ちあの散歩道

輝いてアラカンヌ☆ありがとうの言葉を添えて暮らしのドアをそっと開けると今日も豊かな感動と新しい気づきが待っています。

休息日。

2011年07月31日 | 道・あるく など
7月31日は私たちの休息日。車を「道中庵」に置き、電車を使い仙台市に出ました。
市内はほどなく始まる七夕祭りの飾りがチラホラと見られました。
被災地と、仙台市を行き交う人々の様子の違いを複雑な思いで眺めました。
私たちもはじめての繁華街巡りを楽しみました。仙台名物牛タンを扱うお店でランチをいただき、夜は居酒屋に繰り出し、お酒を飲みながらのミーティングをしました。今回の旅で唯一ぜいたくな一日を過ごしました。
仙台市の観光を巡る巡回バスに乗り、歴史資料館や美術館に行きましたが、あちこちに津波とは違った地震の爪痕を見ました。いかに多くのもの失ったかと、さりげない街の佇まいからも思いました。
深い杜につつまれた都の落ち着いたかおの中に様々な思いを重ねました。

人の力

2011年07月31日 | 道・あるく など
昨日訪ねた仮設住宅は700戸が入居する大所帯です。
6時半からの「ひめしゃら塾」の舞踊に60名の方が集会所に集まって下さいました。
準備のために午後5時ころから会場入りした私たち。
私はヨガマット1枚を持ち込んで、ソフトマッサージを通しての傾聴に心身を合わせます。
1箇所の会場で3名から6名の方たちに施術させていただけることのありがたさをかみしめています。
身体が緩めばこころも緩みます。それを実感させていただきながら、思いをとつとつと語って下さりその体験の壮絶さに釘付けになり、おひとりおひとりの言葉の重さにひたすら聴くことに集中します。
昨日お会いした69歳の民生委員の女性は、4月10日過ぎに浜に打ち上げられた120体の身元不明確者のご遺体の検死に警察官とともに立ち会われたご様子を話して下さいました。
「ただただ家族の元に帰してあげたい一心で怖くも何ともありませんでした」と淡々とはなされました。与えられた役割とそれを誰かのために果たそうとした時に授かる人の力の偉大さを教えられました。

女川町など

2011年07月30日 | 道・あるく など
今日は女川町に移動してきました。
避難所になっている石巻市湊小学校。ここでは、校舎の2階、3階の教室が避難所になって、体育館は被災者とボランティアのパブリックスペースになっているにぎやかな場所でした。
外国の方々が泥出しボランティアに精出し、ピエロの格好をした楽団がトランペットやサックスを吹き、ちんどん屋さんのように太鼓を打ち鳴らして歩いていました。
体育館の中では、かき氷屋やメロンの屋台が出て無料で私たちにもふるまわれました。
各所を歩いた感想では、当面モノは足りているということを聞きますが、女川の大所帯の避難所では、電気にも水にも不自由しているようでした。

外側から被災地を眺めていると支援の遅れにもどかしさもかんじますが、細かい事情は当事者しか立ち入れない諸々を抱えている様子がうかがえます。
一般人のしかも外ものの私たちに何ができ、どう振る舞えばいいのかなど、教えられることがたくさんあります。
同じように見える被災地の惨状もみんな異なっています。
目を背けることなく見つめ続け、謙虚さと感謝を忘れないようにと確認し合いながら、旅は続きます。

これから東松島市大塩仮設住宅へ向かいます。

牡鹿町鮎川

2011年07月30日 | 道・あるく など
災害ボランティアセンターのある鮎川は、被災後の状態がそのまま残り、瓦礫の撤去が急ピッチで行われています。近くに高台があるため、亡くなられた方が少ないということがわずかな救いです。
モヤに囲まれた朝、遠くまで歩きました。

ここを仕切るボランティア代表の遠藤太一さんに魅了されました。昨夜は、午後7時からのボランティア会議にも参加させていただきました。
各所にいる魅力的な方々をみると、人が本来持つ人の素晴らしさに感動します。
リーダーとしての人望厚い人に共通することは、明るくタフであること、深い洞察力と真しに人の話しを聴く力があること、そしてひたひたひたとにじみ出る優しさを秘めていることなどが挙げられるようです。鮎川ボランティアセンターは、遠藤さんをはじめ、若者がボランティアの中心で、かなり劣悪な環境下にありながら、ボランティア参加者が怪我のないようひとりひとりの力を引き出す細やかさなど、教えられることがたくさんあります。なにより魅力な若者の頑張りがありがたくうれしくなります。

牡鹿町

2011年07月29日 | 道・あるく など
牡鹿町にある災害ボランティアセンターに泊まります。
唯一被災地で電気と水道が通っていない場所での雑魚寝です。
ボランティアセンターで働く若者たちへ夕食をふるまいます。
メニューは具たくさんの豚汁と野菜炒め、野菜サラダなどです。
ここは被災の状態がひどく、コンビニなども1時間以上車で走らないとなく、若者は毎食をレトルト食品で間に合わせているようです。私たちは前日宿の近くのスーパーマーケットで買い出しをすませ、クーラーボックスに入れて食材を持ち込みました。
自家発電装置も持ち込んでいますが、夜の帳が下りた様子はいまこの時間になっても想像ができません。かなりハードな日が始まりましたが、予定通り計画をこなしています。
ありがとうございます(^-^)/

石巻市から

2011年07月29日 | 道・あるく など
石巻市の避難所になっている渡波小学校のグランドで、野球のユニホームを着た子供たちが野球に興じていました。
校庭の松の木は波にやられて赤茶け、周辺は津波のあとが生々しく残っていました。
体育館は避難所になっていました。

午前中は、矢本リサイクルセンターの中につくられた身元不明者が土葬されている仮埋葬所を訪ねました。どこも悲しみは拭えないけれど、借墓所には墓守りとおぼしき人数人が常駐し、手厚く埋葬されていましたが、ちいさな墓標には番号が記されているだけ。津波被害の大きさがここでも伺えました。

合間合間に塩竃神社や日和山公園を訪ねました。
午後3時に渡波小学校避難所に伺い、私はここでセラピーをさせていただきました。
「ひめしゃら塾」の舞踏「鎮魂の祈りの舞い」と私のセラピーのコラボレーションも全くの自然体で溶けあえるようになりました。
お会いする方々はみな一様に素晴らしく凛としているけれど、深い悲しみを抱えていらっしゃいます。ほんのひととき、旧交を温め合うように魂が触れ合い、心身をゆるめていただけるよう、私は避難所の一隅をお借りし、セラピーをさせていただけることのありがたさを感じています。


ユースホステルに

2011年07月28日 | 
仙台郊外にあるユースホステルに泊まり、そこを拠点に動きます。
ほぼ5泊するため、ユースホステル会員登録をしました。
今のユースホステルは、昔に比べとても快適でし。
なぜもっと早くこのことに気づかなかったかと悔やまれるほどです。
都内にもその近郊にもユースホステルがたくさんあります。
これからの私の旅のスタイルにぜひ加えたいと思います。

荷物を少なく

2011年07月27日 | 

新宿から出る高速バスに乗って仙台へ行きます。仙台で友人たちと合流します。
今日からまた7泊8日の旅が始まります。
前回の旅で勝手がわかったので、今回の旅ではさらに荷物を少なくします。ユースホステルを拠点に洗濯ができる場所に泊まるため、衣類も少なくてすみます。
旅は、いかにモノを少なく生活できるかの体験場所でもあり、必要最小限のものがあればいいと実感できる場所でもあります。2泊の旅も7泊の旅も荷物はほぼ変わらないという面白さ。そして、旅の連続が生活や暮らしだとしたら、モノを最小限にしか持たない暮らし方も夢ではない気がしています。

そして、今回の旅でも向き合わせていただくことになると思う、津波で家を流されすべてを失った方々。
目の前に津波のあとが残り、目の前に被害に遭われた方々がいらっしゃるのに、それでもその状況の実感には遠い私の立ち位置。同じ立場にもなれないし、代わることも出来ないというのが大前提。その中で何を感じ、何が出来るか、人として大切なものは何なのか、などを私はそこに立つことで少しでも学ばせていただきたいと思っています。


いま

2011年07月26日 | 生活・暮らし・家事など



昨日、ある小さな会の講師として来られたご夫婦は齢の差26歳。
妻65歳、夫29歳のカップルでした。まったく齢の差を感じさせない、年齢をお聞きしなければ齢の差がわからないほどの人たちでした。結婚歴6年だそうです。さらに妻の前の夫との間の子供は今の夫と同じ齢。その子供夫婦と4人の同居生活がとてもうまく行っているという事でした。
彼らが何を語りかけたかというと、世間の常識に縛られない本当に生きたい生き方は実現するということのようでした。
まったく違和感なくふつうの夫婦のように見えたのは本当で、私たちは何とまあたくさんの世間の目や一般常識などという縛りの中で生きているのかと思いました。
私のこれからやりたいことは何なんだろう?、本当に生きたいように生きているかしら?などなどたくさんの問いを投げかけられたひとときでした。

東北から帰ったのが23日、そして数日を家で過ごし、片づけなければならない仕事を片付け、私は明日27日に再度仙台に向かいます。仙台で残って活動を続けている仲間と合流し、8月3日まで被災地をまわります。私たちのミッションは8月3日で終わります。
何が私を被災地に向かわせるのか……これはもう役割というか使命というかそんなものを心の奥深くに感じているからのようです。
ときを外さないで、いま、まさにいまやらなければならないことへと駆り立てられています。


新鮮な気分

2011年07月25日 | 本など

メモをとらないで人の話を聞く。
付箋を貼らずに本を読む。

このふたつのことって、とても大事なことだと思うようになりました。
だんだん物覚えが悪くなり、ついついメモをとったり、付箋を貼ったりしがちですが、思い切ってやめてみると、読書はしっかり読書として楽しめるし、人の話を聞くときもしっかり聞けるということに気づきました。
まあ、仕事の場合は別ですが……。
この発見は、とても新鮮な気分にしてくれます。