
自分を救うためには、やはり、他人の意見を謙虚に聞くことに尽きるかも。そして自立した目を持ってその選択眼を信じ、人のせいにしないことだと思います。

いよいよ4月が始まりますね。
百花繚乱の季節、さて、それぞれにどんな花を咲かせることができるかしら?




あけましておめでとうございます

2009年01月01日 | Weblog



あけましておめでとうございます
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
(写真は我が家のベランダから見た「初日の出」)

今年は年女、還暦を迎えます。
吾唯足知(ワレタダタルヲシル)
「知足の者は貧しといえども富めり、不知足の者は富めりといえども貧し」の思いを心に刻みながら、向上心や好奇心を失うことなく瑞々しく過ごしたいと思います。


よいお年を

2008年12月31日 | Weblog



2008年が暮れて行きます。
下弦の三日月と宵の明星が清んだ空にきらりと煌めいています。
赤い夕陽に染まった際の空に白い富士山が雄姿を見せています。
穏やかな年の暮れです。
(写真は、我が家のベランダから見た大晦日の夕景)

12月に昇天されたナナオサカキさんの詩を一節。

    足 に 土   手 に 斧
    目 に 花   耳 に 鳥
    鼻 に 茸   口にほほえみ
    胸 に 歌   肌 に 汗
    心 に 風   これで十分
         
         ──「これで十分」(ナナオ サカキ)

2009年もよい年でありますように……。


静と動

2008年12月20日 | Weblog



止まって見つめないとわからないことと、動いてみて初めてわかることの両方があるのですね。
11月にフランスに飛んでちょうど1か月が過ぎました。
なぜフランスに突然行く気になったんだろうと、自分が決断したことなのに帰ってからも数日間その旅を見つめ続けていました。
ツアー客の一員として流れにまかせて過ごした1週間、果たして行った意味がどこにあったのか……。
とても楽しい旅でしたが、ただ楽しいだけでは満足できないわたし。
そして、はたと気付いたのです。行ったことの意味を。
距離を遠く飛ばないとわかりえなかった気づきが突然わたしに飛び込んで来たのです。
このことこそが、フランスに行くことによって得られたことだとその意味を受け止めています。
たとえばフランスがイタリアでもドイツでもイギリスでも良かったのかもしれない「動く」ということの深さ。「距離を飛ぶ」ということの重さ。
簡単に言葉に表し難いその気付きは天啓とも思えます。その天啓に導かれ支えられて行くに違いないこれからのわたし。
ずっとずっと模索し続け見えなかったものがここ数日の葛藤も踏まえて突然見え始めたような、そんな感じに、ああよかったと胸を撫ぜ下ろしています。
そして今日、なぜか不思議な確信に満たされているわたしがいます。


お知らせを少し

2008年09月30日 | Weblog

今日で9月も終わりです。
うんと秋めいてきましたね。ここ数日の一気の冷え込みに体がついていくのはちょっと骨が折れます。皆さまお大事に~。

本格的な秋を迎えて、イベントなどのご案内が届きます。
その中から、2件ご紹介。

●女性エネルギー・ラボ 
  ・10月26日(日) ・10時30~17:00 
  ・東京都庭園美術館大ホール ・参加費6000円
  ・お申し込みや詳しいお問い合わせは
        http://feminergy-labo.pef.jp/index.html

●瀬戸市新世紀工芸館企画展 FOR THE CHILDREN 
      イエルカ・ワイン 中島勝乃利 土・鉄・山羊の毛 EXPO
    ・10月4日(土)~11月30日(日) 
  ・瀬戸市新世紀工芸館展示棟

最近、「月」に関する新しい言葉を知りました。
「星月夜」という言葉です。季語辞典には秋の季語として載っています。
「朔で月はないが、星がとっても明るい。その月光のような星明かりの夜を『月星夜』という」(―毎日新聞・季節のたより―より)。すると、朔は、朔月で月明かりのない新月のことをいうのでしょうか。月のない闇夜に星のまたたきがいっそう際立って明かりをなすというそんな思いを知ると空を眺めるのも楽しいですね。そして「星月夜」の翌日は「二日月」。三日月は知っているのに二日月という言葉があったのかという驚きです。“ふつかづき”という響きも素敵です。しかし、昨日も今日も雨で、雨天の空には星も月もありませんが。
情緒豊かな秋を迎えると、月にまつわる言葉も新鮮なときめきを持って迫ってきます。

☆今日のうれしい☆
keikoさんからメールで近況報告があった。元気そうでよかった!!



  


秋を感じる日 ●ふじたさんへのインタビュー記事

2008年09月28日 | Weblog



少し肌寒く、秋を感じる一日でした。これから季節は一気に秋へと加速するのでしょうか。四季のある国に住むことが出来て幸せだなと思います。
夏の暑さで洗濯の回数が増えクタクタになった夏物衣類は色あせたけれど、きっと再び来夏に出番がたくさんあることでしょう。肌に馴染んで着心地がよくなった木綿の服は捨てがたくまた仕舞うことになりそうです。

◆9月10日に行った「スピリチュアルカウンセラーふじたさん」へのインタビュー記事がふじたさんのホームページブログに「スピリチュアル・インタビュー(04)」として本日アップされました。
私の思いつきの質問にもかかわらず淡々と丁寧に語っていただき、予定の60分をオーバーし、インタビュー時間は90分にも及びましたが、ゆったりとした会話の中で疲れることなくワクワクととても楽しいものでした。お暇なときにご覧ください。

☆今日のうれしい☆
梨のジャムを作ったら美味しくできた。


捨てる神と拾う神

2008年09月25日 | Weblog


日々の暮らしの営みの中には「捨てる神」と「拾う神」の両方の神様が同じように存在しているように思います。
それぞれ半々ということは、それだけでニュートラルな状態が保たれているということでしょうか……。

心を込めるということ

2008年09月12日 | Weblog


心を込めるということについて考えてみようと思います。

昨日の雨嵐は落着し、落ち着くところに落ち着いたように思います。
2~3の嵐が集中した日でしたが、ほとんどはうまくつながり、話し合うことでいっそういい関係が保たれました。しかし、残念ながら修復できない嵐もひとつありました。
そんな中で、心を込めるということはどんなことかを一日考えています。
いただいた手紙やメールの返事、お礼状などをすぐ出す……これも簡単なようでなかなか難しいことですね。ラブレターの返信はすぐに出しても、関心事から離れたものへの返信には骨が折れることも事実です。
人はおおむね許し合いながら、そして許され合いながら生きていますが、どうしてもその範疇からこぼれる関係というのもあるようです。そんな場合は、もうばっさりとあきらめるしかありません。相性が悪く、物事へ取り組む価値観が違うということになれば致し方ないのかなと思います。
私も含めて、人は自分に都合のいい言い訳を山のように用意しながら生きていますが、そのことを鑑みても、理解しえない出来事というのが立ち塞がる場合があります。
そんなときには、潔く「グッドバイ」と身を引くことも大切ですね。「三度目の正直」という言葉があるように、三度は我慢し、折り合ってもさらに難しい場合にかぎりますが。

昨日に比べて、総じてうれしいことの多い、感動に満ちた出来事がたくさんありましたので、人生すてたものではありません。

知人にいただいた「深代惇郎エッセイ集」を読み始めたら、何だかとても心が清明になりました。読んでいて「心のこもった」という文字が目に飛び込み、その言葉に救われた一日でした。
しかし、いただいたことへのお礼状を出し忘れ、私も偉そうなことを言えた義理ではありませんが。
この本を下さったH・Nさん、遅ればせながら心を込めてありがとうございます。

雨嵐

2008年09月11日 | Weblog
今日は、雨嵐の一日でした。
久しぶりの風混じりの雨。私の身辺にも雨嵐が吹き荒れました。
明日はいい日になることを祈りながら。