晩夏とは思えない柔らかい緑葉が、光に照らし出されていました。
昨日までのミューテーションが終わり、今朝はすっきりと目覚めました。
朝は、秋晴れのような青空が広がったにも関わらず、それも束の間で、雨が激しく降ったり止んだり。
昨日は、私の住むマンションでも落雷の影響で防災警報装置が稼働しなくなり、復旧は月曜日だとか。一昨日は友人の住むマンションで落雷があったそうで、日本列島は大荒れに荒れています。昨日までテレビニュースとも新聞とも御無沙汰でしたので、その被害の大きさを今朝になって知りました。
被害に合われた方々には心からお見舞い申し上げます。
ブログを書き続けて3年以上が過ぎました。おかげさまで一日のアクセスも増え続け、どこのどなたが読んで下さっているのかはわかりませんが、まあ有難いことだなと感謝の気持ちでいっぱいです。
「書き続けることにのみ意義がある」と、その貧弱な思想をさらけ出しつつもめげそうになるときは、写真の一枚でもいいからアップしようとパソコンに向かいます。
私をよく知る親しい人たちからは「ほんとに書きたいことはこんなことではないだろう!!?」と、叱咤激励を受けますが、ブログはブログでしかありませんので、のらりくらりと続けて行こうと思います。
「ブログはさぁ、ひとつには自慢話を書いているんだよね」とはまた別人のブログフレンドがいいますので、私は「はい、はい、そうですよ」と応えます。しかし、その“自慢”も度を過ぎないようにと気をつけてはいるのですが。
書き手として怖いのは、こののらりくらりの書き筋の中にも、長年読んで下さっている方には私の性格が丸裸にされているということでしょうか。私自身が人様のブログを読んでいても、よく性格が表れているなあと思いますから、他も然りと。
今日の私は昨日までの私と打って変わって気分爽快。クラゲのような背骨もなぜかしゃんと伸びました。
風邪の症状もないのに、気分が重く、背骨がくらげになったようにふにゃふにゃとして力が入りません。
波動が変化しているようです。きっと、これは「変化」のプロセスだと思います。
食欲は食べたくないというわけでもなく、お腹が空いたという感覚もありません。「食べる」ということを忘れたように、食べることにも無関心です。水分補給だけをしながら、まるでプチ断食をしているようです。
「食べる」ということで思い出したことがあります。
5年くらい前、小豆島を旅行したときです。12月の冬至の日に崖の面に「冬至観音」が映るということで、それを観に行きました。冬至観音は月明かりに照らされる深夜に出るため実際には辺鄙なその場所までは夜行くことができず、昼に訪れましたが、それが口実の、採気旅行のような気分で旅をしました。
夏至には太陽の光に照らしだされてその像がくっきり浮かびます。夏至観音の記事です。
小豆島に着いた初日、あちこちを周り、宿に着くと、素晴らしいごちそうが並んでいました。小さな料理旅館での海の幸がたっぷりなそれは見事な料理でしたが、いざ食べようとすると、まったく食べ物が入らないのです。
新鮮な食材を使った好物のごちそうにも関わらず、のど越しのよい茶碗蒸しも口に入らず、ただただ白湯を飲み続けました。
早めに床に就くと、宿の女将さんが私のところに来て、「まったくお料理に手がついていませんでしたが、何か不具合がありましたか?」と聞きに来られました。
私は「いいえ、何でもありません。明日の朝食はしっかりいただきますのでお願いいたします」と伝えました。
今日の私のお腹の具合はその採気旅行での経験によく似ています。
真っ黒い雨雲が突然広がり、スコールのような雨が降ったかと思うと、今度はからりと晴れ渡って、澄んだ秋空が広がります。
そんなお天気の今日でしたが、今日も私は一度も雨に当たることなく、移動のための電車の中から、そして屋内から激しく音を立てて降る雨を眺めました。
ところが、安定しないお天気による気圧の影響をもろに受けているのか、頭が重く、体の節々が訳もなく痛みます。
小諸に住む知人から電話が入り、「こちらではとても寒いです」ということで、この先、どんな天候が待っているのかと案じます。
この頃は雨の降り方が雨季と乾季に分かれる亜熱帯のようになったという人もいます。
シトシトと雨音を静かに立てて降っていた雨までもが懐かしく思い出されるほどです。
秋が近づいてきましたね。
埼玉県富士見市の友人の家を訪ねた折り、通りすがりの家の軒先に大きなヒョウタンを見つけました。
数本の茎から立ち上がったひょうたんは軒先一面に緑陰を作っているばかりではなく、大きな、今まで私が見たこともないような見事な実が生っていました。
さしずめ、このお宅は“ヒョウタン名人の家”ということになりますね。
友人の家にはうさぎが二匹いました。
ご主人のトシユキさんと6月に最初にご縁をいただき、訪問時にはトシユキさん、奥さまのケイコさん、それに夕方には“魔女修行中”のアサちゃんにもお会いできて、“魔女”の話にも花が咲きました。
去年までまったく知らなかった方たちとの新しいご縁が今年になって目白押しです。
人とつながることの妙を通して、様々なことを学ばせていただいています。
鮎という魚の姿の美しさと、その淡白で品のいい味のとりこになって数年。
山間の地方に出かけた時には「天然あゆ」の看板を見かけると、ふらふらとお店の中に入ります。今年の今の時節には、鮎は走りでまだまだ本格的な美味しい鮎ではないそうで……。
そんな折り、ふるさとからの美味を毎年おすそわけいただく友人から、鮎をいただきました。「去年の冷凍ものですが、天然の鮎です」という言葉が添えられて。
塩焼きにすると本当に美味です。ホンモノの味に触れる機会はどんどん少なくなっていますが、これは養殖ではなくホンモノ。数年前から私はこの天然の鮎をいただくようになって、本当に幸せな気分に浸っています。一年に一度食することのできる有難さに、「持つべきものは友」と、うれしさが込み上げてきます。
美味しさとともに、貴重なものを分けて下さる友人の深い思いに感謝。
それにしても、私はお返しをする何物も持っていないなあと、申し訳なさでいっぱいになります。
でも、何かのときには、「物々交換」でお返しをしたいなと、いただきっぱなしの私は思います。
家の近くの最寄り駅そばにこんな素敵なジャズバーがあったとは、ずっとずっと知りませんでした。
「Full House」には、今日で2回目の訪問です。
私よりうんと若いお友だちの山ちゃんに教えてもらい、山ちゃんとヨウコさんと3人でお店が開く6時過ぎにはカウンターに陣取りました。
山ちゃんもヨウコさんも大の酒豪で、まるで底なしのようにビール、ワイン、焼酎、日本酒とあけて行きます。お酒が飲めない私はちょっとうらやましい。
私は、もっぱらおとな味のジンジャエールと最後はアイスコーヒーでふたりの酒豪につきあいます。
なぜこんなことができるかというと、フルハウスのマスター“フルマス”氏の作るお料理がとても美味しいからです。
ジャズ音痴、お酒は下戸、そんな私もよき友人に囲まれて、ジャズバーデビューを果たしました。
家の近くに小さな神社があります。
普段は宮司さんの居ない、無人の神社です。
この地域が開発される前の、戦前からこの地にあった氏神様だそうです。
今は、近隣にマンションが立ち並び、団地やアパートができ、戸建の新興住宅もたくさんあります。しかし、もともとはおよそ60軒の古くからこの地に居を構えていた農業を営む人々だったそうです。
朝の散歩に行ったとき、神社のそばを通りかかり、私はこの神社のことがとても気に入りました。
鳥居をくぐり、小さな参道を通り、階段を上がった両脇に、ケヤキの木が植えられています。
このケヤキの一本が、戦争中に焼夷弾を受けた「被災樹木」だということを神社そばに住む氏子の方からお聞きしました。
戦後63年を経て、伸びやかに育っていますが、よく観ると焼夷弾を受けた痛々しい傷跡が確かに残っていました。
広島では「被爆アオギリ」の木が被爆にもめげずに育っていることが話題になりましたが、私の周りにも今なお傷を負って生きている木の在ることを知りました。
その時に本殿も焼け落ちたそうですが、今は地元の方の篤志により再建された新しい社殿がひそやかに建っています。
この社殿は小さくてひそやかではあるけれど、とても明るいものを私は感じます。
社殿脇には、大きな楠がそびえています。
お気に入りの場所がこんなに近くにあったんだと感慨深いものがあります。
折りに触れ、時間を作って訪れたい場所となりました。
昨日から暑さも一段落し、涼しさにたすけられながら家事や仕事がはかどる有難さを満喫しています。
旅先でお世話になった方たちに礼状を書き、投函しました。なぜかほっと一安心です。
礼状はできるだけ早く、と思いつつ、ついつい数日が過ぎてしまい、あたふたとしますが、書き終えるとひとつの区切りが自分の中でついたような気分になります。
昨日、今日の涼しさで、物事が一気に進みました。
今日は、今とりかかっている82歳になるWさんの本の原稿となる聞き書きの打ち合わせを編集者のM氏といっしょに行いました。
数回の取材の中から私の中に沸き上がってきたイメージをいくつかの章立てにし、さらにそこからその事象にまつわる取材へと掘り下げていく作業は困難も伴いますが楽しい作業でもあります。最初は見知らぬ者同士だった当事者と書き手が何度か会って会話を重ねることにより、徐々に深い信頼関係を築き上げていくプロセスは深い歓びを伴います。
手を抜かず、誠実に、そして聴かせていただくという原点に謙虚に向き合い、私なりに精いっぱいできることを成し遂げたいと思います。
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(お知らせ)
先日、スピリチュアル・カウンセラーであるふじた氏へのインタビューをさせていただきました。私がいま現在知りたいと思うスピリチュアルな世界をふじた氏に質問し、答えていただくという形式の1時間の対談でしたが、そのインタビュー記事がふじた氏のホームページにアップされましたので、ご興味のある方はご覧ください。
●ふじた氏のホームページ 「Diviner」 http://www.diviner.jp/から、ウェブログをクリックし、「スピリチュアル・インタビュー(02)」http://diviner.cocolog-nifty.com/をご覧ください。
私が旅先で泊めていただいたS邸のお茶室は、私の想像を大きく超えていました。何とそのお茶室そのものがまるで料亭か旅館のような佇まいを持っていたのです。
離れの引き戸を開けて中に入ると回廊がぐるりと巡らされ、そこには5室の8畳~10畳の床の間付きのお部屋があり、そのすべてに炉が切ってありました。その他にも大きな洋間がありました。お茶室の回廊の窓から先に見える景色は緑一色のワイルドガーデンが広がっていました。これはルミコさんの先代のお父様が建てられたものだそうです。
少し関わりがあるとはいえ、まったくの赤の他人である私をこの大きな「離れのお茶室」に快く泊めて下さったルミコさんに心より感謝を捧げます。
S邸にはクーラーがなく、酷暑の中での宿泊には夜も朝も大汗が吹き出しましたが、電力を極力使わない生活をしてきたS家の電気代は一か月1800円位だと知り、こちらにも驚きを隠せませんでした。
大きな敷地の中に3棟の家が建ち、そこの1棟をルミコさんが使っていました。
泊めていただいたお礼に、翌朝何かお手伝いをしたいと思い、お茶室を出てウロウロとしたものの、昨夜の到着時には案内を受け、暗がりを歩いて部屋にたどり着いたため、ルミコさんの居室がわかりません。確かに前夜は彼女に誘われるままに階段をトントンと降り、部屋に招かれ、深夜までおしゃべりをしたのにも関わらず、その場所がいくら探してもわかりません。棟を出て別の玄関の引き戸を開けると階段があり、そこを降りて行くとそこにはまたまた大きな部屋に彼女の使った選挙時の看板がそのまま保存されていました。(ルミコさんは議員さんでもあるのです)。さらに別棟に見える外階段の先ではなさそうで、私は途方に暮れ、頃あいを見計らって彼女の携帯電話に電話を入れました。「屋敷の中で迷子になりました」と伝え、私の居る部屋まで迎えにきてもらう有様など、少しハプニングも体験しましたが楽しい時を過ごすことができました。
それにしても、都会のマンション暮らしの私には、度肝を抜かれるお家の大きさでした。
「お掃除を手伝いたいので掃除機はどこにあるのでしょうか?」と問いかける私の前に差し出されたのは昔懐かしい一本の部屋箒と古いシャツを切って雑巾にしたものでした。若い時分から環境に配慮した暮らしや生活を実践し、フェアトレードのお店を市街地に開いて約20年、さらに議員としても活躍しているルミコさんの筋金入りの暮らし方の実践には敬意を表さずにはいられませんでした。すごい人がいるものだなあと自分の決意の薄さとあやふやさを感じずにはいられませんでした。